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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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香山雅代詩集『雁の使い』・・・木村草弥
香山_NEW

──新・読書ノート──

      香山雅代詩集『雁の使い』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・砂子屋書房2018/06/03刊・・・・・・・

香山さんは西宮市の在住で同人誌「Messier」を主宰されている。
詩作のほかに「日本歌曲振興波の会」所属で自作の詩に作曲されたものを発表されている。
また「能楽学会」会員としても活躍されているようである。
詩歴としては長いキャリアをお持ちで、今回の本は第十詩集ということになる。
同人誌「Messier」も発行の都度いただいており、今回の詩集は、これらに載せられたものが主になっている。
題名の「雁の使い」という詩はない。 今回この本を編まれるに際して、この題をおつけになった。
「雁の使い」で思い出されるのは、次のようなエピソードではないか。

《「漢書」蘇武伝の、匈奴(きょうど)に捕らえられた前漢の蘇武が、手紙を雁の足に結びつけて放ったという故事》である。
ここから、便り。手紙。かりのたまずさ。かりのたより。かりのふみ。雁書。雁信。雁使(がんし)などと言う。

   「春草を馬咋山(くひやま)ゆ越え来なる雁の使ひは宿り過ぐなり」〈万葉集・一七〇八〉

の歌が思い出されるのである。
香山氏の頭にも、このことがあって、今回の詩集の「題」にされたのではないか。

巻頭の詩「波動  風景と位置」には

    眩しく 眼を射る
    青陽

    非有の時空に 潜む
    現前(いま)を
    覆い尽くして 展がる・・・・(注・本文は「氵さんずい」に「展」の字だがIMEでも出ないので失礼する)
    白い静脈を 浮き立たせる
    富士
    白銀の 原野を
    わたる

    百とせの 血脈浮くもみじ葉を 銜え
    わたしの なかぞらをゆく
    雁の ひとむれ
      ・・・・・・

とあるので、題名は、ここから採られたとも考えられる。
なお「波動」という言葉も頻出するので、この言葉なども香山氏の作品をひもとくヒントになるのではないか。

同人誌「Mwssier」をいただいて、拝見した印象として「狷介」(けんかい)という印象だったが、現前(いま)というルビの振り方や、「氵さんずい」に「展」の字などの使い方なども「狷介」と言えるだろう。
IMEを参照しないと判らない難しい漢字の頻出などが、香山氏の詩の難解さを加速していると言えるだろう。
恐らく香山氏はIMEの「表外漢字」ではなく、大きな漢和辞典から、この字を引かれたのであろう。
いずれにしても、私が「狷介」と評する所以である。
また、「恬」を「しずか」と訓(よ)ませるルビや、「息」を「かぜ」と訓む、「綰」を「つなぐ」と訓ませる、「慥」を「たしかめる」と訓む、「放髪」を「はなり」と訓む、「鑕」を「きる」と訓む、「雲翳」を「かげ」と訓む、「現存在」を「にんげん」と訓ませる、など、かなり無理な訓みかたといわなければならない、と思う。
それらの字なり訓なりが、それぞれの作品の中で、その字を使わなければならない必然性があるのかどうか。
それらが常用漢字を使用することによっては「毀損」されるのか。
徒(いたずら)に難しい表外漢字を使うことが、これらの作品の鑑賞に当たって、逆に読者を引き離しているのではないか、作者の「一人よがり」ではないか、作者の自己満足ではないか、を危惧する。
確かに「表外漢字表」を見れば、その字の音(おん)訓(くん)を確認することが出来ても、何だか無理があるなあ、という感じのするものも多い。
漢字は「表意」文字であるから、字の成り立ちには、それぞれ意味があるのである。
例えば、私が突き止められなかった「氵さんずい」に「展」の字なども「氵さんずい」が付くからには「水」に関係するものであるが、当該詩の場合、その場面は「水」辺なのか。
「風景」は「富士」とある。
確かに詩の終章に「震える水に/青い花を 映す/ひとはけの/雲 と・・・」とあるから「水」に関係する場所なのか、とも思うが・・・・・。

始めから否定的な指摘をして申し訳ない。一つの躓き、疑念が尾を引く、と思っていただきたい。
私が作者の作品を「狷介」という理由である。
読者など居なくていい、と言うのならばいいが、それならば、なぜ十冊もの詩集を大金を費やして上梓するのか。
この矛盾を説明願いたい、と思うのである。

さすがに砂子屋書房の編集者は、鋭い。「帯」に引かれた詩は判りやすい佳い作品である。

   白雨が 過ぎる
   瞬時
   ひたむきな 夢を みつめる

       ・・・・・・・

   杓子の数だけ 地上で
    金環日食を 確かめ
   ときに 太陽の靨を愛でる
   蹠に つたわる
    それぞれの重みで
   水温を 分けて
   大気を 分けて
   旅立つ大地の 直下に 在る
      ・・・・・・・                「雲間」抄

判りやすい一連である。
いずれにしても、私は香山氏が、どんな学歴を持っておられるか知らないが、知識をひけらかすのではなく、なるべく分かりやすい字を使って作詩してほしいと願うものである。
いろいろ的外れのこをと書いたが、これらの難しい字の使用も、香山氏の独自性を際立たせるものと言えるだろう。
鑑賞にもなっていないが、今回は、この辺で、お許しいただきたい。
香山氏も若くはないので、これからも体調に留意されて、お励みいただくようお祈りして筆を置く。
有難うございました。      (完)



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