
↑ 浜田昭則第三歌集『暗黒物質』

↑ 第二歌集『非線形』 2002/07田中美術印刷刊

↑ 木村草弥 第一詩集『免疫系』角川書店2008/10/25刊
──新・読書ノート──
浜田昭則・遺歌集『暗黒物質』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・青磁社2017/07/16刊・・・・・・
この本には巻末に浜田氏の顔写真入りの「略歴」と、牧雄彦氏の「あとがき 1」と娘さん浜田恭江さんの「あとがき 2」とが載せられている。
浜田氏は昭和16年満州生れ。 鳥取県の倉吉東高校から大阪大学理学部物理学科卒業。
各地の高校の理科教師を勤め、定年後も非常勤講師を経て、平成26年からは大阪教育大学の非常勤講師を歴任された。
そして昨年2016/07/16 に大動脈解離で死去された、いう。
私とは11歳も若い、惜しまれる死である。
私が短歌結社「地中海」に居たときに親しく付き合っていただいた。 大阪歌会などで一緒に過ごしたものである。
亡妻の死後は会うこともなくなり疎遠になっていたが私の歌集を出したときは欠かさず贈呈したし、年賀状だけはやり取りしていたが3年ほど前から音信が途絶えた。
今回、娘さんから本をいただいて書架から旧著などを引き出して読み返してみた。
第二歌集『非線形』の頃は、私はまだブログはやっていなくて、40首抄を書き出したものが、この本に挟み込んであった。
その中に、こんな歌がある。
<法螺貝のあをき音ながる法善寺横丁みだりがはしき席を>
ここ法善寺横丁には「正弁丹吾亭」(注・字は間違っているかも知れないのでお許しを)という居酒屋があって前登志夫や米満英男などの酒好きの歌人が屯していたらしい。
その米満氏と私の歌集の批評をしてもらった縁で知り合いになって、短歌関係の会のあとで梅田の阪急百貨店横で酒食を共にしたことがあり、酒の好きな浜田氏を誘ったことがある。
この歌のように浜田氏も誰かと、ここに行かれたことがあるのである。
その米満氏も先年亡くなられており、親しい人を、また喪った。
画像の3番目に出した私の第一詩集『免疫系』に、こんな歌がある。
比喩として二連──物理学徒A ・Hに──
<競馬場の帰りにつつく関東煮 非ユークリッドと君は言へども>
<「幾何学に王道はなし」弟子たりしプトレマイオスの治世はいかに>
ここにいう「物理学徒A ・H」というのが浜田氏のことなのである。
このくだりはもちろん浜田氏にもお伝えしたことである。
浜田氏は「競馬」も好きであった。お住まいの枚方市のすぐ先には淀の京都競馬場もあったし、よく出かけておられたらしい。
歌の中にある「関東煮(かんとだき)」とは「おでん」のことで、今はそんな言い方はしないが昔は関西では、そう呼んだのである。
前置きは、このぐらいにして本論の歌集に入りたい。
画像でも読み取れるが、「地中海」大阪支社長・牧雄彦氏による「帯」文と「あとがき」は懇切丁寧なもので、この本の要約は尽きていると思われるが私も少し書きたい。
さすがに「物理学徒」として浜田氏の歌は難解である。
私などは数学、物理が大の苦手で、小学生レベルの「ツル・カメ算」さえ覚束ない始末であるから歯が立たない。
したがって採り上げるのもエピソード的になるのをお許しいただきたい。
歌を引いてみる。
*言の葉を出ださぬ国になりゆくか液晶パネルに見入る猿たち → 「猿たち」とは痛烈な皮肉である。
*うばたまの暗黒物質のふところに育まれたりわれらの地球は
*この国に『塵劫記』あり寝る前にかたはらに置き開かず眠る
『塵劫記』は江戸時代の算術書。 1627年吉田光由執筆。
顕彰碑が常寂光寺にある。関孝和や貝原益軒などに影響を与えたという。
浄土経の「塵点劫」に由来するという。
*ヒトとしてよきことならむ休肝日人間として腑抜けのやうに → 「休肝日」にも手厳しい。
*このところウィキペディアには多からむ対称性の破れの検索 → ノーベル賞受賞の頃の光景である。
*取るにたらぬ会話とがまん重ねつつわが家の対称性を保てり
*ケータイは絆か時を食ひちらす蝗かひとこと仕舞ひなさいと → 浜田氏はケータイが嫌いである。
*つき合ひのほぼ半世紀短歌でなく民謡ほめくるる酒友の席に
*ほどほどに酔へばのみどもかろやかに貝殻節を唄ふひととき → 酒の歌は分かりやすい。
*ほろほろとゆく石だたみのれそれをあてに上燗酌みたる宵を
*炊きたてのぎんなん御飯ほこほこと冬立てる日のわが休肝日
*ふぐ料理つつきつつ酌む湯田の夜を獺祭といふ酒愛でながら
*待ちかねしをのこ来たりてはづみたり超対称性粒子さかなに
*先生の逝かれて二十六年目 オンザロックに浮かれてゐます → 内山龍雄教授。
酒に因む歌を並べてみた。 とにかく数が多いのは浜田氏が酒をこよなく愛したからである。
*かうやつて戦への道あゆみしか茂吉のわだち踏みたくはなし → 戦時中の歌人たちの聖戦賛美を批判。
*フクシマは安全ですよ あしたから秘密保護法にて守るゆゑ → フクシマ対応への批判。
*核物理を学びておよそ半世紀事故は「犯罪」と語りつづけて
*田村麻呂の嘆願空しく阿弖流為の果てし丘視る風邪癒ゆる朝 → 歴史的「弱者」への視線の温かさ。
原子力発電反対も浜田氏の持論であった。 アベの強行政治が露出している今、浜田氏はどう言うだろうか。
浜田氏が亡くなったのは、まさに末娘さんの十年目の命日だったという。 何という悲しい符合だろうか。
*ベガデネブ指になぞりてアルタイルひときは著く子の七回忌
*逝きし娘の魂はいづべに北の窓あけて呼びこむさくら吹雪を → 子を詠んだ絶唱である。
*すこしづつ吹雪にかすみゆく家並みこの地を離れ五十と二年
*あらたしき年の電話の母のこゑ二尺ばかりのゆきのつもるを
*ややはやき夕べの酒に酔ひをれば母危ふしと告ぐるいもうと
*小夜更けし仏間に眠る母のかほわが生きざまに思ひめぐらす
*まなぶたを拭ふいくたり託されし辞世の歌を詠み上ぐるとき
ご母堂さまに因む歌である。 悲しみの中で、よくぞ詠まれた。
牧氏の「あとがき」によると、浜田氏の歌は、全部27文字に統一されているという。 そんな営為も止めるという歌が巻末にある。
*二十七文字短歌よさらばいふほどの由もあらざる試みなれば
字面が綺麗に揃って見やすいが、そろえるのに苦労されただろう。 物理学徒らしい几帳面さである。
そろそろ拙い鑑賞を終わりたい。
*赤人のうた思ひつつときを待つ富士の高嶺のダイヤモンドを
*願はくは形而上から形而下に生きて知りたしダークマターを
*わかるほど解らない謎あらはれてわれから遠くなりゆく宇宙
専門家である浜田氏にしてもなお「解らない謎」があるという巻末の歌に、門外漢である私は少し救われた気分になった。
浜田さん、しばらくのお付き合い有難うございました。
まもなく私も、そちらに参ります。 (完)
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