
湾曲し火傷し爆心地のマラソン・・・・・・・・・・・・金子兜太
前衛俳句の巨頭として活躍していた金子兜太が亡くなった。 98歳だった。
俳句に触れたのは子供の頃で、開業医の父が秩父の自宅で頻繁に開いていた句会を見学していた。
東大を出て日本銀行に勤めたが応召して海軍主計中尉で南方のトラック島に赴任したが、部隊は孤立。多くの兵士が死んだ。
その時に詠んだ句
<水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る>
帰国して復職した日銀では、組合運動に突き進み、幹部としての出世に反逆し、各地の支店を転々とする。
掲出の句は、被爆地の長崎で作った作品である。 結社誌「海程」を主宰する。
自身の経験から、平和運動には関心を示し、晩年には「アベ政治を許さない」と揮毫するなど積極的に発信していた。
2月21日の京都新聞夕刊のコラムに或る文筆家が書いている。
<戦争を知っている世代が社会の中核にある間はいいが、戦争を知らない世代ばかりになると日本は怖いことになる>と言ったのは田中角栄だ、と。
アベ政治こそ、その典型であろう。
そんな意味でも、金子兜太氏の死去を心から悼むものである。
庶民的で飾らない小林一茶の句を愛した。
私の好きな作品を引いておく。
木曽のなあ木曽の炭馬並び糞(ま)る
魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ トラック島にて二句
海の青雲生き死に言わず生きんとのみ
青年鹿を愛せり嵐の斜面にて
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく
どれも口美し晩夏のジャズ一団
鶴の本読むヒマラヤ杉にシャツを干し
男鹿の荒磯黒きは耕す男の眼
犬一猫二われら三人被爆せず
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫を歩む
馬遠し藻で陰(ほと)洗う幼な妻
海とどまりわれら流れてゆきしかな
富士たらたら流れるよ月白にめりこむよ
梅咲いて庭中に青鮫が来ている
遊牧のごとし十二輌編成列車
曼殊沙華どれも腹出し秩父の子
麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人
酒止めようかどの本能と遊ぼうか
| ホーム |