
──新・読書ノート──
東義久「B級京都論・南山城から視た異国京都」・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・澪標2018/07/01刊・・・・・・・
東義久は1990年に『小説山城国一揆』(文理閣刊)を発表して当地では、かなり有名な人である。
この本は、「B級京都論」と謳うように、くだけたエッセイである。
この中で
<ぼくは小説を書いている。作家ですね、と訊ねられることも多くなった。
そんなときには、いいえ小説家です、と応えるようにしている。
この答え方は結構、気に入っている。
なぜならぼくは大説を書いてはおらず小説、つまり小なる説を書いているに過ぎない。>
と書いておられる。
この辺のところが東氏のユニークなところである。
(京のことば)という項目で「南山城のことば」という文章がある。
<南山城のことばは京都と奈良と滋賀、大阪のことばのミックスである。
ミックスといってもどちらかといえば、強く激しい言葉なのだ。
誤解を覚悟でいえば本当に汚いのである。
それは奈良弁の悪いところ、大阪の河内弁、滋賀弁のそれぞれの悪いところを集約して独特の山城言葉をつくっている。>
さすがに良く観察されている。上の文で「アンダーライン」を引いたのは私である。
私は以前から「南山城の言葉は汚い」と言ってきた。
他所の人との会話には、標準語的な話し方をするが、土着の人同士が忌憚なく話す場合は、まさに、これである。
しかし、今どきの若い人は、そういうのを嫌うし、強いて、そんな話し方を意識して「避ける」ので、こういう話し方は、だんだん廃れてゆく。
見出しだけを書き抜くと、こんな具合である。
<京都という異国への架け橋><京の都の範囲は><歴史は応仁の乱以降を学んでおけばよい><山城国一揆><お茶と京都><南山城の現代文学と人><京都南山城余話><京のみやこの現代B級芸能>
などである。
版元の「澪標」の松村信人氏の話によると、ある集会があり、そこでは、この本が飛ぶように売れたそうである。
益々の、ご健筆をお祈りしたい。簡単ながら、ご紹介まで。
<地方の三文小説家「東義久」の独白> というブログがあることが分かったので、アクセスしてみてください。
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