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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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宗形光歌集『スマトラトラ』・・・木村草弥
宗形_NEW

──新・読書ノート──

      宗形光歌集『スマトラトラ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・本阿弥書店2019/03/21刊・・・・・・・・・

この歌集が贈られてきた。
著者の宗形光氏は私には未知の人だが、今をときめく短歌結社「塔」の会員であり、「さいたま歌会」などで三井修氏の指導を受けておられる。
そのついでに言うと、つい先日「北さいたま歌会」などに拠る久川康子歌集『桜回廊』の恵贈を受け、鑑賞文をブログに載せたばかりであった。
↑ リンクになっているので、アクセスされたい。
三井修氏には私の第四歌集『嬬恋』批評会で批評いただいて以来、第一詩集『免疫系』、第二詩集『愛の寓意』の「栞」文の執筆をしてもらった上に、
第五歌集『昭和』を読む会を東京で開いて貰う設営など一切を取り仕切っていただいた恩のある方である。敢えて書き加えて御礼申し上げる。
( 注・赤字になっている部分は、リンクになっていることを示すのでアクセスして読んでみてください )

宗形光氏の略歴は
1961年 福島県生まれ
2010年 「塔」短歌会入会
としか書かれていない。
この本を読み進めたり、三井修氏の9ページに及ぶ「解説 現代社会活写の歌集」という文章によると、宗形氏は「税務職員」であるらしい。
それにまだ若いし、現役で仕事をしておられると思われるなどの事情から仕事や職務内容を明かすことはできないらしい。
今まだ若いと書いたが、計算してみると、もう58歳ということになり、初老の域にさしかかっており、若いとは言えないことに気づく。
この歌集『スマトラトラ』は2010年から2017年の467首の歌が編年体で納められている、という。
宗形氏は本名・吉光というらしい。そこから「光」というペンネームを採られた。
題名の「スマトラトラ」という命名だが、インドネシアのスマトラ島に棲息する「スマトラ虎」の謂いとのことである。
この本の121ページに「スマトラトラ」の項目があり、そのはじめに

  *スマトラ島に棲むトラなればその和名スマトラトラと命名されぬ

という歌があり、そこから題名が採られている。
Wikipediaによると、「スマトラトラは、トラの中で最小の亜種である。また現存する亜種の中で最も南に生息し、唯一島に生息しているトラでもある。
生息域は、インドネシア国スマトラ島の熱帯モンスーン林である。」
と書かれていて、森林伐採などにより生息域が狭まり「絶滅危惧種」に指定されているという。

ついでに書いておくと、宗形氏の歌の載せ方は独特で、この項目の歌も「トラ」の歌は、この一首のみで、後の12首は全く別の「日常詠」である。

  *千駄木の路地の真中で黒猫は脚あげ舐めるひたすら舐める
  *電柱の根元に生ゆる蒲公英は過ぎゆく車の風に揺れいる
  *健診の結果告げたる医師を思い納豆パックの膜を剥がしぬ
  *公園にスマホの明かりが仄めきて長き黒髪照らしておりぬ
  *荒川の土手に背中をくっつけて見上げてみれば空しか見えず

私なんかは「連作」として同じテーマの歌を並べたりするが、宗形氏の歌は項目の中でも自立している。
ただ一首、一首が精細な観察によって詠まれていて、リアリティを感じさせるのが秀逸である。
ここにあげた歌の終わりからの二首などは「相聞」であろうか。
「荒川」というのは、しょつちゅう出てきて、作者の住所が北区であることから、近いのであろうか。

この本については図版でも読み取れると思うが、前・主宰・永田和宏の「帯」文に書かれているように全篇が「坦々と」「淡々と」進行してゆく。
このことが一巻を通読した強い印象である。 そのことを先ず指摘しておきたい。
最近いただく歌集の特徴は「坦々と」「淡々と」ということである。
考えてみれば、今どきの世の中は単調で、特筆すべき社会現象が起きにくい。それが歌作りにも反映しているだろう。
みんなの日常生活も、そうである。
だが、世界に目を向けると痛ましい、残虐な事件も頻出する。そういうことに宗形氏は果たして、どういう反応を示すのか、それらは余り描かれない。

