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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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松村信人詩集『似たような話』・・・木村草弥
松村_NEW

──新・読書ノート──

     松村信人詩集『似たような話』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・思潮社2018/10/01刊・・・・・・・

松村氏は出版社「澪標」の社長である。
1949年生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。

詩集
『伝承』 1976年・私家版
『光受くる日に』 2003年・矢立出版

「イプリスⅡ」「時刻表」「別冊関学文芸」同人。詩誌「季刊びーぐる」発行人。
日本現代詩人会、日本詩人クラブ、関西詩人協会会員。
雑誌「関西文学」版元として苦労されたらしい。

この本には「栞」が付いており、たかとう匡子「松村信人の詩の魅力」と倉橋健一「旺盛で不敵な散文精神」が執筆されている。

掲出した画像には、その「帯」に、その一端が引かれている。
たかとう匡子氏は、第二詩集『光受くる日に』の出版記念会にふれながら、出版社「澪標」を立ち上げて間もない頃だったと書いている。
この『似たような話』は、それらの右往左往の中の、実社会での松村信人を浮き彫りにしていると言っていい、と書いている。
他人のことばかりでは前へ進まない。

「似たような話」という題名のつけ方が面白い。「似たような話」という名前の詩があるわけではない。
Ⅰの項目に収められた9篇の作品の項目名が「似たような話」なのである。
それは「海」「笑うタカハシ」「怒るハセガワ」「匂うナカガワ」「道草」「一代記」「クッキータイム」「ソビィ」「リュウの行方」という作品から成るが、一読すると、それらが「似たような話」なのに気付く。
この中の「クッキータイム」という詩に「猫」が登場する。作品を引いてみよう。

   <まな板ほどの大きさに少し傾斜のついたその餌箱を
    クッキータイムと名づけた
    プラスチック製の台座に猫が乗ると
    透明なふたが空き
    中にある水やミルクやキャットフードを口にすることができる
    台座から降りるとふたが閉まり
    実に衛生的
    ペットの猫ならちょうどよい大きさだ

    イギリスでは大ヒット中と
    見本市で仕入れてきた貿易商のトミイさんが胸を張る
    世はまさにペットブーム
       ・・・・・・・
    今度は様子が違った
    クレームが殺到しだしたのだ
    猫がおびえて寄り付かない
    ふたの閉まる音に驚き二度と餌箱の側に行かないという
       ・・・・・・・・
    日本の猫は実にデリケートで
    イギリスのそれとは大違い
       ・・・・・・・
    夜になるとクッキータイムの何匹ものアイドル猫たちが
    私を見つめている
    それから私は猫を飼うことにした>

これらのプロットが何から着想されたのか私には分からないが、実業の世界では、ままあることで、面白い。
これを読んで私は、この一巻の狂言回しは「猫」かとも思ったが、そうでもなかったが、「愛猫記」という一篇の詩があるのに注目した。
その詩の結句は

   <昨日も今日も
    一晩中私の横で寝そべっている>

と書かれている。
実をいうと、私は「猫嫌い」である。
拙宅の広くもない庭が、猫たちの脱糞場になって困っているからである。
犬の糞は固いが、猫の糞は柔らかく、おしっこも、とても臭い。
この詩のような猫用に「砂場」で用を足してくれる「躾けられた」猫なら何も言わないが、世の中の多くの人が、外で猫が生理現象を「足す」ように仕向けているのである。
「犬は散歩に連れていかなけれはならないが、猫は自分でやってきてくれるから楽だ」と高言する輩まで居るのだ。
また年に二回ある「さかり」の時期も困る。群れをなして、夜な夜な相手を求めてうろつき鳴きわめいて始末が悪い。
私は、そんなときバケツに水を用意しておき、窓下でわめく猫どもめがけて水をぶちかけるのである。(閑話休題)

松村氏は実業の世界では、いろいろ苦労されたらしい。
それらの実際にあったことをプロットとして、これらの詩の「虚構」が成立したのだろう。
「栞」で倉橋氏が書いているが、虚構のプロットの中にあって、不敵な行路死者たちが皆、京福電鉄嵐山本線車折神社・鹿王院間、葛飾区新小岩、市川市原木、吉祥寺のアパートとか、ちゃんとした「地名」の場所で死んでいる。
それが、プロットをリアル化する作者の「腕」なのであろう。

この本の一番最後の詩は、次のようなものである。

        彷徨

   <      ・・・・・・・
    コンビニのレジで週刊誌をさしだして待っていたが
    店員の対応があまりに遅いので
    釣りはまだか、と声を荒げたら
    まだお金をもらっていません
    このボケ老人がと言いたげ顔を尻目に
    傘立てから少しましなビニール傘と取り換えて帰る
    赤信号の横断歩道を渡り切ったら
    婦人警官が慌てて飛んできた
    思わず笑顔で手を振り
    ボケ老人のふりをしてやりすごす
    ボケていないぞ私は
    それでも思い出せない
    思い出そうとしたことが思い出せない
      ・・・・・・・        >

このことの虚実は問うまい。私の身にも、同様なことが、日常茶飯に起こっているからである。
私は、彼とは二回り近くも老いているからである。
以上、鑑賞ともつかない雑言を連ねて拙文を終わりたい。
有難うございました。        (完)




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