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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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萩岡良博歌集『周老王』・・・・・木村草弥
周老王_NEW

──新・読書ノート──

      萩岡良博歌集『周老王』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・ながらみ書房2017/10/10刊・・・・・・

萩岡氏は前登志夫創刊の「ヤママユ」の編集長をなさっている。
この本は『空の系譜』 『木強』 『禁野』につづく第四歌集になる。
私の歌集刊行とともに、やり取りをしていて、その彼の歌の鑑賞を私のブログに載せてきた。
ご参考までに前歌集『禁野』 ← についての私の鑑賞は、ここで読めるのでアクセスされたい。

題名とカバー画については少し説明が必要だろう。
「あとがき」に、こう書いてある。

<歌集のタイトルとした「周老王」も、今はもう失われてしまった うぶすな宇陀の地名のひとつである。> 
それは次の歌から採られた。
    <うぶすなに周老王とふ字(あざ)があるその謂れもはや審らかならず>
    <匿はれ老いたりければ修羅王は周老王と言はれたりしか>

古代の事象と地名である。 それを<この歌集の中だけででも、非在のひかりを放っていることを願っている。>として拾い上げたのである。
蛇足的に書いておくと「非在」という言葉は先師・前登志夫の好きな言葉であった。

装画は宇陀市役所のホールに掲げてある吉田初三郎の「大和宇陀神武天皇御聖跡御図絵」の一部を市の了解を得て使っているという。
萩岡氏は長く郷土で学校長などを勤められた人であり、教育関係に詳しい名士であるから当然の許可であろうと推察する。
萩岡氏は以前から、郷土─産土(うぶすな)に強いこだわりを持って歌にして来られた。
この本も、それの延長上にあるものである。
その上に今回の歌集は、かけがえのない存在としての「老いる父母」を多く詠っているのが特徴である。
以下、巻を追って歌を挙げてみる。

   *雪の森に雪けむり立つきらきらと時間はときに見ゆることあり
   *蕗の薹天麩羅にして食べをり身過ぎのにがさも春の香に立つ
   *蕗のたう食べつつ思ふいつまでも恋のにがみはさみどりのまま
   *枯れ野焼く野火が走れり短歌とは永遠とぢこめるしなやかな檻
   *驟雨来ぬぴたりと蝉のこゑやみて樹樹の時間があをくざわめく

「うぶすな」を詠んだ歌を引いてみた。
都会暮らしの人には見えない時空である。 「しなやかな檻」 「樹樹の時間があをくざわめく」などの、さりげない比喩が的確である。

   *胸鰭の痛む夜なりさういへばながく泳がぬ岩間にありて
   *ほんたうの青は汚れぬかぶらさがるあけびをあふぐ空のしづもり
   *崖つたふ真水の夢を濡れ地蔵ほろろみどりの泪に見する
   *蜘蛛の網に塩辛とんぼかかりゐて晩夏の夕映えなかなか果てぬ
   *陽が昇り醒めゆく邑をにじ色の霧がつつめりしばし繭色

田舎人なればこそ見える世界がある。 田舎暮らしというものは、そういうものである。
私も田舎人であるから、こういう叙景と、そこから深まる「心象」には心から敬意を表したい。 お見事である。
いま少し歌を抽いてみよう。

   *ひるがへる若葉に迷ふわが額を踏みて行くなり孕みし鹿は
   *奥宇陀のみどりに迷ひ行きゆけば胎中といふ村に出でたり
   *ふつか家を空けしあひだに青虫は柚子の若葉を食みつくしたり
   *若夏の金魚売り来てぽんぽんはぜ屋、かうもり傘の修繕屋も来つ
   *つぶやきは雨をよび本降りとなりぬ「さよなら三角また来て四角」

「胎中」というような地名も激しい「喚起力」をもって我々に迫ってくる。 つねづね私の言っていることである。
今はもう消え去って無くなった風習や伝承、行事なども同じことである。
「金魚売り」「ぽんぽんはぜ屋」「かうもり傘の修繕屋」なども消えた風景となった。
「ぽんぽんはぜ屋」は、当地では「ポン菓子屋」という。
「ふつか家を空けた間に若葉を食みつくした青虫」との確執なども田舎ならではの光景である。その虫の除去なども一つの「仕事」となるのである。

