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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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散文詩 「イスラームの楽園 Paradis d'isram」・・・木村草弥
免疫系_NEW

──草弥の詩作品「草の領域」──(22)─再掲載 (原執筆2004/06/29)

      散文詩 「イスラームの楽園 Paradis d'isram」・・・・・・・・・・・・木村草弥

この詩は私の第一詩集『免疫系』2008/10/25角川書店刊に載るものである。

      散文詩 イスラームの楽園 Paradis d'isram

      ──敬虔な信者に約束された楽園を描いてみようなら、そこには
      絶対に腐ることのない水をたたえた川がいくつも流れ、いつまで
      経っても味の変わらぬ乳の河あり、飲めばえも言われぬ美酒の河
     あり、澄み切った蜜の河あり、また、そこではあらゆる種類の果実が実り、
     その上、神の赦しがいただける.............。
                          ───(コーラン第四七章)────


イスラームとは、「神に身をゆだねる」という意味である。
イスラーム教の楽園は、天国を指す。この世において信仰篤く、善行を励んだ者は、
その報いとして、死後、楽園に入ることが許される。この楽園は、キリスト教世界
とは異なり、禁欲的な世界が全く存在しない。
コーラン第四七章に書かれるような花園。
これは、現世のイスラーム教徒(ムスリムという)の抑圧された欲望の反映のように
さえ見える。
それに反して、地獄は業火と熱風の灼熱の世界として描かれる。
喉の渇きをいやすために、ぐらぐらと煮えたぎる熱湯を、渇き病にとりつかれた駱駝
さながらに飲み干さなければならない。
楽園にあるのは、砂漠で最も魅力的な存在である「水」のイメージである。
イスラーム教徒にとって夢のような空間が、ここにある。

      ──えも言われぬ幸福の楽園に入る人々。
      向かい合わせでゆったりと手足を伸ばせば、永遠の若さを受けた
     お小姓がお酌にまわる。
      この酒はいくら飲んでも、頭が痛んだり、酔って性根を失ったり
      しない。
     その上、果実は好みに任せ、鳥の肉など望み次第。目涼しい処女
      たちは、そっと隠れた真珠さながら...........。もうそこでは、くだら
      ない馬鹿話も罪作りな話も聞かないですむ。
      耳に入るのは「平安あれ」「平安あれ」のただ一言..........。
                      ───(コーラン第五六章)────


地上のパラダイス「アル・アンダルス」
西暦711年、アラブ人とベルベル人からなるイスラム軍団が、ジブラルタル海峡を渡り、
わずか二年足らずでイベリア半島を制圧した。イベリア半島は「気候はシリアのように
温和で、土地はイエメンのように肥え、花や香料はインドのように満ち溢れ、吹く風も
麝香のように芳しい」と表現され、広大なイスラム帝国各地から、この地上のパラダイ
スを求めて多くの人が集った。
その中に、アッバース朝の粛清を逃れたウマイヤ朝の若い王子がいた。長い放浪の末に
王子はイベリア・ウマイヤ朝を築き、アッバース朝への敵愾心をむき出しにして帝国の
繁栄に心血を注いだ。当時、パリやロンドンが人口三万にも満たない頃に、首都コルド
バは百万近くの人口を抱えていた。世界中から一流の学者、芸術家が集り、医学、数学、
天文学、文学などさまざまな分野で華々しい成果をあげていた。また、自由な気風の中
で宗教の垣根を越えてキリスト教徒も学問に励み、のちにヨーロッパ・ルネッサンスを
生み出す基礎がここに築かれていた。

この繁栄も政権の内部崩壊とキリスト教徒のレコンキスタ運動に圧迫されて敗退するが、
迫り来るキリスト教徒の気配を濃密に感じながら生きてきたイスラーム教徒の死の恐怖
と悦楽...........。
コーランには、このような楽しい来世の話ばかりではない。生きるために、正当なイスラ
ームの血の家系を守るためには、戦争、略奪、殺人も正当化される話も多い。
今や「聖戦」の名のもとに繰り広げられる殺戮は、その一面の反映であろうか。.
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先に、三井修歌集『海泡石』評を載せたが、その中で「クルワーン」─コーランに触れたところがあった。
そこに書いた私の第一詩集『免疫系』に載せた記事の原文を、ここに再録しておくので、読んでみてください。
「楽園」についての描写など、仏教あるいはキリスト教が説くところと、そっくりな気がするがいかがだろうか。
もとより私はイスラム教または「コーラン」については素人であり、この文章は或る記事を参考に書いたものなので、追及されても私には分かりかねる。
おまけに、この記事を書いたのは十五年以上前のことであり、今となっては私が読んだ「原」資料には当り得ないので、ご了承を願いたい。
私の理解の範囲では、「コーラン」は処世訓のようなものであり、難しい「教義」を述べたものではない。
いま世界で広がり続けるのはイスラム教のみであり、その原因として、この「平易」さに原因があるのではないかとという気がする。
間違っていたらゴメンなさい。 よろしく。



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