
落雷の近しと鯵を叩きけり・・・・・・・・・・・・・・鈴木真砂女
夏は空気がよく温まるので、上昇気流が発生しやすい。
そのため、地上付近の水蒸気が上空に持ち上げられて冷やされ、氷の粒をたっぷり含んだ積乱雲(入道雲)となる。
積乱雲の中の氷の粒は、互いにこすれ合ったり、ぶつかったりして、静電気を大量に発生させる。
その静電気が、別の雲にたまった静電気、あるいは、大地にたまった静電気などと結びつく際に発生する光と音が雷である。
このうち、雲の中の静電気と大地の静電気が結びつくタイプの雷は落雷と呼ばれ、家を焼いたり、人の命を奪うこともある。
ゆえに、雷は、「地震・雷・火事・親父」とあるように、怖いものの象徴とされてきた。
その一方で、雷は、虎縞の模様のふんどし履いて、背中の太鼓をゴロゴロ鳴らしながら人々のへそを奪っていく、どこかユーモラスな神としても描かれてきた。
江戸時代の俳諧において雷は、神鳴(かみなり)、あるいは鳴神(なるかみ)の形で用いられることが多かったようである。
これに対し、現代俳句では、雷を音読みで「らい」と読ませる句が極めて多くなっている。
雷鳴の激しさと雷光の鋭さを表現するのに、音読みが適しているということもあるだろう。
近い場所でなる激しい雷を迅雷、遠くで鳴る雷を遠雷、ドシャーンとは鳴らず、ゴロゴロと鳴る程度の雷を軽雷と表現したりする。
また、現代俳句においても、はたた神と言う雷の異称はよく用いられる。
小さな雷と言うより、激しい雷という印象である。
なお、日雷(ひがみなり)は晴天時の雷である。
雷とよく似た発光現象の稲妻は秋の季語に分類される。
掲出の真砂女の句だが、割烹料理店をやっていた彼女ならではの佳い句である。
この句の「落雷」と「鯵を叩く」には、直接の関連はない。俳句でいう「二物衝撃」のお手本のような作品である。
落雷も鯵も、どちらも「夏」の季語である。
鯵を叩いて、なめろうでも作るのであろうか。
今は、もう九月だから本来は季節外れということになるが、私は俳人ではないので大目に見てもらいたい。
この句は、或る新聞のコラム欄に引用されていて目にして、このブログに紹介したい気になった。
今日は、類句などは引かずに、この辺で失礼する。
| ホーム |