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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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冨上芳秀詩集『白豚の尻』 『詩遊No.59』・・・木村草弥
富上_NEW

詩遊_NEW

──冨上芳秀の詩──(1)

     冨上芳秀詩集『白豚の尻』 『詩遊No.59』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・詩遊社2018/01/01刊ほか・・・・・・・

標記の本が贈られてきた。
巻末の略歴によると、冨上芳秀氏は1948年和歌山市生まれ。
多くの著書がある。
その中で、1980年 詩集『聖母の月』 (紫陽社) というのが目についた。
紫陽社というのは、荒川洋治がやっていた詩の出版社で、私がまだ壮年期の頃ここからこの本を買ったことがある。
昨年、蔵書整理をして詩書は日本現代詩歌文学館などに、まとめて寄贈したので今は手元にないが、本の名前は記憶している。
はっきりとは覚えていないが、『聖母の月』はリリックな詩ではなかったか。まだ若い頃の作品である。

今回の本『白豚の尻』 は題名からして極めて特異である。そして「散文詩」である。
図版の画像からも読み取れると思うが、この画像の作品は「赤き明日の下心」という詩で、画像には、その60パーセントくらいが読み取れる。
読んでみてもらいたい。
それからも判る通り、極めて特異な幻想的な作品で、いかにも現代詩、というところである。

全部を引くことはしないが、この一巻がすべて、こういう風に展開する。
題名の「白豚の尻」については「後記」という巻末の文章に詳しく書かれている。

<この詩集で私が伝えようとしたものが、〈白豚の尻〉である。
 詩で伝えようとしたものというと何かの思想や世界の意味を伝えようとしていると誤解されるかもしれない。
 しかし、 詩というものはそれとは全く逆のものである。
 最初からそんなものがないのが詩なのである。
 私の詩が寓意を持つものであると考える人がいるが、そんなものはない。
 ・・・・・詩は言葉の意味ではなく、その世界を感じることである。
 私が伝えたかったのは、〈白豚の尻〉を感じてもらうことであった。
 ・・・・・この詩集を読んだあなたが、ニヤリと笑うようなことがあったならば、私の〈白豚の尻〉は、確かに、あなたに伝わったのである。>

と書いている。
私は前から、「詩は意味を辿ってはイケナイ。詩は感じるものである」と言ってきたが、まさに、同じことが、ここに書かれている。

ただし、この本には「白豚の尻」という詩は載っていない。「白豚の尻」とは、題名だけであるから、念のため。
この本には「上田寛子の絵」というのが九枚載っている。
どこかで、この絵について書いてあったようだが、今は見つからないが、本文の詩と関連があるものも、ないものもあるようである。

図版②に掲出した「詩遊」には、この『白豚の尻』についての「自詩自注」みたいな文章が載っている。
意味を辿れない人は、それを読め、ということであろうか。

ネットを検索すると、冨上芳秀氏は「大阪文学学校」の講師をなさっているらしい。
「詩遊」には、その生徒たちの作品が載せられているらしい。

また「イプリス Ⅱnd」iにも作品を発表されている。
いま手元にある「イプリス Ⅱnd」26 には「アヤメ沼の帽子売り」として「色事根問の蛍踊り」「ウシウマ君」「約束の町」などの散文詩が載っている。
とにかく、冨上芳秀氏は今や油の乗りきった頃と言え、70歳ということだが、極めて旺盛な活動をなさっているようだ。
中途半端な書き方になったが、ここに、ご恵贈に感謝して筆を置く。 有難うございました。     (完)



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