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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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那須信孝『曽我量深に聞く 宗教的要求の象徴・法蔵菩薩』限りなく純粋感性を求めて・・・・木村草弥
那須_NEW

──新・読書ノート──

     那須信孝『曽我量深に聞く 宗教的要求の象徴・法蔵菩薩』限りなく純粋感性を求めて・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・大法輪閣2018/04/15刊・・・・・・

私の大学の同級生で、浄土真宗本願寺派「一行寺」住職の那須信孝から、この本が贈られてきた。
400ページ余りの難しいものである。
彼は、この寺の次男だったが、兄が京都大学を出たあと日本電池(現GSユアサ)の社長になったので寺の跡を継いだ。
彼は京大に入ったときは専攻は西洋史で、私の親友だった亡・手塚晃と同じ京都二中の出身だった。
のちに仏教学専攻に転科して卒業した。
今の「一行寺」は西本願寺前に聳える立派な寺だが、これは彼が継いでから建てたもので、私たちが泊まり込みで酒を飲みながら文学論を闘わせた元の家は民家のような「しもたや」だった。
これから判るように彼の家は西本願寺の本山付きの寺院だったようである。
今は譲位されたが前・門主の大谷光真氏は東大出ということもあり、那須の寺に遊びに来られるような親密な間柄だったようである。
私的な話に過ぎたようである。 本論に戻る。 
難しい本なので先ず周辺部から入りたい。 ここに論じられる人物から。

曾我量深 (そがりょうじん)
[生]1875.9.5. 新潟
[没]1971.6.20. 京都
真宗大谷派の僧。 1899年真宗大学卒業。真宗,東洋,大谷の各大学教授を歴任する一方,清沢満之主宰の『精神界』の編集なども行い,1961~67年大谷大学学長をつとめた。
著書『救済と自証』『法蔵菩薩』など。『曾我量深選集』 (12巻,1970~72) がある。

阿頼耶識(あらやしき)、梵: ālaya-vijñāna、आलयविज्ञानは、大乗仏教の瑜伽行派独自の概念であり、個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識のこと。
アーラヤ識。唯識思想により立てられた心の深層部分の名称であり、大乗仏教を支える根本思想である。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされる。

原語と漢訳

「阿頼耶識」は、サンスクリットの ālaya( आलय) の音写と、vijñāna(विज्ञान) の意訳「識」との合成語。
ālaya の語義は、住居・場所の意であって、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「蔵識」とも訳される。
「無没識(むもつしき)」と訳される場合もあるが、これは ālaya の類音語 alaya に由来する異形語である。
旧訳では阿羅耶識、阿梨耶識(ありやしき)」。また、蔵識(藏識)、無没識(むもつしき)」とも訳し、頼耶識、頼耶等と略されることもある。

ある人の阿頼耶識は、蔵している種子から対象世界の諸現象<現行(げんぎょう)法>を生じる。またそうして生じた諸現象は、またその人の阿頼耶識に印象<熏習(くんじゅう)>を与えて種子を形成し、刹那に生滅しつつ持続(相続)する。

この識は個人存在の中心として多様な機能を具えているが、その機能に応じて他にもさまざまな名称で呼ばれる。諸法の種子を内蔵している点からは一切種子識(sarva-bījaka-vijñāna)、過去の業の果報<異熟(いじゅく)>として生じた点からは異熟識(vipāka-vijñāna)、他の諸識の生ずる基である点からは根本識(mūla-vijñāna)、身心の機官を維持する点からは阿陀那識(ādāna-vijñāna、執持識/執我識。天台宗では末那識の別名)と呼ばれる。

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「法蔵菩薩」についてネット上から引いておく。

正信偈の教え-みんなの偈-

法蔵菩薩の願い

【原文】
法 蔵 菩 薩 因 位 時
在 世 自 在 王 仏 所

【読み方】
法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の因位(いんに)の時、
世自在王仏(せじざいおうぶつ)の所みもとにましまして、

