FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201809<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201811
石川美南歌集『架空線』・・・・木村草弥
石川_NEW
↑ 今回刊行の第四歌集「架空線」
石川美南0002
 ↑ 前歌集・本阿弥書店2011/09/10二冊同時刊

──新・読書ノート──

      石川美南歌集『架空線』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・本阿弥書店2018/08/01刊・・・・・・

標記の本が恵贈されてきた。
石川さんとは第一歌集『砂の降る教室』をいただいて以来お付き合いをいただいている。
この本には経歴などを全く載せていないが1980年のお生まれで今年38歳になられる若い方で、歌壇マスコミに頻繁に活躍される新進気鋭の歌人である。
昨年かに結婚されて、目下お幸せなのだろうと、お慶び申し上げる。
東京外国語大学を出られており、私が敬愛する三井修氏や千種創一氏なども同窓で、いずれも親しくお付き合いいただいている。
千種創一歌集『砂丘律』 ← の裏表紙に石川さんのキャプションが載っている。
私のブログに載せた記事だが、「リンク」になっているのでアクセスしてお読みいただきたい。

私は詩歌関係の蔵書を日本詩歌文学館などに寄贈したばかりで、目下、本を手にすることが出来ない。
前歌集については、このブログに書いた → 「裏島」「離れ島」 を参照されたい。

前の本と同様に、極めてブッキッシュな編集で「引用」「前書き」なども一杯で、私の好きな本である。
この本には2011年から2016年までの392首を収録されたが、この本に収録に当たって大きな改稿、再編集がなされているようである。
題名の「架空線」のことだが、この題名の作品は、仔細に読んでみたが無い。
この本を編集するの当たって新しく付けられたものである。
この本の「帯」に

   <架空線のように
    日々を通過して
    いった言葉たち>

とあるように、この文が、この本の「意図」を簡潔に表していると言える。
この本は Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ という章立てになっているが、「Ⅱ 通過点、点、点」という項目があり、「帯」の背の部分にも、このフレーズが書かれている。
これは本阿弥書店の編集者か装丁の花山周子かの手になるものだろうが、私は作者の意図が大きく反映しているものと睨んでいる。
カバーの装画のドローイングなどは尾田美樹の手になるらしいが、私は、これは成功しなかったと思う。
第二・第三歌集のカバー画のようなものの方が良かったと思うが、いかが。

前歌集と同様に、伝統的な短歌の韻律に忠実ではあるが、歌の中身は「短詩」である。
この頃では、こういう「詩」の色合いの強い歌が多い。 佐藤弓生などが、そうである。
この作者は、「歴史的かなづかい」を採用したり、「枕詞」を使ったり、と歌の伝統を尊重する姿勢だが、歌柄は「詩的」である。
先にも書いたが、「引用」や「前書き」などを駆使して表情ゆたかに作歌している。
だから批評するとなると、極めて難しい。「現代詩」の批評が難しいのと同様である。
というより「詩」は安直な批評を拒否するものなのである。
そして作者も「あとがき」に書いているが、花山周子の装丁のレイアウトが見事である。
私もペダンチックな人間なので歌集の編集には「凝った」が、この本のレイアウトはカバー装を除いて秀逸だと申し上げておく。
また、この歌集の性格からして本の大きさも丁度よかった。
私は前の歌集『裏島』 『離れ島』を読んで、このブログに、作者の歌集の「物語り」性、と書いた。
今回の歌集も、単発の歌というよりは「連作」の物語りを読み取る。 これが石川さんの大きな特徴、だと断定する。


この本には「初出一覧」が添えてあるが、本文の作品と、この初出を見てみると、極めて巧妙に「編集」されていることが判る。
例えば、「初めての島/遠い鳥」の一連の初出は『星座』、『短歌』、「山羊の木」、『弦』に発表した歌をまとめたもの、ということである。
いま私は、それらの「初出」に当たることが出来ないので、それらが改変されているかどうかは判らないが改変されていることも有り得るだろう。
そんな風に編集されなから、この一篇は見事に24行から成る「詩」として自立している。
しかも、この歌集には一般的だが「/」スラッシュが多用され、しかも、それらが極めて有効に効いているのも目立つ。
「Q/とぶ」、「風を切るにぶい羽音よ/今/今/今/鳥の真顔がまぢかに迫る」なとである。
そして
<風を切るにぶい羽音よ/今/今/今/鳥の真顔がまぢかに迫る>
の歌など、まさに「映像」として視ているものの具現化だと言えないか。
また「南極点へ」の一連は、一世紀以上前の日付であるから、何らかの記録・資料をみて作った作品で、それを9首の歌の連作として自立させた力量は何とも凄い。
いちいち全文を引けないのをお詫びする。

この本の「帯」裏には5首の歌が引かれている。
私は「詩」として鑑賞したいが、敢えて、自立した一首の歌として、私の好きな、いくつかを引いて終わりたい。

*橋の裏すれすれの舟(湯あがりの祖母のでべそが怖かったこと)
*橋に佇つ男はみんな川上を見てゐたりその眩しき水を
*光るもの光らぬものを引き連れてオリンピックがまた来るといふ
*皮脱ぐとまた皮のある哀しみの関東平野なかほどの夏
*拝むやうに右手左手近づけてトカゲは今日も電話が欲しい
*丸めればそこが背中といふこともなくてアオダイショウ上機嫌
*飛び石はどこへ飛ぶ石 つかのまの疑問のごとく暗がりに浮く
*体ぢゆう言葉まみれだ 夏の夜のどこかをほつつき歩いてわたし
*スカートは幌のやうなり“某”と呼ばるることもなくて 亜米利加
*〈他者〉といふやさしき響き 鉄塔の下まで肩を並べて歩く
*小見出しはゴシック体で記されて〈モンシロチョウは赤が見えない〉
*〈わたしには、赤い〉夕陽がゑのころの枯れ残りゐる斜面を照らす
*あれは春 蝶のあなたが水溜まり飛び越しながら見てゐた光
*なだらかな肩にめりこむ蔦の跡 話せば長いけれども話す
*追憶の川べりに身をふるはせてあなたがうたふ雷鳴の歌
出発・・・・・・・・・の三点リーダー長くして あるのだらうか、終着駅は
*〈未完成〉だつたと気づく 薄暗き待合室に鳴りてゐたるは
*七・七の定まらぬままゆく日々に鯉の洗ひを人と分け合ふ
*新しいあなたと出会ふ朝のため床に広げてある鯨瞰図

まだまだ言い足りない焦燥感に苛まれながら鑑賞を終わりたい。
もうすぐ見事な「解」がネット上に出現するだろう。
私の下手な鑑賞は、この辺で。 ご恵贈有難うございました。 益々のご健詠を。     (完)
---------------------------------------------------------------------------
ネット上に、ぼつぼつと、この本の批評が出てくるようになった。
「さいかち亭雑記」 ← も的確な評である。 アクセスされよ。


コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2018 Powered By FC2ブログ allrights reserved.