FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202007<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>202009
春日真木子歌集『何の扉か』・・・木村草弥
春日_NEW

──新・読書ノート──

      春日真木子歌集『何の扉か』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・角川書店2018/09/10刊・・・・・・

春日真木子氏は、私の第二歌集『嘉木』の批評を角川書店「短歌」誌上に書いて下さった恩のある人である。
その書評「自己存在の起源を求めて」 ← をリンクにしてあるのでアクセスして読んでみてください。

今回の歌集は、春日氏の第十三番目の本になる。
短歌結社「水甕」代表として、かつ歌壇の重鎮として確固たる地位を占めておられる。
先生の御父上・松田常憲氏は「水甕」の主宰者として率いて来られた人で、この本にも、その思い出として巻末に「鰻─長歌と反歌」の一連が載せられている。
日本が戦争に負けた後は、占領軍の「検閲」が結社誌にもなされた。それら因む歌を引いておく。

  *孔版の黄ばみし文書はGHQ校正検閲の通達なりき
  *検閲を下怒りつつ畏れゐし父の身回り闇ただよへり
  *校正をGHQへ搬びしよわれは下げ髪肩に揺らして
  *文語脈の短歌をいかに解せしか進駐軍のきびしい検閲
  *削られし歌の行方に鬱然と空見上げゐし父は黒幹

これらの歌は巻頭の平成二十六年の歌のところに出ている。
今どきの若い人たちには想像もつかない時代だったのである。
私は敗戦時に旧制中学三年生だったので、学校に地方のGHQの出先の担当者が出向いてきているのを目撃している。
この本には父を詠った歌が、たくさん見られる。

  *新仮名は敗戦仮名と肯はずほとほと一生貫きたりし
  *岩波の万葉集は持ちゆけと父は言ひゐき出で征く君に
  *空爆下印刷所みな消失す歌誌継続のせんすべもなし
  *潔く辞めむと言ふ父潔わるく続けよと宣らす尾上柴舟
  *日本語がローマ字化さる戦きを語るわれらにながし戦後は

いまアトランダムに引いてみた。さまざまの事を考えさせる歌群である。
こういう営為があったからこそ、今の歌壇の安寧があることを知るべきであろう。

春日氏は1926年(昭和元年)のお生れであるから、お若くはないので、こういう歌がある。

  *いたはられ坐るほかなししほしほと炎昼こもるわれは「ゑ」の字に

この歌も巻頭の平成二十六年の項にある。
今年の暑さには閉口したが、平成二十六年も暑かったのである。
暑さに耐える身を「ゑ」の字、と表現したところに非凡な、表現の才(ざえ)を私は感得する。
「帯」文の裏面に五首書き抜かれているが、その中の一つに、この歌がある。
作者にとっても愛着のある歌なのだろう。佳い歌である。
この歌集一巻は、このようにして、淡々と編まれて行く。

  *さくら散る時間の光を曳きて散る 何の扉か開くやうなる

この歌は平成二十七年のところに出ている。
この歌から、この本の題名が採られている。
図版で読み取れると思うが「帯」文には、こう書かれている。

   <作歌への炎を得たいと求め、
     韻律の思惟者であり続ける日々。
     九〇歳を超えて今、開く扉とは。>

これは角川書店の編集者が書いたものだろうが、この本が編まれた意図を、的確に表しているだろう、と私は思う。
古来、日本では「花」と言えば「さくら」を指す決まりになっている。
「さくら散る光」から、さまざまな想念が去来する。それらを端的に表現したのが、この歌である。まさに「何の扉か」である。

  *法案の強行採決戦きて坐る丸椅子 あ、背凭れがない

作者は若くはないが、現下おきている事象にも敏感で、この歌は鋭い。
結句の「あ、背凭れがない」が、何とも絶妙な表現で、心うたれる。

いよいよ鑑賞を終わりたい。
  *仮睡せるわが胸覆ふは読みさしの本半開き屋根のかたちに
  *「山気 日夕に佳し」とぞ陶淵明 されば浅間の山の麓へ
  *いら草の混じる夏草踏みふみて車輪は止まる山荘の前

奇しくも、届いたばかりの角川書店「短歌」誌10月号巻頭に、春日氏の作品「ようこそ明日」28首の一連が載っている。
歌を引くことはしないが、<酷熱を逃れてゆかな山麓に>と詠われるのは、浅間の山荘である。
酷暑を逃れて、山荘での一人居に心を放っていただきたい。

巻末には先にも書いた「鰻─長歌、反歌」が載っている。
それは鰻好きであった斎藤茂吉への想いに繋がってゆくのである。

  *ひと夏を父の食みにし鰻らよ長歌百首に光添へませ  (反歌)

と詠われる。父・松田常憲の思い出へと、この一巻は連なるのである。
鑑賞を終わるにあたり、この一首を挙げておく。

  *ひつそりと垂るる朱実の烏瓜 九十路われの眼を初心にせり  

ご恵贈有難うございました。
快い読後感の「昂り」の中に沈潜していることをお伝えして拙い鑑賞を終わる。       (完)




  
  

コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.