
──季節の一句鑑賞──冬の暖房3題──
■温石(をんじゃく)の抱き古びてぞ光りける・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏
温石オンジャクとは昔なつかしいものである。
写真①は「蛇紋石」を細工して磨き上げ、いわゆる「温石」用にしたもの。
石を熱湯で暖め、布で包んで身体にあてて暖めたのである。この句の作者は山梨県の昔の人であるから、この頃には普通に見られたものであろうか。
歳時記を見ると、長野県高遠辺で採れる黒い石─その名も温石石も広く用いられたという。また石の代りに「こんにゃく」なども茹でて使われたという。
これを器具化したものが「懐炉」であり、これにも色々のものがあった。
私の母も懐炉のことを「おんじゃく」と呼んでいた。これも「温石」の本来のものの呼び名が変化して使われていたものである。
草庵に温石の暖唯一つ・・・・・・・・高浜虚子
温石のただ石ころとさめにけり・・・・・・・・野村喜舟
温石や衾に母のかをりして・・・・・・・・小林康治
温石の冷えて重しや坐薬了ふ・・・・・・・・木附沢麦青

■みたくなき夢ばかりみる湯婆(たんぽ)かな・・・・・・・・久保田万太郎
「ユタンポ」は今でも使われているもので、ブリキ製、プラスチック製、ゴム製などさまざまある「保温器具」である。 掲出したのは「銅」製で高価なもの。
中に入れるのは熱湯だから、それ以上には過熱しないから、安全で、むっくりした温さのものであった。
『和漢三才図会』には「湯婆 太牟保(たむぽ)。唐音か。按ずるに湯婆は、銅をもつてこれを作る。大きさ、枕のごとくして、小さき口あり。湯を盛りて褥傍に置き、もつて腰脚を暖む。よりて婆(うば)の名を得たり。竹夫人とこれと、もつて寒暑懸隔の重器たり」と書かれている。寒さの折の身辺の必要品であったことを面白く記している。
折しも厳しい寒さの今冬とあって、しかも節電も言われて「ユタンポ」が見直されて、よく売れているらしい。
私は二月七日生まれだが、この年は大変寒い年で、私は病弱でもあったから、「陶」製の、かまぼこ型のユタンポを体の両脇に二個抱えて寝かされていたらしい。
上部に穴があって、お湯を注ぐ式のものである。 母から、よく聞かされた。
碧梧桐のわれをいたはる湯婆かな・・・・・・・・正岡子規
湯婆の一温何にたとふべき・・・・・・・・高浜虚子
寂寞と湯婆に足をそろへけり・・・・・・・・渡辺水巴
老ぼれて子のごとく抱くたんぽかな・・・・・・・・飯田蛇笏
湯婆や忘じてとほき医師の業・・・・・・・・水原秋桜子
湯婆抱く余生といふは侘しくて・・・・・・・・栗生純夫
ゆたんぽに足あたたかく悲しかり・・・・・・・・三浦ふみ

■手あぶりや父が遺せる手のぬくみ・・・・・・・・・・・北さとり
「手焙」とは小さな個人用の火鉢で、手をあぶるのに使うが、膝に乗せるほどのものもある。陶器、金属などで作る。形も色々である。
蓋がついて穴の開いているもの、つるや紐をつけて持ち運びできるようにしたもの、籐のかごをかぶせたものなどある。
数人から十数人の宴席などでは、その人数分の「手あぶり火鉢」を各人の席の横に配置する。
昔は建物や部屋全体を暖めるということはしなかったから、「火鉢」というのが唯一の暖房器具だった。「手炉」とも言う。
今では、こういう小さな火鉢は室内装飾用に売られていて、一個数千円からある。
ぼんのくぼ夕日にむけて火鉢かな・・・・・・・・小林一茶
手あぷりに僧の位の紋所・・・・・・・・高浜虚子
かの巫女の手焙の手を恋ひわたる・・・・・・・・山口誓子
彫金の花鳥ぬくもる手炉たまふ・・・・・・・・皆吉爽雨
かざす手の珠美しや塗火鉢・・・・・・・・杉田久女
手あぶりや雪山くらき線となりぬ・・・・・・・・大野林火
縁談や手焙の灰うつくしく・・・・・・・・・萩原記代
手炉の火も消えぬお経もここらにて・・・・・・・・森白象
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