FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201907<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201909
日向輝子歌集『朱花片』・・・木村草弥
日向_NEW

──新・読書ノート──

     日向輝子歌集『朱花片』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・角川書店2019/03/25刊・・・・・・・

この本は日向輝子さんの第三歌集になる。
日向輝子さんの第二歌集『夕ぐれの記憶を探しに』については、← このブログに書いたことがある。
いま読み返してみると、歌集の本質に迫り得ていない不十分な文章であることが判る。
この第三歌集については柳川創造氏の19ページに及ぶ長文の「跋に代えて」という周到な解説がついている。
柳川氏は結社誌「綱手」主宰者・田井安曇亡きあと「綱手」の編集人をされている人である。(発行人は井上美地)
この文章は第二歌集『夕ぐれの記憶を探しに』を踏まえて、著者の父上の籔島五郎や母上の徳子の生い立ちなどに詳しく触れながら書かれている。
けだし、この文章を読むことによって、日向さんの歌を十全に読み解くことが出来るようである。
私は、この文章を読む前は、この第三歌集の歌を採り上げて書かれているのかと思ったが、そうではなくて、第二歌集などを巡って日向輝子という人間を際立たせるものである。
私が第二歌集『夕ぐれの記憶を探しに』の文章に書いた不的確さを修正し、正してくれるものである。

この本は2010年7月から2017年9月までの歌から334首が選ばれている。
題名の「朱花片」というのは、「アララギ」の吉田正俊の歌集『朱花片』に因むものだという。
吉田正俊は「アララギ」の幹部だったが、「綱手」の主宰者・田井安曇の師系・近藤芳美にも繋がる人であり、いわば象徴的な命名である。
この命名についても柳川創造の「声がかり」があるようである。
この色「朱花」というのは「はなだ色」のことであり、それに因んで「萬葉集」から四首引かれている。
そのうちの一首
  <はねず色の移ろひやすき情なれば年をそ来経る言は絶えずて>
                          (巻十二・3074 作者不詳)
が引かれている。
ここで私の極私的懐旧にひたることを許されたい。
私の第二歌集『嘉木』
  <はねず色のうつろひやすき花にして点鬼簿に降る真昼なりけり>
は、万葉集の上記の歌を踏まえて作られている。
この歌は塚本邦雄が読売新聞の「短歌時評」で採り上げて書いてくれたものである。
「はなだ色」とか「はねず色」とかも同じ表現のものである。 (閑話休題)

以下、この本に沿って少し書いてみたい。

  *感情より人は老ゆると風ぬるきビルの谷間にひらく木槿(ムグンファ)
  *ハングルは話せず読めずおずおずと地図をひろげる乙支路入口(ウルチロイツク)
  *安寧はアンニョンハセヨの안녕と幼き男の子教えくれたり
       昭和十四年、松阪商業学校を終えた父は、海を渡り朝鮮銀行に就職した
  *此処に四年勤めしならん 旧朝鮮銀行京城本店朝九時の大扉
  *鵲と木槿の国より帰り来て庭の目白にこぼすパン屑

木槿(むくげ)は韓国の「国花」である。ムグンファと発音するが原語は漢字で「無窮花」と表記する。この漢字の韓国語読みがムグンファなのである。
韓国では李朝がハングルを創始したように中国離れを意識した運動がめだつが、このように言葉というものは、そんなに一朝一夕には切り離せないものである。
木槿は、ご承知のように夏の間、次々と花が咲き次いで咲くので無窮花と呼ばれ、韓国の国花となったものである。

作者は日々起こることにも鋭敏に反応して作歌する。

  *唐突に止まりし時間 日常の曇りに紛るる山桑の花
  *朱鳥元年春睦月 地震振るとあれば栞して閉ず  (『日本書紀』天武天皇 下)
  *フクシマの安達原の鬼たちよ息災なりや また春が来る

これらは東日本大震災に因む歌である。

*唐突に母の始めし昔語り父と出逢えばそこで終わりぬ
*さくらさくら桜に紛う四辻に子の名を母は置き忘れたり
*亡き父の地図に広がるバイカル湖 立ち待ちの月が昇り始むる
*二つ目のプッチンプリン平らげて「哀しいねえ」と母は呟く
*八十歳越えたる母と五十代終わる私に五月は曇る
*わが母は乙女のごとく微笑めり その一切の終わりたる今
*罷りゆく母に持たさむ赤き薔薇、加賀の友禅、ミルクキャラメル
   二人暮らしとなった両親が飼い始めたのは、ジュリーという名の雄犬だった
*見るたびにかたちを変える秋雲が犬のジュリーに見ゆる夕暮れ
*秋空の青深ければわが母のみ骨を抱きて伊勢へと下る
*東京に生まれし母の定めたる奥つ城所 父のふるさと
*逝きてのち出でて来たりし一通の「延命治療希望しません」
*飲めぬ酒に酔いては帰り「月の砂漠」歌いおりしは壮年の父
*わが嫁ぎ行きたる夜も「月の砂漠」調子外れに唄いおりしと
*ある時はミルクチョコレートが出でて来ぬ父の昭和の通勤鞄
*手の甲に載せて味見る林檎ジャム母の流儀の朽葉色して

父と母に因む歌をまとめてみた。
父は前の歌集の時に亡くなっているが、母の死は、この歌集のさなかだったが、坦々と詠われている。
これが日向さんの詠いぶりの特徴である。父の故郷は三重県であり、母は東北生まれだが、墓は夫と一緒にしてくれ、希望したという。
第二歌集と、この第三歌集とで、肉親の詠み方が違ってきた。

この歌集には外国旅行詠が見られるのが特徴である。少し引いてみる。

*耳切りしゴッホを容れし病院の廻廊に咲く花のくれない       アルル
*うなだるるガリア虜囚は刻まれて凱旋門は街道に建つ       オランジュ
*極東の夏の記憶を持たざれば夾竹桃の花やさしかり        エクサンプロバンス
*會安は海のシルクロードの果ての町 黄の家壁に茉莉花は揺る ベトナム  2016年秋
*日本橋に金星紅旗翻る 町の朝を水満たす音
*菩提樹は散りやすき花 散らせつつ夏の朝を蜜蜂は飛ぶ      中欧    2017年六月
*プラハ城黄金小路二十二番地カフカ三十七歳の仕事場なりき
*時差ぼけの身体引き摺るブルクリンク絵葉書描きのアドルフが行く   ウイーン

雑駁な鑑賞を、そろそろ終わりにしたい。ここらで私の好きな歌を引いて終わる。

*端渓の硯の海の生ぬるき薄ずみに書く海のひと文字
*長谷寺に花香「もみぢ」買いたるにわが住む町の夜には明し
*こぼたるる生家より夫は貰い受く東の棟の鬼瓦一枚
*逆光を浴びて夫の影ふかし長の子なれど家承けざれば
*手擦れせる譜面に弾きいる「紡ぎ歌」子は上り阪のぼりいるのか
*来(こ)、来(き)、来(く)、来るはずのなき人を待つ夏鳥の飛ぶ馬場下町に

数少ない「夫」と「子」を詠んだ歌も、ついでに引いておいた。

装丁の熊谷博人氏、角川書店編集部・打田翼氏には私も最新歌集でお世話になった。
柳川創造氏の「跋」文は、この本の鑑賞の上で大変に役立ったことを敢えて書いておきたい。
ご恵贈有難うございました。 雑駁な鑑賞をお詫びする。       (完)




コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2019 Powered By FC2ブログ allrights reserved.