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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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高旨清美『昼顔讃歌』・・・木村草弥
六花_NEW

──新・読書ノート──

    高旨清美・雨宮雅子作品鑑賞『昼顔讃歌』─離教への軌跡・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・六花書林2019/05/24刊・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。
高旨清美さんは同人雑誌「晶」で、いつも作品を拝見している人である。
ここに居る村島典子さんとは親しくお付き合いさせてもらっているが、高旨さんとは名前を知るのみで親しい付き合いはない。
そんな私に御著を頂いて有難いことである。厚く御礼申し上げる。
いま調べてみると、「晶」79号2012/09/18で私のブログに高旨清美さんの作品「猫友だち20首」を採り上げているのである。
そこには、私は、こう書いている。 
<高旨さんは、無類の猫好きとして知られているが、今回も猫を媒体として、古今を飛翔して都会の哀歓を詠んで、読者を引き付ける。>
ネット検索で出てくるのは変な体裁になっているが、ご覧いただきたい。

さて、雨宮雅子は高名な歌人であるから、よく知られている人である。
彼女の歌集に『昼顔の譜』というのがあり、高旨さんの本の「昼顔讃歌」というのは、ここから採られている。
題名の副題として書かれる「離教」というのは、Wikipediaの記述を参照されたいが、長年キリスト者として過ごしてきた彼女がキリスト教を離れたことを意味する。
画像でも読み取れるように長年、私淑してきた雨宮雅子を精彩に鑑賞したのが、この本になる。

いまネット検索していいると、こんな記事が目に留まった。  ↓

  雨宮雅子さんの生前最後の作品 ?    恒成美代子

『短歌往来』(ながらみ書房)の2015年1月号の「編集後記」を読んでいたら、「本号、雨宮雅子氏の作品は生前最後の作品ではないかと思われる。」と書いてあった。
雨宮さんは昨年の10月25日、85歳で亡くなられている。
作品締切のことなど、考えあわせると、そのようにも思う。

           昼顔         雨宮 雅子

      海の風に触れゐるところ須臾の間をはた悠久を咲ける昼顔
      

      曼珠沙華この世の修羅も見尽さで野放図なるは穏しき野ゆゑ


      父母の知らざりし世よいまの世にわれも知らざること多くなる


      神はいますや画然としてものらみな秋のひかりのなかなるひと日


      肩掴み老耄にわれを据ゑたがる強きちからよいつ勝負せむ

                                     (7首中の5首)

亡くなられたのちに読者に届いた歌。
2首目の「この世の修羅も見尽さで」は、曼珠沙華であり、作者そのひとでもあろう。
もう、新作が読めないと思うと、ほんとうに惜しまれてならない。
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ここでも「昼顔」である。 雨宮さんは、この「昼顔」に、物凄い執着があったのが窺える。
高旨さんも、巻末に載る「エッセイ」で、こう書いている。

     悠久を咲く昼顔  「雅歌」62号2015年4月号所載

  海の風に触れゐるところ須臾の間をはた悠久を咲ける昼顔
                               「短歌往来」2015年1月号

「昼顔」は、雨宮さんが繰り返しうたってきた花のひとつである。
とりわけ昼顔を好んだのではないだろうか。
第八歌集『昼顔の譜』のあとがきには、こう記されている。
   「昼顔」は私の大好きなはな。貌花とも言われるこの花のあえかな美しさは、この世のものではない感じがある。
    あの世からの音信のように昼顔を眺めて暮らした一夏──

この年(2002年)の四月に、雨宮さんは東京・江東区から湘南の地に転居したのだった。
そして縁の深かった海辺の地で、2014年10月、一生を終えられた。
昼顔は、線路沿いの空き地などに普通に見られる。
浜辺に咲くのは浜昼顔であるが、どちらも強靭な植物でありながら、その色と姿ははかない、と見えるほどに淡い。
雨宮さんは昼顔に、天からの光を湛える「受動的な器」としての美しさを見ていたのではないだろうか。
昼顔は、天からの使者、メッセンジャーとしての働きをもつ花。
その存在は単独では果敢ないが、ときに神の仲介者として、永遠を示唆する美を輝かせるものとなる。

   けふひと日ひかりによりて耐へさせよ昼顔のうへ夏のきてをり    『昼顔の譜』

   昼顔のむらがるところかがやきて壮年の人の汗したたらす      『非神』
   ひるがほは群生のうへ翳りたり神の横顔の過ぎむとしつつ

「神」は雨宮さんの思惟における翳りの源の一つ。
現実の生の課題を抱え、そこから解き放たれることを願っての求道の心を、長く、苦しく、離教するまでもち続けた雨宮さんであった。

   わがつぎの世にも咲くべし夏果つる無人の駅の昼顔の花      『秘法』

雨宮さんから歌誌「雅歌」の「招待席」のページのお話をいただいてお引き受けしてから、いつの間にか十八回を重ねた。
・・・・・六年間の誌面での歳月を「雅歌」の皆様に感謝申し上げると共に最後まで拙い鑑賞文を続けさせていただいたことで、少しでも雨宮さんのお気持ちにお応えできただろうかと思う。
永遠の眠りにつかれた雨宮さんのご平安を、心よりお祈りする。
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ここに引いた高旨さんの文章に、この本のエッセンスが凝縮していると言えるだろう。
ほんの一部に触れただけで恐縮するが、ご恵贈に対する御礼としたい。
不十分な鑑賞に終始したことをお詫びします。             (完)







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