
新涼のいのちしづかに蝶交(つる)む・・・・・・・・・・・・・松村蒼石
秋になって感ずる涼しさのことを「新涼」という。
「涼しさ」だけでは夏の暑さの中で味わう涼しさで、新涼とは別のもの。
本意としては「秋になりて涼しき心をいふなり」と『改正月令博物筌』にある。
秋来ぬと思ひもあへず朝げより初めて涼し蝉の羽衣・・・・・・・・新拾遺集
の歌が知られている。また
秋涼し手毎にむけや瓜茄子・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉
の句が「新涼」「秋涼」「爽涼」「初涼」「涼新た」などの類語の季語の本意とされている。
心地よい涼しさの中に一抹の「寂しさ」「心細さ」をも伴う感覚である。
掲出の蒼石の句は、その「新涼」の季節の中で、ひそかな「生命力」の凄さを一句の中に凝縮した、みごとなものである。
以下、これらの類語の句を引いて終る。
新涼の月こそかかれ槇柱・・・・・・・・・・・・・・高浜虚子
爽涼と焼岳あらふ雲の渦・・・・・・・・・・・・・・水原秋桜子
新涼や白きてのひらあしのうら・・・・・・・・・・・・・・川端茅舎
新涼の身にそふ灯かげありにけり・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
新涼の咽喉透き通り水下る・・・・・・・・・・・・・・西東三鬼
新涼やたしなまねでも洋酒の香・・・・・・・・・・・・・・中村汀女
新涼の水の浮べしあひるかな・・・・・・・・・・・・・・安住敦
新涼の剃刀触るる頬たかく・・・・・・・・・・・・・・西島麦南
新涼の画を見る女画の女・・・・・・・・・・・・・・福田蓼汀
新涼や尾にも塩ふる焼肴・・・・・・・・・・・・・・鈴木真砂女
新涼や白粥を煮る塩加減・・・・・・・・・・・・・・久米はじめ
新涼や相見て妻の首ながし・・・・・・・・・・・・・・細川加賀
新涼や素肌といふは花瓶にも・・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行
新涼の母国に時計合せけり・・・・・・・・・・・・・・有馬朗人
新涼の山に対へる木椅子かな・・・・・・・・・・・・・・水田清子
新涼や掌のくぼにある化粧水・・・・・・・・・・・・・・高山夕美
新涼の道の集まる凱旋門・・・・・・・・・・・・・・村上喜代子
新涼の豆腐を崩す木のスプーン・・・・・・・・・・・・・・浜田のぶ子
新涼の水にこつんと鬼やんま・・・・・・・・・・・・・・中拓夫
新涼の香ともハーブを刻みけり・・・・・・・・・・・・・・鈴木喜美恵
灯を入れずおく新涼の青畳・・・・・・・・・・・・・・貝瀬久代
コメント
先日、梨木神社でひとりの男性に声をかけられ、哲学と恋愛について、1時間あまり彼の講義を聴きました。大学教授ではありませんが、楽しい講義でした。
で、萩をモチーフに短歌を詠いたいと考えましたが、冒頭の句がなかなか出てきません。そしてやっといい句を見付けました。
新涼に 一期一会の 萩の花
遠き街より 来る男性(きたるひと)
一両日中には記事にしたいと思っています。
で、萩をモチーフに短歌を詠いたいと考えましたが、冒頭の句がなかなか出てきません。そしてやっといい句を見付けました。
新涼に 一期一会の 萩の花
遠き街より 来る男性(きたるひと)
一両日中には記事にしたいと思っています。
■阿修羅王さま。
コメント有難うございます。
私の記事が何かの参考になれば嬉しいです。
「来る男性(きたるひと)」5音ですね。
ここは「結句」ですから7音必要です。
よろしく。
朝晩は涼しいですが、日中は暑いときもあります。
では、また。
コメント有難うございます。
私の記事が何かの参考になれば嬉しいです。
「来る男性(きたるひと)」5音ですね。
ここは「結句」ですから7音必要です。
よろしく。
朝晩は涼しいですが、日中は暑いときもあります。
では、また。
2009/09/18(金) 16:37:30 | URL | sohya #- [ 編集 ]
お早うございます。
あら、私としたことが。ようやくこれという言葉に逢えたのに数を間違えてましたね。
ああ、恥ずかしい・・・
もう一度練り直します。
あら、私としたことが。ようやくこれという言葉に逢えたのに数を間違えてましたね。
ああ、恥ずかしい・・・
もう一度練り直します。
■阿修羅王さま。
俳句は575。短歌は57577というのが伝統的な、日本語特有の「音数律」です。
日本語は西欧詩や中国詩のような「脚韻」が踏めないので、その代りに、こういう「音数律」という「リズム」を創りあげたのです。
なお、あなたの「案」の場合、「男性」を「ひと」と読ませるのも無理があります。
演歌などの歌詞には、そういう無理なものが見られますが、ここは素直に「男来たりぬ」とか「来たりし男」とか、もっとくだけて口語的表現なら「男が来たよ」とかにされたらどうかと思います。
しかし、あなたがどうしても使いたいと言われるのなら、私は何も申しません。それは、あなたの自由ですから。
では、また。
俳句は575。短歌は57577というのが伝統的な、日本語特有の「音数律」です。
日本語は西欧詩や中国詩のような「脚韻」が踏めないので、その代りに、こういう「音数律」という「リズム」を創りあげたのです。
なお、あなたの「案」の場合、「男性」を「ひと」と読ませるのも無理があります。
演歌などの歌詞には、そういう無理なものが見られますが、ここは素直に「男来たりぬ」とか「来たりし男」とか、もっとくだけて口語的表現なら「男が来たよ」とかにされたらどうかと思います。
しかし、あなたがどうしても使いたいと言われるのなら、私は何も申しません。それは、あなたの自由ですから。
では、また。
2009/09/19(土) 16:09:31 | URL | sohya #- [ 編集 ]
下記のコメントを、あなたのサイトに書き込もうとしたのですが、「禁止キーワードが含まれています」の理由で打ち込めませんでしたので、ここに載せておきます。よろしく。
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■阿修羅王さま。
お早うございます。
「ご予告」の記事拝見しました。
面白い出会いでしたね。
文末の、あなたの「短歌」お見事ですよ。
なお、俳句の場合は「一句」と呼び、
短歌の場合は「一首」と言いますので、
念のため。
では、また。
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■阿修羅王さま。
お早うございます。
「ご予告」の記事拝見しました。
面白い出会いでしたね。
文末の、あなたの「短歌」お見事ですよ。
なお、俳句の場合は「一句」と呼び、
短歌の場合は「一首」と言いますので、
念のため。
では、また。
2009/09/20(日) 07:35:02 | URL | sohya #- [ 編集 ]
お早うございます。
1日かかって考えて、力を抜いたとき、ふっと言葉が降りてきました。ありがとうございました。
あまりにも飛躍したお話で記憶に乏しく、感じたことを全部は書き切れませんでした。
ただ、別れ際にふわっと胸に湧いた気持ちが最後の短歌です。彼女に少しだけ、嫉妬しました(照笑)
1日かかって考えて、力を抜いたとき、ふっと言葉が降りてきました。ありがとうございました。
あまりにも飛躍したお話で記憶に乏しく、感じたことを全部は書き切れませんでした。
ただ、別れ際にふわっと胸に湧いた気持ちが最後の短歌です。彼女に少しだけ、嫉妬しました(照笑)
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