
告ぐることあるごとく肩に蜻蛉きて
山城古地図の甦る秋・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、自選50首にも入れてあるのでWeb上でもご覧いただける。
この歌は歌会で「告ぐることあるごとく」という比喩と「山城古地図」の甦りとが巧みに照応して見事だと褒められて高点を得た思い出ふかい歌である。
とんぼは晩春から晩秋まで見られる虫だが、むかしから秋の季語とされている。
肉食で、昆虫を捕えて食べる。種類は日本で120、30種類棲息するが、均翅亞目の「かわとんぼ」「いととんぼ」は夏の季語となる。
これらは止まるとき翅を背中でたたむ。
不均翅亞目は止まるときも翅を平らにひろげ、後翅が前翅より広い。とんぼの多くは、こちらに属する。
図鑑の説明を読むと、なるほど、そうか、と納得する。
これから「赤とんぼ」の飛ぶ季節だが、古来、この赤とんぼ、あるいは「秋あかね」と呼ぶとんぼが、色も赤いく目立って多いので、秋の季語となったのではないか。
写真②は大型の「やんま」の種類である。

掲出した歌の載る一連を引いておく。
牧神の午後(抄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
告ぐることあるごとく肩に蜻蛉きて山城古地図の甦る秋
黒猫が狭庭をよぎる夕べにてチベットの「死の書」を読み始む
妻の剥く梨の丸さを眩しめばけふの夕べの素肌ゆゆしき
サドを隠れ読みし罌粟(けし)畑均(なら)されて秋陽かがやく墓地となりたり
花野ゆく小径の果ての茶畑は墓を抱きをり古地図の里は
秋風に運ばれてゆく蜘蛛の子は空の青さの点となりゆく
秋蝿はぬくき光に陽を舐めて自(し)が死のかげを知らぬがにゐる
牧神の午後ならねわがうたた寝は白蛾の情事をまつぶさに見つ
おしろいばな狭庭に群れて咲き匂ふ妻の夕化粧いまだ終らず
一茎のサルビアの朱(あけ)もえてをり老後の計画など無きものを
つぎつぎに死ぬ人多く変らぬはあの山ばかり生駒嶺見ゆる
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