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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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ひとり膝を抱けば秋風また秋風・・・・・・・・・・・山口誓子
seishi山口誓子

  ひとり膝を抱けば秋風また秋風・・・・・・・・・・・・山口誓子

この誓子の句は「秋風」がテーマであって、「膝」は従のものであるが「秋風」というのは写真になりにくい。
ススキなどがなびくのを出して間接的に「秋風」を想像させる、というしかない。
写真は山口誓子である。
19膝本命

「膝を抱く」というのは、何かもの思うときとか心に鬱屈のある時であろう。この句は或るところで見つけたもので初出も何も判らない。誓子は結核に冒されて発病し、勤務先の住友本社を辞めて、三重県の海岸で転地療養していた時期がある。その頃の制作かも知れない。しかし余り自分では気に入っていた句ではなさそうで、自選句の中には入っていない。
山口誓子についても前に採り上げたことがある。「ホトトギス」の4Sと言われていた俊英の時期もあり俳句界の巨匠であることに変りはない有名な俳人である。
以下、以前の句に重複しないように誓子の句を少し引く。

   匙なめて童たのしも夏氷

   夏草に汽缶車の車輪来て止る

   ピストルがプールの硬き面にひびき

   夏の河赤き鉄鎖のはし浸る

   つきぬけて天上の紺蔓珠沙華

   月光に障子をかたくさしあはす

   炎天の遠き帆やわがこころの帆

   蛍獲(え)て少年の指みどりなり

   蟷螂の眼の中までも枯れ尽くす

   手を入れて井の噴き上ぐるものに触る

   流蛍の自力で水を離れ飛ぶ

   街道に障子を閉めて紙一重
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以下、ネット上に載る山口誓子記念館の記事を引いておく。

 山口 誓子(やまぐち せいし) 

 明治34年(1901)年11月3日生。
 平成6年(1994)年3月26日没。

 本名 新比古(ちかひこ)。

 明治34年に,父新助,母岑子の長男として京都府京都市に生まれる。幼時より外祖父脇田嘉一に育てられ,京都・東京・樺太・京都と転居を重ねる。京都一中を経て旧制三高に入学。京大三高俳句会に参加して本格的に句作を始める。大正11年東京帝国大学法学部に入学,東大俳句会に加わり,高浜虚子に直接指導を受けるようになる。

 大正15年に東京帝国大学を卒業し,大阪住友合資会社に入社する。昭和3年浅井梅子(波津女)と結婚。住友合資会社では主に労務関係を担当していたが,学生時代からの胸部疾患のため,昭和15年に住友合資会社を休職,翌年には伊勢富田に転地し保養に努める。昭和17年病状が悪化し療養のため退職し,その後文筆活動に専念する。

 昭和初期に「ホトトギス」雑詠欄の新鋭として活躍,阿波野青畝(せいほ),水原秋桜子(しゅおうし),高野素十(すじゅう)とともに「四S」の一人に数えられた。素材としては好んで近代的材料を取り上げ,方法としては写生構成を唱えて,硬質の叙情世界を開拓,いわゆる新興俳句運動に対し先導的役割を果たした。しかし無季俳句派とは常に一線を画し,昭和10年「馬酔木」に同人として参加,秋桜子等と連携し,有季定型を遵守した。

 昭和23年主宰誌「天狼」を創刊,多くの俳友・門下を糾合して,戦後の俳句復活に大いに寄与した。ことに俳句の根源を厳しく追求する一派の運動は,俳句固有の方法の開発に貢献したと高く評価されている。

 昭和51年勲三等瑞宝章を授章,昭和62年芸術院賞受賞,平成4年に文化功労者として顕彰された。

 また,誓子が俳人として多くの優れた作品を著し,その蔵書約2万冊を神戸大学へ寄贈し同大学における国文学研究に多大なる功績があったことから,昭和63年6月16日に,神戸大学として初めてとなる「神戸大学名誉博士号」の称号が授与されました。
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この記事をご覧になったデュエットさんからコメントがあって、写真②のように膝を抱くのを「体操座り」と表現された。
ネット上でもリンクにしたようにWikipediaにも出ている。
体操時間で他の人の演技などを見ていたりするときに待機するのに、よく膝を抱いて座るのを、こういうらしい。一時「ヂベタリアン」などという表現があったが、考えてみると、若い人たちが、じきに地面に座ったりするのは、子供のときからの、こういう姿勢が影響しているのかも知れない。
私などは、老年だから「膝を抱く」というと、必ず「物思い」という連想に至るのだが、これも年月のもたらすものであろうか。
デュエットさん、有難うございました。(旧記事のリメイクです。ご了承ください)

コメント
コメント
お尋ねします。
戦前は体育の時間に座っているときは
どういう座り方をしたのでしょうか。
正座?それとも「座る事はなかった。」?
2009/10/31(土) 01:35:53 | URL | 2000円マスター #- [ 編集 ]
「あぐら」座り、ですかね
■マスターさま。
お早うございます。
戦前は、こういう足を前に投げ出したような
座りかたはしませんでした。
強いて言えば「あぐら」座り、ですかね。
とにかく「立たされる」ことが殆どでした。
朝の「朝礼」のときなど、時間が長くなると、倒れる生徒が何人か居ましたから。
体育(戦前は、体操という教科です)のときの
待機の際は「立つ」か「しゃがむ」姿勢でした。
「座る」というのは「怠惰な」姿勢と思われていたようです。
まさか土の上に「正座」はないでしょう。
もちろん「懲罰」のためには、土の上に、わざと正座させられる、
ということはありました。
私が旧制中学校のときには「砂利」の上に正座や、柔道の「受身」をさせられたことがあります。まさに生徒の人権も何もあったものではありません。
教師による体罰も日常茶飯事でした。何かあればビンタが飛んできました。
今は体罰禁止が法的に謳われていますね。
少しは参考になりましたか。
では、また。
2009/10/31(土) 07:34:19 | URL | sohya #- [ 編集 ]
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