
↑ 草津白根山 「湯釜」

本白根と地の人呼びぬしんかんと
エメラルド湛(たた)ふ白根の火口湖・・・・・・・・・・・木村草弥
急に爆発して死者も出た草津白根山のことだが、ここには2000年の初夏に亡妻・弥生と出かけて、ここに掲出した歌は、そのときに作ったもので私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せた。
この本は2003年7月に刊行したもので、「あとがき」には弥生の病気は快復したように書いてあるが、それは対外的な言葉であって、本当は弥生の「宿痾」は助からない方向に進行していたのである。
だからこそ、この後は私は歌壇との縁を切って専ら弥生の病気と付き合う日々を送る決意をしたのであった。
この火口湖には万座温泉に宿泊した翌日に行った。
万座温泉は、草津温泉から山を越えた側にあり、多くのホテル、旅館が建っている。
湖のすぐ近くまでバスで行けて、そこから歩いてゆく行程になっているが、弥生は息が苦しいと言って途中でやめた。
思えば、このとき弥生の心臓は、だらだら登りの道だが、耐えられなかったのであろう。彼女を残して私だけがエメラルト色の水面を見に行ったものである。
爆発した今になって、本白根山の方は長らく活動していないので盲点になっていたと言われているが、実際に私のように、すぐ近くまで登れたのだった。
登山とかいうのではなく、観光地のような扱いの、ゆるい丘のような扱いだった。
観光道路には「草津白根レストハウス」というのがあり、高さこそ2000mを越える地点だが完全な穏やかな観光コースなのであった。
この歌集の巻末の「嬬恋」という一連の歌を引いてみる。
草津なる白濁の湯にひたるときしらじらと硫黄の霧ながれ来る・・・・・・・木村草弥
ゆるやかに解(ほど)かれてゆく衣(きぬ)の紐はらりと妻のゐさらひの辺に
睦みたる昨夜(きぞ)のうつしみ思ひをりあかときの湯を浴めるたまゆら
柔毛(にこげ)なる草生の湿り白根山の夕茜空汝(なれ)を染めゆく
この万座温泉などの山を下りてゆくと、高原野菜栽培で有名な嬬恋村の辺りにさしかかる。
嬬恋を下りて行けば吾妻(あがつま)とふ村に遇ひたり いとしき名なり
吾妻氏拠りたるところ今はただキャベツ畑が野づらを埋む
視(み)のかぎり高原野菜まつ黒な土のおもてにひしめきゐたり
黒土に映ゆるレタスがみづみづし高原の風にぎしぎしと生ふ
今も、この光景は生きているだろうと思う。 ただ厳寒の今の季節は厚い雪に覆われているのではないか。
草津白根山爆発のニュースから私の旧作を思い出したので、敢えて書いてみた。
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話は替わるが、今朝の新聞は自民党の重鎮だった野中広務の死を報道した。
京都府は園部町の出身で京都府会議員から国会議員になり幹事長や官房長官を歴任した。
京都府会議員のときには、その頃の京都府に君臨していた蜷川虎三知事を引きずりおろすことに執心し、これに成功した。
国会議員になってからも、権謀術数あらゆる手を使って、政界を渡り歩いた。
晩年は農水省管轄の「土地改良事業」理事長として農水省利権を、ほしいままにした。
反小泉の急先鋒だったりしたが、自身の経験から根っからの「平和主義者」で、憲法9条の厳守を言いつづけ、今のアベの路線には反対の姿勢を貫いた。
この頃の自民党には、こういう自由な空気もあったのである。
「一時代が終わった」という感慨である。 92歳だった。
アベ路線の危険な歩みが顕著な今、敢えて書いておく。
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