FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202007<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>202009
妻と寝て銀漢の尾に父母います・・・・・・・・・・鷹羽狩行
natuama天の川②

  妻と寝て銀漢の尾に父母います・・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

「天の川」は一年中みえるが、春は低く地平に沿い、冬は高いが光が弱い。夏から秋にかけて、写真のように起き上がり、仲秋には北から南に伸び、夜が更けると西の方へ向かう。「銀漢」とは「天の川」のことである。

天の川の句としては芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」などの秀句があるが、敢えて、この句を選んだ。
折りしも、月遅れのお盆であり、父母を偲ぶにはよい句である。
「います」は尊敬語であり、「坐す」「在す」であって接頭語「い」+「ます」─「いらっしゃる」の意味。古語辞典には用語の例もあがっているが省略する。

天の川は英語では「ミルキー・ウエィ」というが、これはギリシア神話の最高神ゼウスの妻・ヘラの乳が天に流れ出したものというところから由来する。
実際は、銀河系の淡い星たちの光が重なりあって白い帯となって見えるもの。
銀の砂のように美しく、七夕伝説とも結びついて「星合」の伝統となっている。
『万葉集』に山上憶良の歌

  天の河相向き立ちてわが恋ひし君来ますなり紐解き設(ま)けな

の歌が、古くからあり、美しさと星合の七夕伝説とが結びついてイメージされている。
以下、歳時記に載る天の川の句を引いておく。

 北国の庇は長し天の川・・・・・・・・・・・・正岡子規

 虚子一人銀河と共に西へ行く・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 別るるや夢一筋の天の川・・・・・・・・・・・・夏目漱石

 天の川人の世も灯に美しき・・・・・・・・・・・・沼波瓊音

 草原や夜々に濃くなる天の川・・・・・・・・・・・・臼田亞浪

 銀河より聞かむエホバのひとりごと・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 天の川怒涛のごとし人の死へ・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 遠く病めば銀河は長し清瀬村・・・・・・・・・・・・石田波郷

 けふありて銀河をくぐりわかれけり・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 ちちははに遠く銀河に近く棲む・・・・・・・・・・・・上村占魚

 天の川逢ひては生きむこと誓ふ・・・・・・・・・・・・鷲谷七菜子

 乳足りて息やはらかし天の川・・・・・・・・・・・・石塚悦郎

Per_20080813_0414sペルセウス2008

この句とは直接の関係はないが、私はこんな歌を創ったことがある。
(第四歌集『嬬恋』所載)

わがいのちいつ終るべきペルセウス流星群の夜にくちづける・・・・・・・・・・・木村草弥

銀河からの連想であるが、今しもペルセウス流星群の活動の激しい時期である。


コメント
コメント
わたしたちの銀河系、わたしたちの太陽系
わたしたちの、と頭につけることによって他の銀河系や他の太陽系と区別することが普通ですが、どうやら「わたしたちの銀河系」には「天の川銀河」という名前がついたようです。(かなり前からだと思いますが、いつからかはわかりません)

英語では相変わらずミルキーウェイとしか表現されていないですが、英語は曖昧表現をしないですから、我々の所属する・・・などの説明がちゃんとつくから問題はないのだと思います。

学生の頃に、ペルセウス座流星群の観望に乗鞍岳に上がったことがあって、そこで初めて天の川を見ました。
天の川が眩しすぎていつもの星座を見つけることができないという貴重な体験もしました。
それにしても寒かったです。 完全冬装備でしたが・・・
2009/08/15(土) 14:44:45 | URL | デュエット #- [ 編集 ]
すみません、もうひとつ
遠く病めば銀河は長し清瀬村・・・・・・・・・・・・石田波郷

これは東京の清瀬市ですね。
昔はこのあたりは結核療養のためのサナトリウムがたくさんあったと聞いています。
私の父は清瀬市にある国立の肺専門の病院にかかっていました。
今は建て替えてしまいましたけれど、15年ほど前は広大な敷地に建物が散立して、玄関から父の病室まで延々と歩いたのを覚えています。
もう結核患者はほとんどいなくて、肺がんと肺気腫の患者さんばかりでした。(父も肺がんでした)

となりのととろ、もこのあたりが舞台ですね。
お母さんがサナトリウムで療養中、お父さんと娘二人が近くの狭山丘陵に引っ越してきた。
そこには猫おばけがいて・・・という設定でした。
あれは昭和三十年代前半、二十年代かな。
遠く病めば銀河は長し清瀬村、の面影が感じられますね。
2009/08/15(土) 14:53:53 | URL | デュエット #- [ 編集 ]
私も「結核」患者でした
■デュエットさま。
お早うございます。
よく読んでくださいました。
「銀河」の話は置いておきます。
昔は結核が、物凄く蔓延していて、私の家も結核に痛めつけられました。
長兄・庄助は昭和十八年に結核で死亡(彼の日誌を元に太宰治の『パンドラの匣』が書かれました。この小説の解説に明記されています)。姉・登志子、妹・京子はいずれも結核で死亡。
父と私も発病したのが戦後でしたので、特効薬が出来ていたので死なずに済みました。
だから私宅は「肺病筋」と言って嫌われていました。(結核は空気伝染ですから怖いです)
お引きの石田波郷も清瀬で死にました。
私の父は結核では死ななかったのですが、最後は食道ガンでした。
詳しく読んでいただいて有難うございます。
では、また。
2009/08/16(日) 05:07:12 | URL | sohya #- [ 編集 ]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.