
──新・読書ノート──
現代短歌文庫・144「恒成美代子歌集」・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・砂子屋書房2019/05/18刊・・・・・・・
この本が贈られてきた。
恒成美代子さんは、短歌結社「未来」の主要作家で、近藤芳美の弟子であった。
私も「未来」に一時、籍を置いていたことから、お名前は存じているし、私の著書も差し上げたし、年賀状の交換もしていた仲である。
私は川口美根子のところに所属していた。
亡妻がガンに罹り、その闘病に伴走するために私は歌壇とも縁を切って「未来」からも離れた。
そんなことからも、恒成さんとも、すっかり疎遠になってしまった。
妻が亡くなり、その間の闘病の日々などを綴った詩集『免疫系』(角川書店)を出すべく、その打ち合わせのために、平成20年秋に久々に上京して、その足で、さいたま市の川口先生のお宅にお邪魔したが、先生はすでに痴呆の症状が出ていて、妹さんが面倒をみておられる状態だった。
その後、音信不如意のまま川口先生は施設に入られ、先年、亡くなられたが、告知もなく無く、淋しい晩年だった。
私が歌壇とも縁を切っていた時期にも、角川書店「短歌」編集部からは歌の注文を頂くなど可愛がってもらい、それらの作品は
「生きる」 「短歌」誌2005/6月号
「幽明」 「短歌」詩2006/10月号
「明星の」 「短歌」誌2008/10月号
に載ったが、いずれも、この詩集の中に一緒に収録した。
すっかり前触れが長くなってしまった。お詫びする。
恒成美代子さんは「未来」の主要作家で、近藤芳美亡き今は、どの欄に所属しておられるのか分からない。会員は、どこかの「欄」に所属する決まりになっているからだ。
詳しくはWikipedia─恒成美代子を見てもらいたい。
「未来」も、すっかり替わった。主宰の岡井隆も体調を崩しているらしく短歌雑誌にも作品は出ていない。
選者の顔ぶれも、すっかり変わり新しい顔の名前が見られる。「未来」生え抜きではない人も選者になっている。
この砂子屋書房の「現代短歌文庫」は、主要な短歌作家の第一歌集の再録などを中心にしたアンソロジーである。
ここには第一歌集『ひかり凪』をはじめとして、自選の歌やエッセイ、評論などが載っている。
今回、私に本を贈っていただいたのには、私が書いた「雨宮雅子」さんに関する記事が、恒成さんの記事に触れているからである。
それは、 高旨清美『昼顔讃歌』 という本にまつわることである。 ← リンクになっています。アクセスして読んでみてください。
この本『恒成美代子歌集』には、処女歌集の『ひかり凪』をはじめ、自選歌などが主要なページを占めているのだが、敢えて、巻末の「歌論・エッセイ」から、恣意的に文章を選んで、書いてみる。 お許しを。
「鷹女から蕪村へ」というのがある。「未来」2008/02月号に書かれた文章である。
<俳句を読むのは、好きなほうである。短歌をはじめたころ俳句もつくっていて、地方新聞に投稿していた。・・・・・
なぜ俳句をやめたかと言うと、誰に訊ねても短歌と俳句は両立できない、と言う。人によっては節操がないと、忠告してくれる。
節操よりも、両立する能力がなかったのだろう。当時、好きだった俳人は三橋鷹女だった。
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし
詩に痩せて二月渚をゆくはわたし
鷹女の孤独は私の孤独でもあった。鷹女の激しさのなかに、わたしの激しさを見る思いがした。・・・・・>
私のブログにも、これらの句を採り上げたのがある。 ↓ リンクになっているので、読んでみてください。
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
詩に痩せて二月渚をゆくはわたし 三橋鷹女
また、吉原幸子にまつわる、こんな文章もある。 「未来」2005年1月号 掲載
<四十代の十年間、わたしはじたばたともがいていた。・・・・・
そんな時に巡り遇ったのが、吉原幸子の詩だった。
風 吹いてゐる
木 立ってゐる
ああ こんなよる 立ってゐるのね 木
『幼年連禱』のなかの「無題ナンセンス」という詩の冒頭の一節に不覚にも涙がこぼれた。>
私のブログにも、この詩に触れた文章がある。 ↓
風 吹いてゐる /木 立ってゐる/ああ こんなよる 立ってゐるのね 木 吉原幸子
極めて恣意的な、私的な思いからの「リンク」で申し訳ないが、お許し願いたい。
今回この本を頂いて、多分に懐旧的な気分になったので、その気分のままに、恒成美代子さんにお返しする次第である。
私のブログの「リンク」にも、目を通していただきたい。
ご恵贈有難うございました。あなたの処女歌集も、ゆっくり読ませていただきます。 (完)
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