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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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女子ゴルフ・渋野日向子とN響・山田和樹・河村尚子を視聴する・・・木村草弥
214279渋野日向子

    女子ゴルフ・渋野日向子とN響・山田和樹・河村尚子を視聴する・・・木村草弥

この日曜日はゴルフと音楽を堪能した。 いい日曜日だった。

女子ゴルフ「資生堂アネッサ・レディース杯」は二十歳の去年プロになったばかりの「渋野日向子」がプレーオフで勝って優勝しました。
攻めるゴルフが秀逸で、今期二勝目ですからね。

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 ↑ 河村尚子
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↑ 山田和樹

夜はN響の定期演奏会は日本人若手の山田和樹指揮で日本人作曲の二曲。
平尾喜四男の交響詩「砧。」
二番目は矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」。ピアノは河村尚子でした。雅楽の要素も取り入れた作品で「和声」の表情豊か。
河村は、沖縄の芭蕉布のような涼しげな服装で熱演でした。
演奏が終わって、指揮者の山田と固くハグしたのが印象的でした。
久々に日本人の作曲、演奏を堪能しましたね。

因みに、矢代 秋雄とは、こういう人。 ↓
矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 1976年4月9日)は日本の作曲家。若い頃より英才として将来を期待され、東京音楽学校作曲科、東京藝術大学研究科を卒業した後、パリ国立高等音楽院に留学。和声法で一等賞を得る等、優秀な成績を修めて卒業。晩年は、作曲家として活動する一方、東京藝術大学音楽学部作曲科の主任教授として、後進の指導にあたった。門下より、野田暉行、池辺晋一郎、西村朗、荻久保和明、糀場富美子など現在の日本を代表する作曲家を輩出している。完璧主義、寡作主義で知られ、残された作品はどれも完成度が高く、再演も多い。

平尾喜四男とは、こういう人。 ↓
東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)生まれ。化粧品業を営む平尾聚泉の四男として育つ。家は裕福であった。慶應義塾幼稚舎・慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学医学部に進んだが、文学部独文科に転じ、1930年に卒業。大学在学中、ソルフェージュと音楽理論をヴァンサン・ダンディ門下の陸軍軍楽隊長、大沼哲に師事した。また、卒業して8ヶ月後の11月に戸沢妙子と結婚。
1931年、夫婦でパリへ渡航。始めはスコラ・カントルム[1]で学ぶものの、学校紛争に巻き込まれた結果、セザール・フランク音楽学校(英語版)に転学。1935年まで在籍した。2つの学校で作曲を、課外でフルートを学ぶ。フルートの師はガストン・クリューネル(英語版)。1936年に帰国。1948年に作曲グループ「地人会」を安部幸明らと結成。作品に、ソプラノとバリトン独唱と管弦楽伴奏のための「隅田川」 (1936年)、管弦楽曲「砧」(1942年)、ヴァイオリン・ソナタ(1947年)、ピアノソナタ(1948年)、などがあり、室内楽がほとんどを占める。
戦後は国立音楽大学教授、日本現代音楽協会委員長などを務めるが、病気のため「オーボエ・ソナタ」(鈴木清三の委嘱、1951年)を最後として、1953年12月、46歳で没。翌年、「木管五重奏曲」(東京管楽器協会の委嘱)に対して毎日音楽賞を追贈される。
弟子に冨田勲、宇野誠一郎、一柳慧がいる。



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