

──月刊「茶の間」──連載(3)
月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第三回・・・・・・・・・・・・・木村草弥
妻消す灯(ひ)わが点(とも)す灯のこもごもに
いつしか春となりて来にけり・・・・・・・・・・・木村草弥
今回は少し茶から離れてみたい。
この歌については奈良教育大学書道科教授の吉川美恵子先生が書にして下さって表装もして床の間に飾っている。
丁度、亡妻に病気が見つかった微妙な時期だった。
それだけに私にとっても思い出の詰まった歌である。 『嘉木』所載。
二つ書いてもらって、もう一首。
かがなべて生あるものに死は一度 白桃の彫りふかきゆふぐれ
少し説明が必要だろう。「かがなべて」というのは日数を重ねて、ということである。
人間はいつかは死ぬものである、という私の死生観を表現したものと言っていい。
なお「桃」というのは、文芸では「女性の尻」を比喩(ひゆ)する約束事があるので、
私の歌は、それを踏まえて作ってある。つまり「死と生」という対比を表現したのだ。
二月に咲き始めた「梅」が三月には満開になる。
「花」というと俳句や短歌の世界では、「桜」を指すことになっている。
そういう約束事なのだが、『万葉集』の頃は「梅」の花を指していた。
それが『古今和歌集』の頃から「桜」に替わったそうだ。
私の住む地域は青谷梅林として鎌倉時代から有名である。
そんなこともあり私は「梅」が好きである。
香りも高く奥床しいところもよい。
桜のように一刻にわっと咲いて、すっと散る花よりも、一か月も長く咲き続ける梅が好きなのである。
満開の梅の下にてわれ死なむと言ひし姉逝き五十年過ぐ
梅に因んで二十二歳で死んだ長姉・登志子を詠んだ歌を上げた。
春の野っ原には蓮華(れんげ)やたんぽぽが咲きはじめる。
どちらも今では、すっかり西洋種に制圧されたようだが、そんな風にして次第に春は深まってゆくのである。
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本文は字数の制限もあるので、書ききれなかった点を補足しておく。
三番目の私の歌のことだが、西行の有名な歌に「花の下にてわれ死なむ」というのがあるが、これは、もちろん「桜」のことである。それを知っていた姉・登志子は郷土の花─「梅」に置き換えて言っているのである。
姉の死は、時に昭和19年2月19日のことであった。
今号の表紙に載る女の人・山本未来は、デザイナーとして高名な山本寛斎の娘さんだという。
オーディションに応募するときも、寛斎の娘であることを隠して、自分だけの実力で選考に勝ち残ったのだという。立派なものだ。
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