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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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梅の奥に誰やら住んで幽かな灯・・・・・・・・・・・・・夏目漱石
aaooume000梅大判

──季節の一句鑑賞──梅題──

■梅の奥に誰やら住んで幽(かす)かな灯・・・・・・・・夏目漱石

梅の花が本格的に咲き揃う時期になって来たので、急いで今日は梅に関する「三題ばなし」を書くことにする。先ず夏目漱石である。
掲出の句は夏目漱石の作品で、彼独特の諧謔性に満ちた句である。「誰やら住んで」というところが面白いし、「幽かな灯」というのも広い梅林を想像させて奥行がある。漱石は俳句を余技としてたくさん作っている。
漱石は英文学者として出発したが、小説家として主に朝日新聞を拠り所にして、次々と作品を発表した。当代一の文化人であったから、師弟関係にあった文学者、科学者などが多い。科学者なども──たとえば中谷宇吉郎など、いずれも文筆でも優れた文章を残している。
漱石における俳句はあくまでも「余技」であったが、伝統的な文学として、漱石は深く愛していた。

b0066409_147257肥後椿

■片隅で椿が梅を感じてゐる・・・・・・・・・・・・林原耒井

林原耒井(らいせい)は、明治20年福井県に生まれ、昭和50年に没した。
号の耒井は本名の耕三の「耕」の字を分解したもの。
旧制一高時代から夏目漱石の門に入り、漱石作品の校正を任されるなど愛弟子の一人であった。英文学徒として旧制松山高等学校で教えていたことがある。
俳句は臼田亞浪の「石楠」(しゃくなげ)に参加、論客として知られ、特に『俳句形式論』は重要な著作とされる。
掲出句は『蘭鋳』(昭和43年刊)から。
椿は春の花とされ、梅に引続いて咲きはじめる。時期的には咲くのが重なることもあるので、この句では、それを「片隅で椿が梅を感じてゐる」と表現する。
先に挙げた漱石の句の諧謔性に相通じるものがあるではないか。師弟の関係の妙である。
「明暗」というサイトに漱石と林原との記事があり、見られるといい。

hana565_1_ume紅梅

■白梅のあと紅梅の深空(みそら)あり・・・・・・・・・・飯田龍太

紅梅は白梅よりも少し遅れて咲きはじめることが多い。白梅の「白」のあとにグラーデーションのように「紅」色が色を増してゆく、というところが面白い。それに花の上の「空」を「深空」と表現したのも秀逸である。
飯田龍太は飯田蛇笏の子として幼少の頃から俳句に親しんできたが、父の死後、俳誌「雲母」の主宰者を継承して俳壇で重きをなしてきたが、十余年前に結社を解散した。俳誌などの世襲制に対する批判などもあるが、主宰制は、いくたの欠点もある。そういうことを自覚した上での、いさぎよい決断だ。まだまだ影響力があった全盛期での決断だった。

  
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