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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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アンソロジー「詩と詩人集2018」:掲載作品「買春という言葉」・・・・木村草弥
詩と詩人_NEW

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↑ 参考画像の一例 風俗研究者・石黒敬章の本
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品「草の領域」──(92)

      買春(かいしゅん)という言葉・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
        ・・・アンソロジー『詩と思想詩人集2018』所載・土曜美術社出版販売刊・・・

もう二十数年も前のことになるが、私の旧制中学から大
学も同じ友人で、某一流会社の専務まで勤めて威張って
いた男が、放送局のアナウンサーが「買春」を「かいし
ゅん」と読み上げるのは、けしからんと、私あての手紙
で言ってきたことがある。
結論を先に言っておこう。
「買春」を「かいしゅん」と読むことは正しい。
日本語というのは「音(おん)」と「訓(くん)」の二本立てで成り立つ
言語である。
この友人の言ってきたことにも一理はある。「売買(ばいばい)」と
いう熟語があるように「音(おん)よみ」すれば「買(ばい)」と発音す
るが、事は、そう簡単ではないのだ。
(お断り)概念を正確にするために、「音(おん)よみ」は「カタ
カナ」で、「訓(くん)よみ」は「ひらがな」で表記する。 
「売春(バイシユン)」という音読みの言葉があるので「買春」を音読
みでしてしまうと、同じ発音になって紛らわしい。そこ
で考えられたのが「かい・シュン」という読み方である。
日本語の読み方には先に言ったように二通りある上に、
このような一つの熟語に「音(おん)よみ」と「訓(くん)よみ」を一緒
にして、「読み」を合成することがある。こういうのを
「湯桶」(ゆ・トウ)読み、あるいは「重箱」(ジュウ・
はこ)読み、と称するものである。
「湯」は訓よみでは「ゆ」であり、「桶」は音よみでは
「トウ」である。これが湯桶読み。重箱を読むときは
「ジュウ・はこ」と読む。これが重箱読みと称される。
太古、日本には文字が無かった。歴史時代になって中国、
朝鮮半島から渡来人によって、かの地の先進的な文明が
齎されるときに「漢字」という文字が一緒に渡来した。
しかし、文字は無くても、「言葉」はあった。それは
「やまとことば」と称され=訓よみ、の基礎となる。
一方、大陸から齎された漢字による「漢語」は音読みと
して成立し、以後、日本語は、この「読み」を使い分け
て今日に至る。「かな漢字混じり文」の成立である。
有名な「万葉集」は、原文は全部、漢字表記である。
このように「やまとことば」も「漢字に由来するもの」も、
すべて漢字で書かれ、その仕組みは複雑で、単に「音(おん)」
を表わすもの、漢文を読み下す時の上下かえり点式のも
の、などの組み合わせで表記される。 ここで一例を。
有名な柿本人麻呂の歌 (万葉集巻①歌番号48)
ひんがしの野にかぎろひのたつ見えてかへりみすれば月
かたぶきぬ

(原文)東  野炎  立所レ見而  反見為者  月西渡
の歌は後世に賀茂真淵が訓み下したとされるが、結句の
「月かたぶきぬ」の原文は「月西渡」の三文字である。
だから今の万葉学者の中には、人麻呂の言いたかったの
は、単純に「月西渡る」ではなかったのか、と言われる。

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アンソロジー「詩と詩人集2018」の原稿依頼が、随分前にあったが、本日ようやく本誌が発行されたのでアップしておく。
今はもう無くなったがNTTのやっていたDoblogというブログがあって、その中には面白い付き合いがあって、数人と「日本語倶楽部」というのをやっていたことがある。
この作品はそこに載せたもので、今やっているFc2に移しておいたものである。
この頃は話題の多い人たちとの交流が面白かった。
今は、こういう付き合いも無くなり、世間の人たちのSNS上での関心もFBや、映像に関係するもの、例えば「インスタグラム」のようなものに移ってきている。
時代とともに流行り廃りがあるというものである。

この本の「帯文」の裏には、こう書かれている。
<1972年10月、詩人たちは出資金を集め、自らの手で編集発行する商業誌を創刊した。
 そのボランティア精神を引き継ぎ46年、本年もまた、400名の詩人たちがここに結集した。
 特定の詩的傾向、思想信条に偏らない編集姿勢は、創刊号からずっと変わっていない。
 本アンソロジーには世代を超越した詩人たちの良心が詰まっている。>




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