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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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若松喜子歌集『砂嘴のソクラテス』・・・・・木村草弥
松永_NEW

──新・読書ノート──

       若松喜子歌集『砂嘴のソクラテス』・・・・・・・・・・・・・木村草弥

若松喜子さんの歌集が送られてきた。
私には未知の人である。「地中海」広島の松永智子さんのお弟子さんらしい。
「あとがき 1」を松永さんが、「あとがき 2」を若松さんが書いておられる。
それによると若松さんは、松永さんの夫君・松永信一氏の教え子であるらしい。
信一氏は広島大学国語科の教授であられたが若松さんの卒業の年の八月に亡くなられた、という。
若松さん夫婦はお二人とも同窓で、お二人とも教員生活を送られたようだ。 「あとがき 1」に松永さんが夫君・若松博史氏の名前を挙げておられる。

この本『砂嘴のソクラテス』は、昭和52年から平成28年までの525首を収録している。 この間に十年間の作歌活動の休止期間があるらしい。
全体はⅠとⅡに分けられているが期間の明示はない。
題名の採られた歌
   <青鷺が静止画像のごとたてり砂嘴のソクラテスとひそかに名付く>
というのはⅡの初めの方に載っている。 掲出した本の画像からも見てとれると思うが、獲物を求めて浅瀬に佇む青鷺の姿態を無駄なく描写して秀逸である。
なにぶん、休止時期を含めると50年という長い期間の歌であるから歌の総数はすごい数だと思われ、その中からの525首だから作者の姿を求めるのが難しい。
そんな事情をお許しいただいて、歌を抽出してみたい。

             Ⅰ
  <寒の日に裸足でピタピタ駈けてゆく一年九か月のいのちのあかし>
  <頭よせ砂場に屈む幼らの蟻を潰すと声ひそめあう>
  <オムレツを残して眠る子腕に重し乾ける泥の眉毛にのこる>
  <子は不意にスカートの裾にもぐりくる一年ぶりの勤めに出る朝>
  <取り合いの兄弟げんかを諫めつつ今万華鏡なりわれの子育て>

Ⅰの初めの方に載る「子育て」の歌から引いた。
子供たちの行動を微細に観察した佳い歌群である。

  <工場の夜学に学べるA子さん原綿を紡ぐつらさを告ぐる>
  <直立の真只中に淡淡とスト宣言書 われが読みあぐ>
  <何もかも急かるる朝なり鍵をかけ五人それぞれに出でゆくわが家>
  <四十五人思春期の子ら がっぷりと四つに組み合う四月となれり>
  <三十代最後の年の夏に挑み大山登山のメンバーに入る>
  <人が人を評価するというこの行為小さき文字に所見欄埋める>
  <われのする公開授業『万葉集』新しきチョーク五本確かむ>

作者の学校での活動を活写した歌を引いてみた。 日教組の強い時期だった。作者も結構、活動家だったのだろう。「スト宣言書」などという言葉は今では懐かしい死語となってしまった。
こういうように、歌というものは時代を、作者の原時点での姿を、記録に留めるものであるから、意識して詠み残したいものである。
「回想」の歌は弱い。 原時点での「現在形」での歌を詠みたい。
終わりからの二首など職場詠として極めて秀逸である。 作者の並々ならぬ才能を感じさせる。

  <ははに習い流れにむつき濯ぎおればくずれかけたる椿ちかづく>
  <母の日に届きし小荷物紐とけば姑(はは)の手揉みの新茶が匂う>
  <長病みの舅(ちち)をみとれる姑(はは)のいてふるさとはあり六百キロの果て>
  <鼻腔栄養の管に生かされ六か月小康状態に舅(ちち)はいませり>
  <東シナ海をみおろす白き病棟にちちを看取りて姑はいませり>

夫君の両親の故郷は鹿児島らしい。 年老いた両親の看取りの哀歓が、さりげなく見事に詠われている。

Ⅰの終わりに近い辺りにある歌
  <坂道はいずれも海につづく道 旧日本海軍造船の街>
  <教諭一児童数三の分教場新卒なりし夫の初任地>
  <対岸の街から届く正午の時報きっかり三分エーデルワイス>

二十年ぶりに訪れたという回想の歌である。 この町「呉」に著者は今も暮らすのである。
ここまでが、Ⅰの歌である。

             Ⅱ
  <光の粒はじき返す柿の実の緑ひときわ目に沁むあした>

Ⅱの項目のはじめに載る歌である。 
どういう情景で詠まれた歌か審らかには分からないままに引いてみたが「叙景」の歌として的確である。

  <出勤のはずの月曜その朝がいちばん寂しいと夫のことば>
  <二つ折りになりて痛みに耐える夫 だまって渡す乾いたタオル>
  <束ねられ届きし寄せ書き〈大好きな若松校長先生〉と児ら>
  <酒をのみ煙草をふかしあっさりと逝きしままなりふりむかぬなり>
  <生前の夫みずから書き置きし喪主の挨拶わたくしが読む>
  <二年間夫の書きたる闘病記痛みの記述そして空白>
  <はじめての四国遍路に発つあした外灯の下に長くバス待つ>
  <瀬戸内の夕凪好きになれぬと言いその一点を夫譲らず>

晩年の夫君に関する歌を引いてみたが、夫君の「死」を直接的に詠んだ歌は無いようである。
なにぶん歌の数が多いので、見落としがあればゴメンなさい。
「闘病記」などの記述があるので、こういう概念的なものでなく「具体」を盛った歌作りになっていれば、よかったのにと思う。
その他、作品は引かないが「宇品港」などの一連は細密な叙景になっていて秀逸である。

  <半年の入院生活左手首認識票をしずかにはずす>
  <爪を切るいや正しくは切ってもらう土曜日の午後 麻痺の右の手>
  <ああ、これはじょうびたきの声甲高く鳴き終りたりひとり春の日>
  <雨、雨、雨、歌詠むひと日暮れんとす病を得てより三年となる>
  <車椅子に乗るを忘るる秋の日のハウステンボス石畳なり>
  <山あいの校庭跡に日のありて車椅子停めさくら見上ぐる>
  <夫が逝き十一年なり山裾のえごの木にことしの花咲く>
  <若若しいひとの呼ぶ声こんなとき写真の夫のすこし寂しい>
  <麻痺の右手袖にとおしてひっぱってボタンを留める手順無駄なく>

著者の「病後」を詠んだ歌を引いてみた。
「病を得てより三年」とか「夫が逝き十一年」とかのフレーズが見えるが、それらの歌の「行間」に、並々ならぬ著者の苦闘を偲ぶしかない。
以上、おぼつかない思いのままに鑑賞を終わることをお許しいただきたい。
先にも書いたが、中断も含めて五十年という歳月は重い。 感想が断片的にならざるを得ないのが苦しい。
ご恵贈有難うございました。        (完)




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