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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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山田兼士詩集『羽の音が告げたこと』・・・木村草弥
山田_NEW

──山田兼士の詩と詩論──(17)

     山田兼士詩集『羽の音が告げたこと』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・砂子屋書房2019/04/03刊・・・・・・・・

この本は山田先生の第五詩集ということになる。
「あとがき」で、こう書かれている。

< 前詩集『月光の背中』以降、三年ほどの間に書いた作品をまとめて第五詩集としました。
「夢幻境」は二十歳の頃の作品を大幅に改稿したもので、いわば二十歳の自分とのコラボレーションです。
「Ⅰ」の作品も含めて、今回はかなり懐旧的な作品が多くなりました。
「Ⅱ」には文学作品との対話(詩論詩)を、「Ⅲ」には音楽や美術との対話(芸術論詩)を集めました。
その文脈でいうなら、「Ⅰ」と「Ⅳ」は自身(や家族)との対話詩と呼べるかもしれません。
詩はモノローグではなくディアローグなのだ、との思いが近年ますます強くなっています。  >

先ず、この本の題名になっている巻頭の詩を引いておく。

      羽の音が告げたこと

   母の死から五年後
   父も死んで
   消えていく家族の儚さゆえ
   軽い虚脱感を覚え始めた二十代の終わり頃

   そんか時 そこに
   生まれてきた きみは
   透明な羽を背にのせていた
   ぼくを父にするために

   病院へと続く並木は
   木枯らしに枝を揺らし
   新生を祝うかのように
   枯れ葉を静かに降り注いでいた

   初対面の二九八〇グラムのきみは
   この世界への長旅に疲れたかのように
   静かな笑みを浮かべて眠っていた

   出産を終えたひとは
   きみが生まれたとき
   かすかにはばたく羽音に
   思わず耳をすませたといった

  だれの目にも見えないが
  だれの耳にも聞こえないが
  透明な羽は祝福のあかしだ
  そのはばたきは鐘の音だ

   きみの羽の音が告げたこと それは
   生まれたのはきみだけじゃないこと
   ぼくたち自身てもあること
   それが新生ということだった

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「あとがき」で書かれている「自身や家族との対話詩」の典型だろうか。 
「Ⅰ」には、そういう懐旧的な詩が連なっている。
それらの作品は「四行のフレーズ」が連なる整然とした作り方になっている。
「家は正方形」 「すみよっさん」 「似非大阪人的告白」など、みな、このスタイルである。

「Ⅱ」は「詩論詩」だと言われているが、「頭韻」 「脚韻」などの試みが、いくつかある。

    くのこころに 涙降

    ↓  ・・・・・・      ↑

    すばん犬がとおせん

つまり冒頭の「ぼくのこころに涙降る」が、「頭韻」「脚韻」になっているということである。
こういう「言葉遊び」は、私が「未来」短歌会に居るときには、編集部の企画で何度かやったものである。
ただし、日本語の特性として、こういう「頭韻」「脚韻」は余り有効ではなく、日本では「音数律」が今もなお有効なリズムとして生き永らえているのである。

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       「ラ・ボエーム」変奏曲

    一九世紀パリのボエミアンは清くまずしい野心家で
    友達に恋人を紹介する場で
    ──ぼくは詩人です
       そして彼女は詩なのです──

    二〇世紀モリオカのボエミアンは悲しいアナキスト
    家族に恋人の紹介をすると
    ──ぼくは歌人です
       そして彼女は歌なんです──

    二一世紀トーキョーのボエミアンは寂しい道化もの
    仲間に恋人を紹介するのも
    ──ぼくは漫画家です
       そして彼女は漫画です──

    文学者も美術家も音楽家もこういう場合
    彼女は詩です と、 紹介するのが真の愛

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作者は、こういう形の整った形式の詩が好きらしい。
作品を書き写すのも、結構疲れるもので、引用は、このくらいで終わりたい。

「帯」文に書かれていることだが、「詩は、すべてはディアローグのために」ということは大事なことで、このことは強調しておきたい。
ディアローグ──英語で言えば「ダイアローグ」であるが、対する「モノローグ」は弱い。

この言葉を終わりとして、ささやかな鑑賞を終わりたい。
不十分な、散漫な物言いに終始したことをお詫びしたい。
ご恵贈有難うございました。 益々のご健筆をお祈りして筆を置く。       (完)



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