K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201707<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201709
はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる・・・・・塚本邦雄
226051970_2ad524a66a保険会社

     はつなつのゆふべひたひを光らせて
          保険屋が遠き死を売りにくる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・塚本邦雄


今日六月九日は、塚本邦雄の忌日である。 それに因んで作品を引いた。
塚本邦雄は、言うまでもなく前衛短歌運動の旗手の一人として、もう一人の岡井隆とともに昭和20年代の後半から30年代にかけて疾風のように短歌界を駆け抜けた。
2005年に亡くなるまで、多大の影響を短歌界に及ぼしてきた。今もなお、その影響力が及んでいると言えるだろう。
すでに多くの人が、塚本その人と作品について論及している。
私などが、それらに触れることは、おこがましいことであるので、ここでは作品を挙げて引くことに徹する。

掲出歌は、塚本の歌の中では割合に判りやすい歌である。
塚本の歌は「比喩」と、本歌取りをはじめとする「引用」に満ちているので、読者自身も広い読書の蓄積を要求される。
「保険」というものは「死」を前提にした商品であって、この歌は、そういう保険の持つ性格をうまく比喩的に作品化した。
この歌から広がるイメージこそ、前衛短歌の基本である。
本来「短歌」というのは、「作者」=歌の中の「我」、という構図で古来作られて来た。
前衛短歌は、そういう構図を、先ずぶち壊し、歌の中の「私性」を引き剥がした。
明治以後、前衛短歌までの歌を「近代」短歌と規定するなら、前衛短歌以後の歌が「現代」短歌だと、規定することが出来よう。
「近代短歌」に聳える巨人の一人として斎藤茂吉を挙げることが出来る。
「現代短歌」の巨人としては、この塚本邦雄と岡井隆の二人を挙げなければならないだろう。
塚本の歌を少し引いて責めを果たしたい。
----------------------------------------------------------------------
春きざすとて戦ひと戦ひの谷間に覚むる幼な雲雀か

海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も

五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤独もちてへだたる

イエスは三十四にて果てにき乾葡萄噛みつつ苦くおもふその年歯(とし)

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも

暗渠詰まりしかば春暁を奉仕せり噴泉・La Fontaine

ロミオ洋服店春服の青年像下半身なし * * * さらば青春

カフカ忌の無人郵便局灼けて頼信紙のうすみどりの格子

ペンシル・スラックスの若者立ちすくむその伐採期寸前の脚

壮年のなみだはみだりがはしきを酢の壜の縦ひとすぢのきず

馬を洗はば馬のたましひ沍ゆるまで人恋はば人あやむるこころ

レオナルド・ダ・ヴィンチと性を等しうし然もはるけく蕗煮る匂ひ

壮年の今ははるけく詩歌てふ白妙の牡丹咲きかたぶけり

父となり父を憶へば麒麟手の鉢をあふるる十月の水

ノアのごと祖父ぞありける秋風にくれなゐの粥たてまつるべし

紅鶴(フラミンゴ)ながむるわれや晩年にちかづくならずすでに晩年

文学の塵掃きすててなほわれの部屋の一隅なるゴビ砂漠

死のかたちさまざまなればわれならば桜桃を衣嚢に満たしめて

またや見む大葬の日の雨みぞれ萬年青(おもと)の珠実紅ふかかりき

春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状
-------------------------------------------------------------------
塚本邦雄というと、天皇制や戦争ということに拘って作歌して来たと言われている。後の二首は昭和天皇崩御に際しての歌である。
----------------------------------------------------------------------
41srWqB+mXL.jpg

塚本邦雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塚本邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日~ 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。

寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。別名に菱川紳、鴻池黙示などがあるが、著書目録にある単行本や文庫本には、これらの著者名で出版されたものはない。 長男は作家の塚本靑史。