 『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』には、釈尊が、阿難(あなん)という仏弟子に語って聞かせるというかたちで、法蔵菩薩のことが詳しく紹介されています。そして広く人類を救いたいという願いを発(おこ)された菩薩の徳が讃えられるのです(聖典6頁~)。そのあらましは、次の通りです。
 ある日、阿難尊者(そんじゃ)がお見受けしたところ、釈尊は、いつになく、すがすがしいご様子で、歓びにあふれて、輝いておられるように思われたのです。そこで、阿難尊者は、そのわけをお尋ねしたのです。すると釈尊はお告げになりました。「きみは、とてもよいことを尋ねた。私がこの世に出現したのは、教えを説いて人びとを救い、真実の利益りやくを与えるためなのだ。私が歓びにあふれているのは、人びとに真実の利益を明らかにする時がきたからなのだ」と。そして、法蔵菩薩のことをお説きになられたのです。
 遠い遠い昔の、そのまた遠い遠い昔、世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏がおられました。その時、一人の国王がおられました。王は、その仏の教えをお聞きして、心からの喜びを懐いだかれたのです。そして、自分も仏になって、世の人びとを悩みや苦しみから救いたいと願うようになられたのです。王は、国を棄て、王位を捨て、世自在王仏のもとで出家して修行者となり、法蔵と名告(なの)られました。これが法蔵菩薩です。
 法蔵菩薩は、諸仏の浄土がどのようにしてできたのか、それを教えていただきたいと、世自在王仏に願い出られました。そして、自分も、教えの通りに修行して浄土を建立(こんりゅう)したいという決意を述べられたのです。世自在王仏は、菩薩の熱心な願いに応じて、二百十億という、ありとあらゆる仏の浄土の成り立ちと、それらの浄土にいる人びとのありさまをつぶさにお示しになったのです。
 法蔵菩薩は、それらの浄土のありさまを拝見された後、五劫(ごこう)という途方もなく永い期間にわたって思惟を重ねられ、この上にない優れた願いを発されたのです。すなわち、仏になって理想の浄土を実現するための願いを発されたのです。それが四十八項目からなる本願なのです。
 この本願の第十八の願では、自分が仏に成るとしても、自分が実現する浄土に、一切の人びとが心から生まれたいと願って、もし人びとが往生できないのであれば、自分は仏には成らないと誓われたのです。
 さらに、『大無量寿経』には、次のようなことも説かれています。阿難尊者は、釈尊にお尋ねするのです。「法蔵菩薩は、すでに仏に成っておられるのでしょうか、それとも、まだ仏に成っておられないのでしょうか」と。すると、釈尊はお答えになりました。「もうすでに仏に成っておられる。いま現に、西方の、ここから十万億の世界を越えた安楽浄土におられるのだ」と。つまり、法蔵菩薩の四十八願はすべて成就されて、阿弥陀仏に成られたということです。ついで、阿難尊者が「法蔵菩薩が阿弥陀仏になられてから、もうどれほどの時が過ぎたのでしょうか」とお尋ねすると、釈尊は、「おおよそ十劫の時が経過しているのだ」と、教えられたのです。
 このお話のなかに、「五劫」「十劫」という言葉がありましたが、「劫」は、時間の長さです。これには諸説が伝えられていますが、有名なのは次のような話です。
 横幅四十里、高さも四十里、奥行も四十里という大きな岩石があったとして(もちろん富士山よりも大きい)、その岩のそばを羽衣を身にまとった天女が百年(あるいは千年)に一度通りかかるのです。すると羽衣の袖がサッと岩にふれるのです。これを何度も何度も繰り返すと、岩が磨り減ります。この岩石が完全に摩滅してしまうのに要する時間よりも、さらに長い時間を一劫というのです。十劫はその十倍です。このような、とてつもなく長い時間のことが言われるのは、数量ではとらえきれない質の深さを表わそうとするからです。仏の慈悲の深さが、始まりと終わりを考える必要のないものであることを教えようとしていると思われるのです。
(九州大谷短期大学長 古田和弘)
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正信念仏偈

「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)〈正信念佛偈〉」は、親鸞の著書『教行信証』の「行巻」の末尾に所収の偈文。一般には略して「正信偈(しょうしんげ)」の名で親しまれている。
真宗の要義大綱を七言60行120句の偈文にまとめたものである。
同じ親鸞撰述の『三帖和讃』とともに、本願寺第8世蓮如によって、僧俗の間で朝暮の勤行として読誦するよう制定され、現在も行われている。

大きく二つの部分によって構成されている。
「総讃」の2句に続く前半は、「依教段」と言われ『仏説無量寿経(大無量寿経)』に依って明らかにされている、浄土往生の正因は信心であり、念仏は報恩行であることを説明し讃嘆している。
後半の部分は「依釈段」と言われ、インド・中国・日本でこの教えを正しく伝えた七高僧の業績・徳を讃嘆している。
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とにかく仏教の教えは難解である。それは仏教が中国を経て流布されるにあたり、「漢語」に翻訳されたことが第一だと言われている。
だから最近では原典であるサンスクリット語から研究される場合が多い。
一読して、最も難解な曽我の本から彼・那須は入ったようである。

こんにち世界的な宗教図を見てみると「キリスト教」「イスラム教」「仏教」「ヒンドゥー教」「ユダヤ教」などに大別されるだろう。
「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」は共にエルサレムの地を発祥地とする「一神教」である。
いま書いた順番に発生の歴史が古い。そして、これらの宗派は、いずれも「旧約聖書」を経典として尊重する。
「旧約聖書」「新約聖書」ともに書いてあることは難しくない。「コーラン」に至っては宗教書というより世俗的な指南書という体のものである。
だから大衆には「わかりやすい」習俗訓と言えるものである。だから今広がっている宗派はイスラム教のみである。
仏教は世界的に言って、極めて少数派である。
ヒンズー教の世界では釈迦はヒンズー教の一派として把握されているに過ぎない。
こういうことを言うと仏教者はカンカンに怒るが、客観的に見て、これが現実なのである。
私は「仏教徒」とも言えない人間だが、世界各地を旅してきて、エルサレムの地にも足を踏み入れて見てきた実感として、このように言っておきたい。
仏教学者にも、その責任の一端はあるだろう。
「難解な教義」を「やさしく平易に」説くのが識者のするべき態度であろう。難しく、むつかしくしてきたから大衆は寺から離れて行って「葬式仏教」に堕落した。
親友である那須だからこそ、敢えて、日ごろ感じていることを書かせてもらった。

周辺部をぐるぐる回るばかりで、肝心の那須の本に触れていないが、難しいので本論に切り込めない私の不徳をお詫びしておく。
私の出来ることは、こんなことが限度である。 お許しいただきたい。
彼の著書の個所を見ると『如何に中陰法要を勤めるか~中有を如何に捉えるか~』という本があるが、これなら多少は歯がたつかとも思うがお坊さん用の本かも知れない。
ご恵贈に感謝して、貧しい紹介を終わりたい。 有難うございました。


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