FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202007<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>202009
今年の南山城の「晩霜」被害について。・・・木村草弥
tyagyou2.jpg
ooishita_img02.jpg
↑ 化繊・クレモナによる覆い下茶園

26012004746.jpg
 (ご参考) ↑ 「防霜ファン」を設置してある風景

──エッセイ──

      今年の南山城の「晩霜」被害について。・・・木村草弥

当地の茶摘みが八十八夜を過ぎても、一向に始まらないので気になっていたが、四月下旬の強い「晩霜」によって、露地茶園だけでなく、覆い下園も被害を受けたらしい。
ようやく昨日辺りから、茶摘みが始まった。
「晩霜」被害を受けた茶の新芽は凍結するので、黒く変色した部分が硬くなるのを待って、竹箒などで、丁寧に払い落とす必要があり、大手間である。
これを丁寧にやっておかないと、新芽に混じると品質が凄く低下するので慎重に作業される。
そういう作業が済み、二番芽が、ようやく生え揃ったらしい。
新聞などでも、これらのことは全く報道されない。というより、茶農家が、変な風評被害を怖れて、語りたがらない、のが原因だろう。
茶農家の人と話していると、霜害は二度あり、特に後の日の被害がひどかったらしい。手摘みの場合は、傷んでいない芽を拾い摘みする始末で大損害だという。
ここで「覆い下園」栽培についての最新の研究成果を、下記に引いておく。  ↓
-------------------------------------------------------------------------------
覆下栽培は、茶の樹木の上に稲わらなどを被覆し、直射日光を避けてお茶の品質を高める伝統的な栽培手法。
1577年に宣教のため来日したポルトガル人ジョアン・ロドリゲスが1604年に著した「日本教会史」に初めて宇治の覆下茶園が登場しており、これが最古の文献記録となっている。
 研究は府立大学地域貢献型特別研究の一環。
同大学院生命環境科学研究科の矢内純太教授と中尾淳准教授ら土壌、地質、年代測定、植物各分野の研究者5人が共同で実施。
室町時代の将軍、足利義満が特に優れていると指定した「宇治七茗園(うじしちめいえん)」のうち、現存唯一の茶園「奥の山茶園」(宇治善法、20㌃)で2015・16両年度に行った。
 在来最古の茶樹直下の土を60~70㌢掘り起し、土壌試料を採取した。
土壌断面の調査と合わせて、往時の覆下栽培に用いられてきた稲ワラに由来する炭素やケイ酸の含量、土層中の位置関などを科学的に分析。
その結果、文献記録による16世紀後半より約150年前、少なくとも15世紀前半にまでさかのぼると推定できたという。
 同茶園は15年4月に文化庁認定日本遺産「日本茶800年歴史散歩」の構成文化財にも選ばれている。
所有者の㈱堀井七茗園(宇治妙楽)の堀井長太郎社長(68)は「先人がこんなにも早くから覆下に着目し、茶づくりをしていたことが科学的に実証され、びっくりするとともにうれしい。宇治茶の伝統や歴史保持につながる」と喜ぶ。
 矢内教授は「宇治茶の歴史に対し、理系側のアプローチで示すことができたのが今回の意義。宇治茶の独自性を高めることにつながる」と期待する。
測定調査では年代幅があるため、さらにさかのぼって同茶園の開設当初から覆下栽培が行われていた可能性もあるという。
-----------------------------------------------------------------------
質問があったので、「防霜ファン」の画像を、念のために追加しておく。



コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.