K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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聖女ベルナデッタゆかりのサン・ジルダール修道院教会・・・・木村草弥
110521-lourdes7601サン・ジルダール修道院
↑ サン・ジルダール修道院教会
110521-lourdes7261ベルナデッタの棺が安置されている聖堂
 ↑ 聖女ベルナデッタの棺が安置されている聖堂
110521-lourdes6631サン・ジル 水の聖母
 ↑ 「水の聖母」像

──巡礼の旅──(15)─再掲載・初出2013/07/28

     聖女ベルナデッタゆかりのサン・ジルダール修道院教会・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この修道院は、奇跡の水で有名なルルドの聖女ベルナデッタが後半生の身を寄せたところであり、彼女は、ここで亡くなった。
ここ、ブルゴーニュ地方ニエーヴル県の県庁所在地ヌヴェールは、パリ南方約200キロのロワール川とヌヴェール川の交わるところにある。
ここには現在は、ルルドと同じように奇跡の洞窟が再現され、そこに湧く水もルルドから運ばれてきているという。
詳しくは、→ 「ベルナデッタの奇跡」のページに詳しい。

私は何も「奇跡」を信じているわけではないが、先に「ルルド」のことを書いたので、その延長線上のものと理解されたい。
「病を癒す奇跡の泉「聖地ルルド」への旅」については ← を参照されたい。

110521-lourdes7711聖ベルナデッタの遺体
 ↑ 聖ベルナデッタの遺体

ここでは聖女ベルナデッタの遺体も拝めるようになっているが、まるで生きて眠っているかのようだが、これはミイラ化した遺体の顔と指先を「蝋細工」加工したものである。

蛇足だが、
教会という単語は、カトリック教会といった意味の大きな概念から、個別の聖堂共同体(小教区)という意味まで、
かなり使い方に幅があると思われるが、後者の地元教会的な意味としては、

教会とは、多くの一般信者からなる信仰共同体で、司祭(神父)が奉仕職として司牧するところ、ミサに一般信者が集う。
他方、修道院とは、修道者による共同体で、それぞれの修道会の目的による修道生活を行なうところ。
一般信者の共同体である小教区(教会)を委託されている場合、教会への司牧も行なうが、 本質的には、修道生活を行なうことが本分だといえる。
修道会は多数あるが、大きく分類すると観想修道会と活動修道会の二種類があり、 前者は基本的に祈りを中心とした修道生活を行なう。
後者は教育など修道会それぞれの社会活動を通して、神の愛を告げ知らせる活動をする。

勉強に例えると、
教会とは皆が集まる教室のようなところ、修道院とは研究者による研究室のようなところ...といえるかも知れない。
「修道院も教会みたいにミサや冠婚葬祭などの儀式を行」なうが、それは修道活動の中で行なうものである。

修道会は修道者による会であり、男性の修道会と女性の修道会がある。
修道者とは「貞潔」「清貧」「従順」という誓願を立て、奉献生活を行なう人を言う。
家族を持たず、私有財産を放棄し、長上の指導に従い、徹底的にイエスに倣って生きる。
男性の修道者には、司祭(神父)に叙階された修道司祭と、司祭以外の形で修道生活を生きる修道士がいる。
女性の修道者(修道女)の場合、司祭叙階はない。
別の切り口からいうと、司祭には、教区司祭(一般の司祭)と修道司祭(上記の修道者である司祭)の二種類があることになる。

カトリックの場合は僧職者は、昔の仏教のように「妻帯禁止」である。
聖母マリアは大工である夫が居たが、処女懐胎によってキリストを産んだことになっている。
つまりキリスト教にとっては肉欲は「罪」なのであり、童貞、処女が清らかなものとされる。
修道者は、その理想を体現しているものとされるわけである。

そんなキリスト教にあっても、世の中、せちがらくなって、修道院入りをめざす人はめっきり減ってしまった。
入り手が無くなって閉鎖される修道院も珍しくない昨今である。


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