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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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武藤ゆかり詩集『夢の庭』・・・・木村草弥
武藤_NEW

──書評──

       武藤ゆかり詩集『夢の庭』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・南天工房2018/07/07刊・・・・・・・

武藤ゆかりさんから標記の詩集が届いた。
何冊目かの詩集である。
この頃は本の出版費用も高くなった。南天工房というのは武藤さんの自前の出版社である。発行所も自宅の住所である。
印刷所は加藤治郎らがやっている「ブイツーソリューション」である。
パソコンで編集した原稿を送れば、安価で印刷してくれる。私も何度か検討したことがある。
武藤さんは若い頃、地方紙の新聞記者をやっておられた。
写真もプロの域である。歌集も何冊も出されていて、短歌結社「短歌人」の所属である。
武藤さんのことは歌集、詩集を頂いた際に何度も、このブログで採り上げたので参照されたい。
武藤さんは、私の第五歌集『昭和』の「読む会」を三井修氏のお世話で東京で開いてもらったときに、長い精細な批評文を書いていただいた。
それは三井修編集の「りーふ」六号に収録されていて、次のリンクで読むことが出来るので、 → 「魂は痛みを越えて」 ご覧いただきたい。

いよいよ、この詩集に触れたい。
「あとがき」によると、この本は80編の作品が収録されているが、ここ数年間に書かれたものだという。
とにかく武藤さんは多作である。歌なんかも数が多い。それだけ発想が次々と湧いてくるのだろう。

       夢の庭     武藤ゆかり

  チューリップの球根を植えたいと
  私はいつも思っている
  春になったら
  まだ冷たい空気を押して
  色鮮やかな花を開いて
  私と母に見せてほしい
  来年もその次の年も
  球根はひっそりと太り続ける
  季節が巡るたびに
  山里の小さな庭は華やぐ

  ひまわりの種を蒔きたいと
  私はいつも思っている
  夏になったら
  照り付ける太陽のもとで
  顔のような花を開いて
  私と母に見せてほしい
  来年もその次の年も
  種は限りなく増え続ける
  季節が巡るたびに
  山里の小さな庭は喜ぶ

  私は毎年
  同じことを思うのだが
  庭の土を掘るスコップでさえ
  私は持っていない
  私と母の夢の庭に
  年ごとに花はあふれ
  幻の種がこぼれる
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「夢の庭」と題されるように、これは武藤さんの頭の中にある「庭」である。
それを全くの空想であるとは言えない。
武藤さんが育った家に庭があって、かつては、そこにチューリップや向日葵が咲いていたのだろう。
今は嫁いで、そんな庭のない日常かも知れないので、頭の中にある「庭」であるという所以である。
短い詩だが、詩の作詩の原則が、きちんと踏まれている。
作詩する場合に「リフレイン」という効果がある。
この詩でも、「私はいつも思っている」 「私と母に見せてほしい」 「季節が巡るたびに」などの詩句のリフレインが効果的である。
また「山里の小さな庭は華やぐ」 「山里の小さな庭は喜ぶ」などの「結句」を取り換えるだけの技法もリフレインの一種であり、武藤さんが優れた詩人であることを表している。
この短い詩から、この本の題名を採られたというところに、武藤さんの自負が表れていると思うのである。

       捨てた日記     武藤ゆかり

  日記を書いていたことがある
  手元にはもう残っていない
  残らないもののために
  時間を使い頭を使った
  時には英語の日記をしたため
  私にとって特別な記憶を
  いつまでも残そうとした
  何もかも捨ててしまうことが
  本当にいいことなのか
  地震が起こったり
  火山が噴火したりする国ではあるが
  汚染水が漏れたり
  原油が漂ったりする海ではある
  持っていても仕方ないと
  捨ててしまった過去だけが
  私にとって真実な気がする
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この詩は巻頭近くの第一部のはじめの方に載る作品だが、心に残る。
また「時には英語の日記をしたため」という詩句があるが、以前に見た経歴によると、武藤さんは東京外国語大学を出られたらしい。
だから外国語には堪能なのであろう。また別の詩には「フィリップさんは遠くへ行った」というのがあり、「ずっと以前仕事でパリに行った時 フィリップさんは奥さんのマリアさんと わざわざホテルまで訪ねてきてくれた・・・・」などの描写がある。
新聞記者などの広い交友を思わせて納得するのであった。

第一部、第二部、第三部 という章分けが、どういう根拠に基づくのか分からない。単なる作詩の年代によるものなのかとも思う。

       雷の人     武藤ゆかり

  今年初めての本格的な雷だ
  赤い高圧線の彼方に
  幾つも幾つも落ちた
  亡くなった人は
  時に稲妻となって
  合図を送ってくるのだ
  お久しぶり
  また会えたね
  激しい光が夜空を切り裂く
  あの人もこの人も
  駆け足で逝ってしまった
  街はいよいよ暗くなった
  かつて地上に住んでいた人々が
  雨雲の中に潜んでいる 

        窒息     武藤ゆかり

  人材って材料のことですか
  活用って物品のことですか
  輝くって本当ですか
  生涯現役って墓場までですか
  自己実現って何ですか
  自己責任って何ですか
  私はどこにいるべきか
  誰かが決めてくれるんですか
  違う考えは駄目ですか
  醸されていく空気の中で
  窒息したら負けですか
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今どき「働き方改革」などということが言われ、自己責任が強調される世の中である。
そのような風潮に対する武藤さんなりの「警句」であろう。次のページの詩の題が「警告」とあるので、敢えて引いておく。

この本の装丁の「花」の写真も武藤さんのものだろう。豪華な花だが何の花だろう。決めつけたくないので敢えて、これ以上踏み込まない。
長い長い詩もあるが、引用も、この辺りにしたい。
益々お元気のご様子なので、これからも、ご健筆の程お祈りするばかりである。
ご恵贈有難うございました。       (完)


 
  
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