人物
滋賀県神崎郡南五個荘村川並(現東近江市五個荘川並町)に生まれる。母方(外村家)の祖父は、近江一円に弟子を持つ俳諧の宗匠だったという。1922年生まれという説もあるが、これは中井英夫が邦雄のデビュー当時、2歳若くすることで20歳代歌人としてやや強引に紹介したことから生まれた俗説である。1938年、神崎商業学校(現・滋賀県立八日市高等学校)卒業。彦根高商(現・滋賀大学)卒という説もあるが、本人が書いた履歴書にそのような記載は一切ない。卒業後、又一株式会社(現三菱商事RtMジャパン)に勤務しながら、兄・春雄の影響で作歌を始める。1941年、呉海軍工廠に徴用され、1943年に地元の短歌結社「木槿」に入会。終戦の年、投下された原爆の茸雲を仰ぎ見た記憶がいつまでも残ったと言う。

戦後は大阪に転じ、1947年に奈良に本部のあった「日本歌人」に入会、前川佐美雄に師事する。1948年5月10日、「青樫」の竹島慶子と結婚。山陽地方に転勤。翌年の4月9日、倉敷で長男・靑史誕生。その後、松江に転勤するが、鳥取在住の杉原一司と「日本歌人」を通じて知り合い、1949年に同人誌『メトード』を創刊。だが杉原は1950年に他界してしまった。

1951年、杉原一司への追悼として書かれた第一歌集『水葬物語』を刊行。同歌集は中井英夫や三島由紀夫に絶賛される。

翌年大阪へ転勤となり、中河内郡盾津町(現東大阪市南鴻池町)へ転居。当地を終の棲家とした。1954年、結核に感染したことが判明し、大東勝之助医師の指示に従い、2年間自宅療養に専念して克服する。回復後も商社勤務を続け、1956年に第二歌集『裝飾樂句(カデンツァ)』、1958年に第三歌集『日本人靈歌』を上梓。

以下24冊の序数歌集の他に、多くの短歌、俳句、詩、小説、評論を発表した。歌集の全冊数は80冊を越える。だが、邦雄の業績で特筆に値するのは、岡井隆や寺山修司とともに1960年代の前衛短歌運動を成功させたことである。またその中にあって「日本歌人」から離れ、永らく無所属を貫いていたが、1985年に短歌結社『玲瓏』を設立して機関誌『玲瓏』を創刊、以後(没後も)一貫して同社主宰の座にある。さらに近畿大学教授としても後進の育成に励んだ。

晩年にも旺盛な活動を続けていたが、1998年9月8日に妻・慶子が他界、2000年7月には自らの健康を損ねた。そのため、晩年を慮った息子の靑史が帰省し、同居して最期を看取った。2005年6月9日没。尚、玲瓏の会員らを中心に、以後、忌日は『神變忌(しんぺんき)』と称するようになっている。 以降に靑史の手で資料の整理がなされ、2009年1月末、自宅にあった邦雄の蔵書・直筆原稿・愛用品や書簡など様々な遺品が日本現代詩歌文学館へ寄贈されている。牧師で倉敷民藝館館長であった叔父・外村吉之介の影響で、聖書を文学として愛読したが、終生無神論者であった。 現在「塚本雄」は商標登録されており、商標権者は著作権継承者と同じく塚本靑史になっている。

作風
反写実的・幻想的な喩とイメージ、明敏な批評性と方法意識に支えられたその作風によって、岡井隆や寺山修司らとともに、昭和30年代以降の前衛短歌運動に決定的な影響を与えた。その衝撃は坂井修一、藤原龍一郎、中川佐和子、松平盟子や加藤治郎、穂村弘、東直子らのいわゆるニューウェーブ短歌にも及んでいる。作品では一貫して正字歴史的仮名遣い(旧字旧仮名)を貫いた。

よく知られた歌には次のものがある。
「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」(『水葬物語』巻頭歌)
「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」(『日本人靈歌』巻頭歌)
「突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼」(『日本人靈歌』)
「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」(『感幻樂』)

