K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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陽が射せばトップレスもゐる素裸がティアガルテンの草生を埋む・・・・木村草弥
BERLIN~1
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    陽が射せばトップレスもゐる素裸が
          ティアガルテンの草生(くさふ)を埋む・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は最新刊の私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。
「ティアガルテン」とは、ドイツの首都・ベルリンの中心部に広がる広大な公園で、掲出写真二枚のようなものである。
プロイセンの頃は、王族の狩猟地だった。
写真①のロータリーの真ん中に立つのが「ジーゲスゾイレ」というプロイセンの勝利の塔であり、ここに上るとベルリンが一望できる。
Wikipediaには、次のような記載がある。

<大ティーアガルテン (Großer Tiergarten) はベルリン中心部、ミッテ区のティーアガルテン地区に位置する広大な公園。

単に「ティーアガルテン」といった場合には、この大ティーアガルテンのことを指す場合が多いが、同じくミッテ区のモアビート地区にもティーアガルテンという名の公園があるため、ティーアガルテン地区のものには「大」を、モアビート地区のものには「小」を冠して区別している。

総面積は210ヘクタールで、これはロンドンのハイド・パーク(125ヘクタール)やニューヨークのセントラルパーク(335ヘクタール)と並ぶ規模である。

かつては王家の狩猟場だった。1818年からと1832年-1840年の2回、造園家ペーター・ヨセフ・レンネによって現在の形に整備される。中心部に戦勝記念塔が建ち、公園内を6月17日通りが通る。西にエルンスト・ロイター広場、南西にベルリン動物園、東にブランデンブルク門がある。>

同じ歌集には、掲出の歌につづいて

  半年の長き冬なれば夏の間は陽に当らむと肌さらしゐつ

  湖と森の都のベルリンは<ゲルマニアの森>の逸話おもはす
・・・・・・・・・・・木村草弥

の歌があるので一体として鑑賞してもらいたい。

広大な森だが、ところどころに広い草生があり、夏の間は市民たちが、こぞって真裸になって「日光浴」をする。そんな写真をいくつか出しておく。 ↓

mm20120524101230_145044581日光浴
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ベルリンは東西ドイツに分かれていたときは「東ドイツ」に属していたので、長らく開発から置き去りにされてきたが、東西が一体化されて、ドイツの首都となったので、
以後の変貌は著しいものがある。
今回の拙歌集『昭和』に載せたのは「ベルリンの壁崩ゆ」──1990年夏── というものであり、ベルリンの壁が崩された1989年の翌年の夏の紀行が基になっている。

この項目のはじめに

  金髪のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す

  金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
・・・・・・・・・・・・木村草弥

の歌があるが、今どきならば、こんな光景はあり得ないが、当時は特に共産圏では「腋毛」を剃るという習慣はなかったのである。
西欧においても、パリなどでは「男の腋毛は良くて、女の腋毛は剃れ、なんておかしい」という運動さえあったのである。
この歌に登場するビルギュップ女史は、私たちのツアーのガイドなどなさっていただいたが、東欧華やかなりし頃は、政治家や学会などの重要な会議の通訳などをされたらしい。
世が世ならば、われわれ下々のツアーのガイドでお茶を濁すような人ではなかったのだが、東欧が崩壊して、仕事が無くなったので、働いておられるのだった。
私はベルリンには、数年後にもう一度行ったが、そのときはベルリンは大改造中で、歌集の中にも歌を載せた「パラストホテル」という東ベルリン有数の名ホテルも解体中だった。
「パラスト」というのは英語でいうと「パレス」宮殿の意味で、旧プロイセンの王宮の跡に建っていた。
つまりパレスホテルということなのであった。当然このホテルは東欧、東独のトップクラスの要人たちが屯するホテルだったようで、その「悪しき」権力のイメージが付き纏い、
なんども経営母体を替えたようだが、解体のやむなきに至ったらしい。
その、まさに解体最中のときに私の二回目のツアーが遭遇して、大きなショックを受けたことを、今も覚えている。
同じ一連に載る

  ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す・・・・・・・・・木村草弥

という教会も、歌集を読まれた三浦好博氏の手紙によると、「廃墟」ではなくて、最低限の補修をして「記念堂」として機能しているという。
今の写真を、下記に。 ↓ 右側のノッポの塔のようなのが「新」教会。

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事ほど左様に、ベルリンの変貌は著しい。

  「ベルリンの壁」とり去りて道となす傍に煤けし帝国議事堂・・・・・・・・・・木村草弥

と詠んだ議事堂も、二回目に行ったときは改修されて「新」ドイツ議会として、新たにドームも付加されたりして観光客を迎えていた。
どれもこれも、浦島太郎のような心境に陥る変貌ぶりであった。 ↓ 今の写真を出しておく。
1280px-Reichstag_panoドイツ国会議事堂

ここは1930年代に、ヒトラーが共産党に罪をなすりつけようと「放火事件」をデッチあげたことで有名だったが、敗戦、東西ドイツ分断などで放置されていた。
それらの経緯が、私の歌からも読み取れよう。

そういう意味でも、 この一連は私にとって「記念碑的な」ものと言えよう。歌集に敢えて収録した所以である。


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