   *行水も猫のゆまりも覗き見し昭和の塀に節穴ありき
   *田の畦に裾をからげてゆまりする老婆がをりぬまなうらの夏

「ゆまり」とは排尿のことである。 「裾をからげてゆまりする老婆」とは、どういうことか、理解できないと思うので解説してみよう。
昔は今のようにパンティやズロースを履いていなかった。「腰巻」という下着だった。だから、それを捲り上げて腰をかがめて排尿できるのだった。
だから男用の小便器にも後ろ向きに屈んで尻を突き出して、シャーと排尿できたのである。

   *共稼ぎの妻を職場の論理で言ひ負かす梅雨寒の夜を酔ふままに
   *ベルボトムのジーンズに下駄かつかつとさみしき硬派気取りてゐたり
   *めざむれば雪の朝なり夢に見しひとの乳房の感触のこる
   *見つからぬ まだ あはゆきの汝が胸のしろき曠野をさまよつてゐる
   *CカップD・Eカップ闊歩するさくら咲く街あふぎつつゆく

父母の老いの看取りが著者ひとりでは出来なくなり奥さんも早期退職された。
著者の若かりし頃の回想の歌、そして「情念」に満ちた歌などを引いた。 こういう若さこさ歌の根源である。 せいぜい詠まれたい。
そして、著者も「あとがき」に書く通り、全巻を占める父母の老いをめぐる歌を引く。

   *杖にすがり父は記憶に生きてゐる兵士となりて真夜を歩めり
   *夢を病む父睡らせてしののめのクレマチス咲く庭に降り立つ
   *「このひとらぼけてはんねん」ケアハウスのある日の母の内緒の話
   *あけびの実割れゆくまでをちちははの衰へゆくを目守りつつ 秋
   *広告の裏に書かれし母のメモ走り書きなれど正字体なり

   *あの夏の忍びがたきを忍び来つ父は鎖骨に星を刻みて
   *口あけてかすかにほうけたる老い父が見上げる空に朴の花咲く
   *父危篤ただに急げる病院へ赤信号にことごとく遭ふ
   *あつ気なく父逝きたまふあつ気なく逝かしめしこと孝養として
   *掌をにぎりつつ思ひをり三日前に手指の爪を剪りやりしこと

父を詠った歌を引いた。
父は朝鮮済州島で、陸軍上等兵として終戦を迎えた。
著者は、この歌集は「グリーフワーク」だという。グリーフとは死別などによる深い悲しみ、の由である。

   *物置にほうけたる母の仕舞ひおきし蒔かるるを待つ種子のしづけさ
   *足をもてばもつたいないと言ふ母の歩けぬ足の爪を剪りたり
   *ほうけゆく母はかなしも風呂に入れてやさしく洗ふ血縁の尾を
   *襁褓とれぬをさなと介護パンツ穿く母が炬燵に蜜柑食みをり
   *生くるとはまづは喰ふこともみないと言ひつつ母は粥を喰ひをり

介護─看取りは理屈ではない。肉親の場合「情」がからむから余計に難しい。 そういう情景をさらりと歌にされた。
いよいよ鑑賞を終わりたい。
巻末には、こんな歌が置かれているる

   *母は沼おぼろおぼろと深みゆきてぬきさしならぬまでにいとほし
   *雪の上にけもののあしあとてんてんとつづきてをりぬ母のなづきへ

「ぬきさしならぬまで」という字句に、言外にさまざまの事象を想像させて秀逸である。
すべてを語りきらずに「言いさし」の形にとどめた技法に感心する。
末尾の歌は三字だけを漢字にして、あとは「かな」にしたところが味わい深い。
「雪の上にけもののあしあとてんてんと」という個所には大和宇陀の地の佇まいを見る心地がして成功している。

佳い歌集を贈呈いただいた。 深い余韻のうちに鑑賞を終わることをお伝えしたい。
有難うございました。 母上をお大事に。      (完)






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