補遺
塚本邦雄の研究者として、島内景二による文学史的な研究のほか、安永蕗子、岩田正、坂井修一らによる短歌解説などには定評がある。またインターネット上では松岡正剛の解説が比較的よく知られている。

弟子には、研究者でもある島内景二の他、塘健、山城一成、江畑實、阪森郁代、和田大象、林和清、尾崎まゆみ、小黒世茂、大塚ミユキ、松田一美、佐藤仁、魚村晋太郎、小林幹也、森井マスミなどがおり、また北嶋廣敏、笠原芳充、酒井佐忠、橋本治、北村薫、中条省平、茅野裕城子、山口哲人ら多くの信奉者を得た。

邦雄についての資料には、齋藤愼爾篇『塚本雄の宇宙』(2005年・思潮社)や、弟子の楠見朋彦著『塚本雄の青春』(2009年・ウェッジ文庫、2010年ながらみ書房主催の前川佐美雄賞受賞)、塚本靑史が『短歌研究』へ奇数月に連載中の『徒然懐旧譚』などがある。

受賞歴
1959年 『日本人靈歌』で第3回 現代歌人協会賞 受賞
1987年 『詩歌變』で第2回 詩歌文学館賞 受賞
1989年 『不變律』で第23回 迢空賞 受賞
1990年  紫綬褒章 受章
1992年 『黄金律』で第3回 斎藤茂吉短歌文学賞受賞
1993年 『魔王』で第16回現代短歌大賞受賞
1997年  勲四等旭日小綬章 受章

作品
以下は一部のみ。著書の一覧表や在庫の有無については、玲瓏誌や玲瓏の会HPを参照。
ゆまに書房で『塚本邦雄全集』(全15巻別巻1、1998-2001年)が刊行。

短歌
水葬物語(1951年)
日本人霊歌
装飾樂句
水銀伝説
綠色研究
感幻樂
星餐図
蒼鬱境
青き菊の主題
されど遊星 
天変の書
詩歌変
黄金律
汨羅変(1997年)
約翰傳僞書
初學歴然、透明文法 等、間奏歌集や肉筆歌集を入れた歌集の総数は全80余冊。選歌集も多数あり。 『清唱千首―白雉・朱鳥より安土・桃山にいたる千年の歌から選りすぐった絶唱千首』

(撰著 「冨山房」で愛蔵版と新書版:冨山房百科文庫、各1983年)

樹映交感
ウルムスのかどで―横浜市立釜利谷南小学校校歌歌詞(木下大輔作曲)

俳句
断弦のための七十句、花鳥星月、青菫帖、燦爛、裂帛、甘露、流露帖

小説
藤原定家―火宅玲瓏
紺青のわかれ
連彈
菊帝非歌―小説後鳥羽院
獅子流離譚―わが心のレオナルド(集英社、1975年)
荊冠伝説―小説イエス・キリスト

評論
定型幻視論
序破急急
花隠論―現代の花伝書
麒麟騎手―寺山修司論
詩歌宇宙論
言葉遊び悦覧記
国語精粋記―大和言葉の再発見と漢語の復権のために
世紀末花伝書
百珠百華―葛原妙子の宇宙
新古今集新論
ほか多数

文庫
定家百首 良夜爛漫  河出文庫 1984年
十二神将変 同上 1997年
けさひらく言葉 文春文庫 1986年
源氏五十四帖題詠 ちくま学芸文庫 2002年
定家百首・雪月花〈抄〉 講談社文芸文庫 2006年
百句燦燦 現代俳諧頌 同上 2008年
王朝百首 同上 2009年7月
西行百首 同上 2011年3月
花月五百年 ゝ 2012年11月
茂吉秀歌 『赤光』百首 講談社学術文庫 1993年
茂吉秀歌 『あらたま』百首 同上 1993年  以下同
茂吉秀歌 『つゆじも』から『石泉』まで百首 1994年 
茂吉秀歌 『白桃』から『のぼり路』まで百首 1994年
茂吉秀歌 『霜』『小園』『白き山』『つきかげ』百首  1995年



コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.