K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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光本恵子・第七歌集『紅いしずく』・・・・木村草弥
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↑ 第六歌集『蝶になった母』 角川書店2011/07/29刊

──新・読書ノート──

       光本恵子・第七歌集『紅いしずく』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・本阿弥書店2017/06/04刊・・・・・・

敬愛する光本恵子さんの最新歌集である。
この第七歌集の前に、二番目に掲出した第六歌集『蝶になった母』 角川書店2011/07/29刊 がある。
この二冊は、掲出した画像でも読み取れるように、義母、実母そして師・宮崎信義の死などに次々と直面する時期に重なるので切り離せないものである。
光本さんの本の編集は直近の数年の作品を除くもので、この歌集では2007年から2011年までの作品をまとめてある。
この編集の仕方は、古い編集のやり方と言えるもので、最近では直近の作品から編集するのが一般的である。
というのは、こういう直近の作品を保留するやり方では、現在の著者の「在り様」と乖離するからである。
一頃は、こういう直近の数年分の作品を、言わば「温める」という手法が採られた。
しかし、、今どきの、せちがらい時代に、現時点での著者の姿をぼやけさせるような「数年の保留を置く」手法は、ふさわしくない、と私は考える。今年は、はや2017年なのである。
しかし、これは私の主義であって、光本さんには独自の考えがあっていいのである。  閑話休題。

私は一読して題名にもなっている「紅いしずく」という言葉に立ち止まってしまった。
この歌は巻頭に近い2008年の作品で、「帯」裏にある五首の中にも採られていて、作者にも愛着のある歌だと思うのである。
  <厳寒の季節を耐えて身をよじらせ紅いしずくは花を咲かせる>
同じ項目の歌に
   <こぶしの大樹は待っていた 厳しい寒さを凌いで花を振舞う>
   <山と山の間から覗くあかねの光線は湖をつきぬけこの身に絡まる>
   <ほどけてゆく感覚の白い季節に湖は淡い水彩画を描きはじめた>
が続いている。 細かく引きすぎたかも知れないが、これらは一体として鑑賞しなければ「紅いしずく」という表現を読み解けないと思うからである。
「紅いしずく」とは「あかね色の朝日」の光に辛夷の花の雫が赤く光る、ということだろう。 この一連の、この比喩表現は、鮮烈である。
光本さんは、直接的な表現が多く、余り比喩を使わないが、この一連は生き生きと輝いて秀逸である。
信州の冬は厳しい。 作者の住む諏訪湖も凍結するなど寒さの厳しいことでは有名である。
これらの歌で、厳しい信州の寒さに「仮託」しながら、自由律の口語短歌の道に邁進する「覚悟」を表明された、と私は受け取った。

この歌集の、もう一つのハイライトは「死刑囚・岡下香」との歌のやり取り、歌集『終わりの始まり』の出版、死刑執行と献体、ということであろう。
この本にも「付録 死刑囚岡下香のこと」17ページが添えられている。
岡下の歌を少し引いておく。
   <壁の汚れはペンキでも塗り消せるけど罪の跡だけまた浮かんでくる>
   <獄舎にもあるささやかな幸せ 米粒ほどの蜘蛛が顔を見せたとき>
   <古里の三次 山河の恵みと人情を忘れはしないがもう戻れない>
   <夢を見て今日という日に行き止まり開ける怖さよ未来山脈の扉>
   <ようやく気づいた反省と償いの違い 償いは命を差し出したときに叶う>
いろんな誹謗中傷に耐えながら、歌集出版、面会、献体、と光本さんはキリスト者として、よく面倒を見られた。並の者には出来ないことである。
   <独房から小さな字でびっしり手紙をくれた もう届かぬ 八・四・十>
   <歌集『終わりの始まり』を遺し諦めと感謝の白い顔 忘れない>
「岡下香死刑執行」という項目の歌である。 この歌にある通り、死刑執行は2008/04/10であった、という。
そして「岡下香献体・火葬」の歌は
   <すべての罪は赦され 献体の肉塊は人の役に立ったと告げている>

