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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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村島典子の歌「栴檀」30首・・・・・木村草弥
晶_NEW

──村島典子の歌──(35)

     村島典子の歌「栴檀」30首・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                    ・・・・「晶」103号/2018.8所載・・・・・・

       栴檀      村島典子

            こら空を剥がすな空の裏も空  陶四郎 (種村季弘)
   険難な旅とならむよ波をどりマリンライナー飛魚となる
   いまさらに荷物の重さ感じたり手放せずゐるこの世の荷物
   この海はいづこへわれを誘へる海上の道干潟のむかう
   友の眸とわれのまなこの見るものは異なるならむ戦禍の島の
   安心立命旅にしおもふ旅こそはわたしをわたしと知らしめにけり
   雲きれて夕陽すさまじトカシクの海面にひかりの道を敷きのぶ
   日本語もまじりてをりぬ沖縄のアジアンホテルの朝のてーぶる
   市場にはアヲブダイをりアバサーをり豚足のあり海ぶだうあり
   軍用機の轟音の下われらが機出発すこし遅るるもやう
   雲に入り雲出づるとき乱気流うけてふたたび船上のごと
   巻貝はヤドカリの宿宅配に届けられたる旅の荷のなか
   荷をほどき卓上に置きし貝ひとつ夜の明けたれば行く方しれず
   巻貝の家を背負ひつ食卓を降りてヤドカリ裸身になりつ
   はるかなる旅路なりけむ荷にひそみヤドカリはわが近江に来り
   さらし首の木といふ名前もらひたりし栴檀の木は花散り終へし
   生木裂くとふことばの力もて雁皮の小枝手折りがたしも
   黄緑の春日雨ふる山すそに神と鹿あり遊びのごとく
   待合せの場所は行基の噴水の喜捨乞ふ僧のまへあたりにて
   汗だくに帰り来れば正午すぎろくろく首につれあひ待てり
   急ぎても急ぎでも夫を待たせたる五十年なり老いたるわれは
   きのふよりわが窓にきて鳴くカラス同じカラスぞなに語るべし
   もう誰も帰り来らずかの岸辺とほいとほいとカラスが言へり
   雑木といへど一年をかけて育ちしを数分の間に伐られてゆけり
   栴檀は幼木なれど朝な夕なみどり濃くせり春から初夏を
   鉄塔の下に生まれて伐られゆく運命にありきさはさりながら
   うら庭をトイレ場となしゐし黒猫の来ずなりにけりひと月がほど
   朝戸での夫ならなくにいそいそと三上のお山めざさむころか
   地震はしり車左右に跳ねしとぞ七時五十八分国道の上に
   地震の日の空に出でたり三日月をカーテンすこし開けて眺めつ
   三日月みなづきの空にかかれるを偶然としてけふを閉ぢたり
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いつもながら精細な「観察」の効いた村島さんの一連である。
出だしが「険難な旅」とあったので、どうされたかと案じるが、後には何も書かれていない。
局外者は立ち入らないことにしよう。 
この一連の題になっている「栴檀」せんだんの木というのは私は知らない。
諺にもなっている木だが、どこにでもある、ありふれた木ではないからである。
村島さんは植物にも詳しく、観察も、写生も精細である。その心根を尊びたい。

同人の志野暁子さんが新歌集『つき みつる』を上梓され、私にも恵贈され、鑑賞文を送ったところである。
今号にも、その介護の続きの歌が載っている。
志野さんは折口信夫の弟子・岡野弘彦を師としている。今号にも
  <「最后の弟子が語る折口」読みをへてつくづく思ふ「師弟は三世」> 
という歌が載っている。鑑賞文の続きとして敢えて書いておく。

有難うございました。 では、また。


 
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