
きさらぎの空ゆく雲を指さして
春ならずやと君にささやく・・・・・・・・・・・・・・太田水穂
きさらぎ、は新暦の3月として今の時期に採りあげた。
この歌は相聞歌として受け取れよう。
水穂の第一歌集『つゆ草』明治35年刊に載るものだから、相聞歌と断定して、間違いなかろう。
そういう目で読むと、若者の愛の告白の歌として、みずみずしい情感に満ちた佳い歌である。
君が手とわが手とふれしたまゆらの心ゆらぎは知らずやありけん
という歌があるが、これも同時期に作られた歌であろうか、相聞歌として受け取りたい。
太田水穂は明治9年長野県東筑摩郡生まれの人。高女の教諭や大学の教授などを務める。
大正4年短歌結社「潮音」を創刊。阿部次郎・安倍能成らと芭蕉研究会を結成し「日本的象徴」主義を主張する。「潮音」は今も大きな結社として短歌界に一定の地歩を占めている。
先の第二次大戦中は軍部の文芸界統制のお先棒をかつぎ、戦後、厳しい批判を受けることになる。
水穂の歌を少し引いてみよう。
ほつ峯を西に見さけてみすずかる科野(しなの)のみちに吾ひとり立つ
あけ放つ五層の楼の大広間つばめ舞ひ入りぬ青あらしの風
さみしさに背戸のゆふべをいでて見つ河楊(かはやなぎ)白き秋風の村
をちこちに雲雀あがりていにしへの国府趾どころ麦のびにけり
豆の葉の露に月あり野は昼の明るさにして盆唄のこゑ
張りかへてみぎりの石の濡るるほどあさしぐれふる障子の明り
青き背の海魚を裂きし俎板にうつりてうごく藤若葉かな
まかがよふ光のなかに紫陽花の玉のむらさきひややかに澄む
すさまじくみだれて水にちる火の子鵜の執念の青き首みゆ
命ひとつ露にまみれて野をぞゆく涯なきものを追ふごとくにも
おおい次郎君かく呼ぶこゑも皺枯れてみちのくまでは届かざるべし──(阿部次郎氏に)
もの忘れまたうちわすれかくしつつ生命をさへや明日は忘れむ
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引用した歌の終りの頃のものは、晩年の悲痛な響きを持っている。昭和30年没。
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