ここで税務職員としての「仕事」の歌を引いてみる。
  *ようやくに謎が解けたるここちして箸の袋に取引図かく
  *おまえはぼけおまえはつっこみ役をやれ復命ののち上司は言いき
  *秋風を夏のスーツに受けながら質問検査権を行使す
  *ていねいにていねいにさらにていねいに説明してもたりぬか説明
  *三十年、当該職員であるからに違和なくなりぬ当該の文字

私も現役の頃は、吹けば飛ぶような会社の代表をやっていたから、税務職員には何度か接触したが、まじめに、几帳面に納税してきたから、申告を「否認」されるようなことはなかった。
「優良法人」になることはなかったが、納税申告は、ほぼ「是認」されていたので税務職員との直接の接触は少なかった、と言えるだろう。
私は、なるつもりがなくて家業の商売を継いだが、私の専攻は文学部で、簿記のボの字も知らなかったが、引き継いだ会社の帳簿組織は完備しており、それを踏襲すればよかったのである。
簿記のイロハは知り合いの税理士に教わったが、税務は私が税理士に頼らずに自分で申告していた。
勉強してみれば難しいものではないのである。税金を誤魔化そうとするから苦労するのであって、何事も明るみに出してやれば簡単なのである。
私は、「素人」だったから、そういう主義でやってきて大過なく過ぎたと思っている。
先に引いた宗形氏の歌のことなどは私には違和感のある「作戦」のように見えた。ただ、そういう不正を働く輩が居るからの「策」なのであろう。

宗形氏の歌には通勤途上の駅や電車の中の歌などが多い。
  *「お体を引いて下さい」アナウンス繰り返される五度早口で
  *池袋のブクロに力を込めながら繰り返される車内放送
  *出張の一日を静かに区切るごとチャイムが鳴れり新横浜に
  *響きたるドアー閉まりますのアナウンスその二秒後にドアは閉まりぬ
  *抑揚はげに心地よし「ハンゾーモン サブウェイ ラーイン フクトシン サブウェイ ラーイン」

たくさんあるが、そのほんの一部を引いてみた。

穂村弘の歌集を読んでおられるようである。
穂村の歌には「ただごと歌」のような作品が多いが、これも現代社会の様子を反映したものだろう。

  *枕元に穂村弘の歌集置くスマホと眼鏡を載せんがために

この歌などは、直接、穂村の歌に触れることなく「スマホと眼鏡を載せんがために」歌集を置く、として皮肉である。

今どきは短歌も雪崩を打って「口語」化している。
宗形氏の歌は、完全な口語文脈でありながら、文語体になっているのが、ままある。
例えば
  *この朝も珈琲店を過ぐるとき窓にスーツの我が映れり
  *丁寧に話しはじめて用件はわからぬままに留守電終わる

この二首を比べてみて、終わりの歌は完全な口語文脈だが違和感はない。
では、一首目を「過ぎるとき」としても何ら問題はないと思うが、いかがだろうか。
結句が「映れり」となっているから、そうされたのかも知れないが、ここも「スーツの私が映る」としたら、いいのではないか。
歌の完成度が変わるだろうか。
こういうところが何か所もある。 私の違和感を持ったところである。
とは言っても、そんなことは枝葉末節のことであって何も問題にする必要もないかもしれない。
しかし、多くの人に、もっと短歌を広めてゆく必要があるとするならば、このことは大切なことではないかと思うのである。
無理に「文語」文脈にする必要がない、と言いたいだけである。

とりとめもない雑駁な鑑賞も、そろそろ終わりにしなければならない。
巻末近くに、こんな歌がある。

  *あなたってコロンボのような人ですね褒め言葉として受け取っておく

この歌も、恐らく、税務調査での「ひと駒」ではないか。
刑事コロンボの画面で、コロンボの常套手段が、別れ際のセリフがある。それが、また有効なのである。
多分、この推測は正しいと思う。

  *ありぬべし分母と分子 柿ピーのPの割合案じて食す

この歌などは、文語文脈が有効なものである。

いずれにしても、爽やかな一冊を読ませていただいた。そんな感想のうちに終わりにしたい。
ご恵贈有難うございました。 不十分な鑑賞をお詫びする。       (完)


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