
沙羅の花捨身の落花惜しみなし・・・・・・・・・・・・・石田波郷
私の歌にも「沙羅」を読んだ作品がある。 こんなものである。
散るよりは咲くをひそかに沙羅の木は一期(いちご)の夢に昏(く)るる寺庭・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
沙羅の花を詠んだ私の歌としては
沙羅の花ひそかに朝の地(つち)に還りつぶやく言葉はウンスンかるた
畳まで緑に染まる沙羅の寺黙読の経本を蟻がよぎりぬ
地獄図に見し死にざまをさまよへば寺庭に咲く夏椿落つ
が『嬬恋』『茶の四季』(いずれも角川書店)に載っている。これらも一体として鑑賞してもらえば有難い。
「沙羅」の花あるいは「沙羅双樹」というのは6月中旬になると咲きはじめるが、
これは平家物語の
<祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり、
沙羅双樹の花の色、
盛者必滅の理をあらはす>
に登場する有名な花であるが、実はインドの沙羅双樹とは無縁の木であり、「夏椿」を日本では、こう呼んでいるのである。 ↓

こういうことは、よくあることで、たとえば「菩提樹」と言う木は沙羅の木と同様にインドの木で仏教でお釈迦さまの木として有名だが、
ヨーロッパにもベルリンのウンター・デン・リンデン大通などにある木も菩提樹と呼ばれているし、歌曲にも菩提樹というのがあるが、これも全く別の木である。
「夏椿」は一日花で次々と咲いては、散るを繰り返す。
その儚(はかな)さが人々に愛された所以であると言われている。
沙羅の木=夏椿は、その性質上、寺院に植えられていることが多い。
京都のお寺では有名なところと言えば、
妙心寺の塔頭(たっちゅう)の東林院
城南宮
真如堂
法金剛院
宝泉院
などがある。その中でも東林院は、自ら「沙羅双樹の寺、京都の宿坊」とキャッチコピーを冠している程で「沙羅の花を愛でる会」というのが、この時期に開催されている。
この寺をネット上で検索すると、今年の会は6/15~30ということである。

写真③に見られるように、この時期には散った花が夏椿の木の下に一面に散り敷くようになり、風情ある景色が現出するのである。
いわば沙羅の花は「散った」花を見るのが主眼であるのだ。
だから私は歌で、わっと派手に散った花よりも咲く花が「ひそか」である、と表現したのである。
なお沙羅の字の読み方は「さら」「しゃら」両方あるが私としては「しゃら」の方を採りたい。
俳句にも詠まれているので、それを引いて終わりたい。「沙羅の花」が夏の季語。
踏むまじき沙羅の落花のひとつふたつ・・・・・・・・日野草城
沙羅散華神の決めたる高さより・・・・・・・・鷹羽狩行
沙羅は散るゆくりなかりし月の出を・・・・・・・・阿波野青畝
沙羅の花もうおしまひや屋根に散り・・・・・・・・山口青邨
天に沙羅地に沙羅落花寂光土・・・・・・・・・中村芳子
秘仏の扉閉ざして暗し沙羅の花・・・・・・・・八幡城太郎
沙羅の花見んと一途に来たりけり・・・・・・・・柴田白葉女
齢一つ享けて眼つむる沙羅の花・・・・・・・・手塚美佐
沙羅咲いて花のまわりの夕かげり・・・・・・・・林翔
沙羅の花夫を忘るるひと日あり・・・・・・・・石田あき子
沙羅落花白の矜持を失はず・・・・・・・・大高霧海
うっかりして忘れていたが、My Documentsの中に「夏椿の実」というのがあったことを今思い出したので、写真④に出しておく。

東林院でも、そうだが、この頃はインターネット時代で、神社仏閣も、競ってHPを作って参拝者を募っている。
私の友人で歌人仲間で奈良の藤原鎌足ゆかりの談山神社の神官二人がいるが、そのうちの一人はHPを担当して神社のHP製作にあたっている。
HPを開いてから参拝者が3倍になったという。そんな世の中になったのである。
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参考までに、インドに生えている「正当」な沙羅双樹の樹の写真を下記に載せておく。
写真の中に、この樹の「花」が咲いているのが見えるので、ご留意を。
この写真は「yun」の無料提供のものを拝借した。原寸は大きいが縮小した。

この写真に添えた「yun」氏のコメントに、こう書いてある。
<タイのバンコクにあるワット・ポー内に生えていたサラソウジュ(沙羅双樹)の木(フタバガキ科、学名:Shorea robusta、原産地:インド)です。釈迦(しゃか)が亡くなったときに近くに生えていたことで有名な「沙羅双樹」は平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり,沙羅双樹の花の色,盛者必滅の理をあらはす」でも有名。ただし、日本では育たないので夏椿を代用しています。写真内には花が咲いているのが確認できます。>
引用に感謝して、ここに御礼申し上げる。
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