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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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三井修第十歌集『海泡石』・・・木村草弥
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 ↑ 海泡石の原石
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 ↑ 海泡石パイプ (イメージ)

──三井修の本──(6)

     三井修第十歌集『海泡石』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・砂子屋書房2019/07/21刊・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。
三井修さんの第十歌集ということになる。
この本には『汽水域』以降の歌453首を収めたものである。
「あとがき」に、こう書かれている。

  <長く空き家になっていた能登の実家を取り壊した。
    ・・・この期間たびたび能登へ帰っていたので、能登やその周辺の作品が多いことに気がついた。
    そのような作品だけでⅢに纏めてみた。・・・>

この「Ⅲ」については後で触れることにする。
先ず、この歌集の題名になっている「海泡石」のことである。
Ⅰ の初めの方に「海泡石」という項目名で、こんな歌が載っている。

  ちちのみの父の形見ぞ飴色のパイプはトルコの海泡石で

この歌から題名が採られているのである。
ご参考までに「海泡石」の原石や、それから作られたバイプの画像を出しておいた。
原石は白っぽいものだが、パイプは使いこまれて、煙草の脂(やに)で飴色になっいる、ということである。
今は嫌煙の煩い時代になったが、ひところは文化人の愛煙家などには、このパイプが流行ったものである。
この本は、先に書いた能登の実家の解体など、過去の思い出に繋がることを読んだ歌が多いのだが、この歌などは、その中でも一番の「思い出」に繋がるものだろう。

この本は、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ という三つの章立てになっており、数字のみで章名は付いていない。
配列が発表順なのかどうか、なども判らない。
この本には所属結社「塔」に発表したもの、短歌総合誌の巻頭作家であられるから、それらに発表されたものが並んでいる。
歌は極めてさりげなく、肩肘の力の抜けた様子で詠まれている。
もともと作者は自分の身内のことなどは詠まない人であったが、今回は家族に触れた歌が見受けられることを言っておきたい。
歌を引いてみよう。

   *掌につね胡桃の実鳴らしいし晩年の父を思う春の夜
   *あの胡桃いずこに行きしや飴色の小さき脳のごときあの実は

作者の父上というのは、どういう人だったのか。
何を仕事としていたのか、などは判らないが、パイプ煙草をくゆらしていた姿などを想像するとインテリゲンチアだったろうと考えられる。
ここに詠われる「胡桃の実」を、ころころと鳴らす仕種などから考えると、おのずから想像されよう。
私は現に農地を所有する農村暮しの者であるから、そういう実感から考えると、三井家は「地主」さんではなかったか。
作者は金沢市内で生まれた、とあるから、能登の田舎から早くに金沢市内に居を移していたのかも知れない。
この本には、実家の解体、土蔵に仕舞われていた箪笥の中の和服の売却などの歌に、一時代の去った「懐旧」の念を思うのである。
また、こんな一連の歌もある。

   *〈ファブリー病の診断 における問題点〉講じる我が子の真面目なる顔
   *男の孫のあれば夜更けて妻の言ういつか来るやも知れぬいくさを
   *家族性高脂血症とぞ長の子の塩基配列われより継ぎて

はじめの歌には「ネットでたまたま見た。」という前書きがあるので、私も検索してみた。
ご子息は医学者の道に進まれたらしい。三井 J という名前に行き当たった。(プライバシーに留意して名はローマ字にしておく。)
作者とは違う道をゆく立派な、ご子息の姿であり、作者としても誇らしいことであろう。
それらが、さりげなく詠われていて心地よい。
また「妻の言う」という歌なども、私は初めて気づいたものである。
こういう詠み方は、作者は、めったにされないので、今回は私の目に止まったということである。
身内にまつわる歌としては、あとでⅢに触れるところに書くことになる。
一巻は、気負うことなく、淡々と進行する。 それらの中から私の目に止まった歌を、いくつか引く。

   *辛き時飲む故郷の塩サイダー送られてこず叔母逝きてより
   *直を三つ重ねて矗という名前白瀬中尉はかかる人らし
   *セキュリティ・システム健気に働きて隣家の庭先灯りが点きぬ
   *倒立は楽しきかもよキッチンのマヨネーズまたケチャップ容器
   *アフリカのナミブ砂漠に咲くという花の名前は〈奇想天外〉
   *今日のこの寒さは桜の木にとりて休眠打破か 人らは急ぐ
   *休日の案内なれば五代目はポロシャツ姿にサンダルを履く
   *勧められ大吟醸を試飲して微酔の我は風を踏みゆく
   *出囃子は何とデイビー・クロケット昇太の眼鏡がきらりと光る

さりげない日常詠の歌を並べてみた。

   *若くしてアラブを旅しき 干上がりし鹹湖の白さ今に忘れず
   *水出ぬを英語でclaimしていたり夢の中にてホテルの主に
   *ナセルの死悼みてひと月休講となしたり我らのサムニー先生
   *ナセル死し服喪のサムニー先生の鳶色の眼を今に忘れず
   *ただ砂が見たかっただけアラビア語志望の我の真の動機は
   *齟齬ひとつありたる夜の静寂に砂とぶ音の幻聴のあり
   *今宵よりイスラム世界は断食に入りたるらしも 夜更けて暑し
   *イスラムの思想に遠くまた近く生ききて我の『クルワーン』古りぬ

これらの歌は、作者が長年「学び」「仕事」として執してきた事象を採り上げた。
一番あとの歌の『クルワーン』とは、イスラムの聖典コーランのことである。私も少しコーランを繙いたことがあるので少しは判る。
それについては第一詩集『免疫系』(角川書店)に書いておいた。
ご参考までに、その記事 → 散文詩 「イスラームの楽園」を覗いてみてください。


   *黒パンの酸ゆきを食めばいきなりに哀しみが湧く古都のホテルに
   *奈翁きてナチス軍来てなお落とせざりし街なり柳絮飛び交う

これらの歌は「羇旅」の歌として貴重な作品として私は受け取った。とりたてて「海外詠」とされていないのが佳い。

いよいよ、Ⅲ の作品に取り掛かる。

   *長町の武家屋敷行く黒猫の金のまなこの二つが光る
   *能登島を望む秋日の公園に我らは歌碑の字を読み泥む
   *この旅の終りに見たる千枚田波立つ海へ雪崩るるごとし
   *行き過ぐるどの里もみな柿の実をさわに垂らして奥能登晩秋
   *ふるさとの能登の山見ゆ此度こそ家を毀たん算段のため
   *古き戸をこじ開けおれば村人の訝るらしも声を掛けらる
   *遺影なる長兄仏間に残すまま戸を鎖して出る午後の日差しへ
   *能登七尾高沢蠟燭店製の和蠟燭なり今宵灯すは
   *気動車は能登路に入りぬこの度は母の着物を処分する旅
   *生母また継母の残しし着物なり処分するとて人を呼びたり
   *発電用風車が今朝は回りおり昨夜に佳きことありたるごとく
   *人住まぬ家より持ち来し青銅の龍の文鎮 雪の冷たさ
   *二カ月の後には雪の下ならん父母の墓石に深く頭を垂る
   *わが族散り散りとなり残りたる敷地に影を落とすものなし

とりとめもない歌の羅列に終始した。 お詫び申し上げる。
巻末に載る歌を一つ引いて終わる。 ご恵贈有難うございました。
この回から「カテゴリ」に「三井修の本」という項目を設置した。今まで「新・読書ノート」などに分類してきたものも改めた。

   風吹けば大き銀杏の梢より葉は散る黄金の旋律として           (完)



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