   <平成二十一年一月二日食道癌 眠るように逝った宮崎信義九十六歳十ケ月>
   <光本たのむよ そのことばに支えられ今朝も編集に取り掛かる>
   <西村陽吉も土岐善麿も渡辺順三も啄木の血におどる口語歌のいま>
京都女子大学に在学中の頃から師事した宮崎は口語短歌運動の大きな指導者だった。
その「死」の瞬間が、ここに切り取られている。 切々たる募師の気持ちが表白されている。

続いて、光本さんが執着して取り組んでいる口語表現者「金子きみ」の存在がある。 それらを詠った歌。
   <「金子きみ偲ぶ会」終え飛び乗るあずさ号 心地よい疲れ>
   <恨みを残すな 開拓農民の意地を著した金子きみ『薮踏み鳴らし』>
小説家としても著作が受賞したという金子きみ。 光本さんが愛して執着する所以である。

前の第六歌集には、義母、実母などとの別れを詠った作品があった。 それらを受けた歌が、この本にある。
   <あの雲はかあさん そちらは義母さん あちらはじっと見詰める仔犬>
そして2008年には、実父の死があった。
   <脳梗塞で倒れ母亡き後は嫁のみゑちゃんに看取られて逝った父>
こうして身近な人々や歌の師や先輩の死を見送った後には、次女・玲奈さんの結婚があった。
   <娘よ何が起ころうともおまえの人生 暴風雨も明日は晴れる>
沖縄での結婚式の当日は嵐だったという。そこで、この歌の表白となった。
光本さんは長女出産の後「子宮ガン」に侵され必死の闘病の末、これを克服できた。 そして授かった次女の命だった。
それらの経緯は歌集『薄氷』 『素足』 『おんなを染めていく』エッセイ『夾竹桃』などに詳しい。

著者は、よく転ぶらしい。 私も何度か真剣に「転ばないように」と忠告したことがある。 そういう怪我を詠んだ歌。
   <額から雷にたたきつけられたような光 砕けた顔 私はどこにいるか>
   <ここはどこですか築地の聖路加です 日野原先生の病院だ>
他にも諏訪湖畔を散歩中にも転んだりしたことがある。 度々申し上げて失礼だが、齢を重ねると転ぶことが致命傷になることもあるので、ご注意を。

光本さんは京都に在学中に知り合った「彼」と、一旦は郷里の鳥取で教師になったのを振り捨てて、はるばる信州の彼の元へと嫁いできた。
前歌集では香港赴任中の彼の元へ出向いて東南アジアを旅したこと。ドイツ人のホームステイ人を頼って二人でドイツ、スイスを旅した一連が詠われたが、この本では、その後が続く。
   <やはり手が触れたり脚をぶつけたりくっついているほうがいい>
   <夫の造るイングリッシュガーデン 五トンの土入れ替えて薔薇が咲く>
   <牡蠣フライが食べたいと夫 幼い日の厨房よみがえる>
   <花いっぱいの庭 野菜よりバラと夫 物のない時代は野菜を作った>
   <チェロを弾き絵を描いて花をそだて古い家をまもるあなた>
「彼」は地元のオーケストラに所属して、チェロを弾く人である。 そんな「彼」との生活が、さりげなく、心温まる情景で詠まれている。

終わりに、光本さんの「覚悟」をさりげなく詠んだ歌を引いて終わりたい。
   <躓いても転んでもまた立ち上がればいい体験がわたしを創る>
   <迷い道こそ未知への遭遇 分水嶺の湖で背を伸ばす>
   <尻おおきく胸ぼいん 君の造った土偶のように胸を張る>

不十分ながら、この歌集の鑑賞を終わりたい。 ご恵贈有難うございました。   (完)



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