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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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書評「自在なる詩 悲運の帝王ものがたり」・・・沢良木和生
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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     書評「自在なる詩 悲運の帝王ものがたり」・・・・・・・・・・・沢良木和生(小説家)
             ・・・・・詩誌「びーぐる」42号2019/01所載・・・・・・・

 これは小説でもない、論文でもない、エッセイでもない、まさに詩としか名づけようがない、と詩人は言う。
が、この端正流麗な「詩」の流れの中に、評論あり伝記あり、ポルノグラフィあり簡略な性戯解説あり、貴種伝説もあったりして、
何でもありの表現を用いながら悲憤の帝王後水尾への想いをちりばめつつ、まさに闊達自在、これぞ帝王ぶりに語り続ける十五篇のものがたりである。
 徳川秀忠の娘の和子入内を認めざるを得ず、寵妃およつの方とふたりの愛児を手放さざるを得なかった上、
紫衣事件その他、断固朝廷の無力化を図る幕府権力に屈せざるを得なかった英明豪邁の帝王は、悲憤して幕府への予告なく突如譲位、上皇となった。
 以来、天皇四代五十一年、すべての我が皇子を帝位につけ、強力な院政を敷いた。
天皇であれば、古来の祭祀や煩雑な禁裏皇務に時間と労力を必要とするが、それらから自らを解き放った大王は、存分に詩と遊び、性を享楽し、
絢爛たる寛永文化の中心的存在となり、巨大な修学院殿を創建し、三十七人の皇子内親王を多数の女官たちに産ませ、鬱屈するわが懐いを存分に韜晦された。
 詩人はそれを幻視する。
中でもその圧巻は、引き入れた四人の遊女たちそれぞれとの、各種喜悦のまぼろし物語である。例えば

   花芯―お夏の巻  
     お上の舌が容赦なく花芯の先端を舐めつづけるのでお夏は恥ずかしげもなく嬌声を上げて
     「入れて!入れて!」とお上の一物の挿入を求めた。
     お上の温といお筆先がお夏の巾着に食い込んだ。
     因みに巾着とはヴァギナのことである。この巾着はよく締まるなどという。お筆先とはペニスのことである(閑話休題)

のちに後水尾院は詠まれた 
       常夏のはかなき露に嵐吹く秋をうらみの袖やひがたき 

   尺八―お秋の巻
     お秋も市井の遊女である。
     「尺八」の名手として知られていたのをお上が連れて来られたのである。
     尺八とは今風に言うと「フェラチオ」である。
     語源はラテン語のfellare(吸うという意味の動詞)
     古語では「吸茎」「口取り」「雁が音」「尺八」「千鳥の曲」ともいった。
     また勃起した陰茎を横から咥えることを俗に「ハーモニカ」と言う。 

のちに御水尾院は詠まれた
        誰がなかの人目づつみの隔てとて立ち隠すらん秋の川霧

こう各章段の末尾に大王のお歌が匂いづけられているのである。
巻を覆って詩人の蘊蓄に感心するとともに大笑いしてしまった。詩とはかくも大らかに楽しいものであったか。

 この巨象のような男を支えたのはまさに和子東福門院の大きさ、皇室全般への暖かい心配り、そして徳川家をバックとした大いなる財力であった。
昭和天皇までその長寿は最高位であったが晩年の仲睦まじさは前半生を想えば想像もできぬくらいだったそうな。 
 詩人はいう。
     いまわの際に法皇は幻を視られた。
     修学院山荘の大池に舟が浮かんでいて、
     およつ御寮人、新広義門院と東福門院が
     仲良くこちらを向いて微笑んでいる……。

こうして幕藩体制絶頂期のさなか、爛熟の元禄文化に突き進む先達となった悲運の大王を、詩人も幻視しまた涙するのである。


 付記
そういえば「修学院幻視」の「幻視」。
昔のことだが、京都大学万葉学の泰斗沢潟久敬のもとに大浜厳比古という奇才がいた。
大酒飲みで、未完の論文「万葉幻視考」(一九七八・二(株)集英社)一巻を残して早世した。
五年後輩の梅原猛がこんな序を書いた。
「氏は天性の詩人であった。……氏はここで学者の方法ではなく詩人の方法で『万葉集』について語っている。
それは幻視という方法である。
……『万葉集』の編集者は怨みをもって死んでいった無数の人びとの幻を見てその霊を慰めるためにこのような歌語りの書を作った以上、
われわれもまたその幻を見ることによってそういう歌語りに参加できるというのである。
こういうことはふつう学者は言わないものである……」
 博学の著者が、敢えてこの悲運の帝王について物語る以上、詩人として幻視という方法を取らざるを得なかったのではなかろうか。
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「付記」の部分は、字数の関係から掲載誌には載らない筈だったが、この書評を書く「きっかけ」になった、と本人が言うので、敢えて掲載してもらって有難い。
敬愛する沢良木和生氏から、この書評を書いていただき感謝する。
彼には次のような著書がある。
町人剣 たかとみ屋晃造』 (学研2002年刊)──元治元年の「禁門の変」の京都大火を扱った小説
めおと剣 蝶の舞』 (発行・牧歌舎・発売・星雲社2009年刊)──「京・北白川物語」と銘うつ活劇剣の小説 (歴史群像大賞佳作受賞)

両方ともエンターテインメントに満ちた面白い作品である。
アマゾンで買えるし、それぞれ数件の書評が出ているから覗いてみられよ。
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この詩誌・季刊「びーぐる」は、掲出した図版でも読み取れると思うが、四人の編集同人によって発足してから今年で11年目になるという。
詩の商業誌がつぎつぎに廃刊していって、この「びーぐる」は今や詩壇の中に大きく地歩を築いた。
四人の編集同人たちも、詩人・評論家として、重きをなす存在として知られる。
そういう雑誌に、拙詩集の「書評」を載せていただき、感謝いたします。有難うございました。





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