
みづからを思ひいださむ朝涼し
かたつむり暗き緑に泳ぐ・・・・・・・・・・・山中智恵子
いま二行に分けて書いてみたが、もちろん原歌は、ひと連なりの歌であるが、二行に分けて書いてみると、その感じが一層強くするのが判った。
この歌の上の句と下の句は、まるで連句の付け合いのような呼吸をもって結びついている。
事実、作者は一時期、連句、連歌に凝っていた時期がある。
この歌の両者は微妙なずれ、あるいは疎遠さを保って結びついているので、却って、結びつきが新鮮なのである。
この歌は字句を追って解釈してみても、それだけでは理解したことにはならないだろう。
叙述の飛躍そのものの中に詩美があるからである。
「みずからを思い出す」という表現は、それだけで充分瞑想的な世界を暗示するので、下の句が一層なまなましい生命を感じさせる。
大正14年名古屋市生まれの、独自の歌境を持つ、もと前衛歌人であったが平成18年3月9日に亡くなられた。
この歌は昭和38年刊『紡錘』所載。
先に、永田耕衣の「かたつむり」の句を挙げたので、それに対応してこの歌を掲出した。 掲出の画像は「ヒメマイマイ」というかたつむり。
以下、山中智恵子の歌を少し引く。
-------------------------------------------------------------------
道の辺に人はささめき立春の朝目しづかに炎えやすくゐる
わが戦後花眼を隔てみるときのいかにおぼろに痛めるものか
ああ船首 人は美し霜月のすばるすまろう夜半めぐるらう
さやさやと竹の葉の鳴る星肆(くら)にきみいまさねば誰に告げむか
淡き酒ふくみてあれば夕夕(ゆふべゆふべ)の沐浴ありときみしらざらむ
この世にぞ駅てふありてひとふたりあひにしものをみずかありなむ
未然より未亡にいたるかなしみの骨にひびきてひとはなきかな
秋はざくろの割れる音して神の棲む遊星といふ地球いとしき
こととへば秋の日は濃きことばにてわれより若きガルシア・マルケス
こもりくの名張小波多の宇流布志弥(うるぶしね) 黒尉ひとり出でて舞ふとぞ
ああ愛弟(いろせ)鶺鴒のなくきりぎしに水をゆあみていくよ経ぬらむ
ながらへて詩歌の終みむことのなにぞさびしき夕茜鳥
意思よりも遠く歩める筆墨のあそびを思ひめざめがたしも
きみとわれいかなる雲の末ならむ夢の切口春吹きとぢよ
その前夜組みし活字を弾丸とせし革命よわが日本になきか
くれなゐの火を焚く男ありにける怪士(あやかし)の顔ふりむけよいざ
ポケットに<魅惑>(シャルム)秋の夕風よ高原に棲む白きくちなは
| ホーム |