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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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後閑達雄句集『母の手』・・・木村草弥
後閑_NEW

──新・読書ノート──

     後閑達雄句集『母の手』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・ふらんす堂2017/09/04刊・・・・・・・

FBで知り合った後閑達雄氏から、この本が贈られてきた。
先ず、発行元である「ふらんす堂」社長山岡喜美子さんの紹介記事をネット上から拝借し、ここに貼り付けておく。  ↓
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後閑達雄(ごかん・たつお)の句集『卵』に次ぐ第2句集である。
前句集に引き続き装画は漫画家のつげ忠男氏。後閑さんとは交流のある間柄である。
後閑達雄さんは、昭和44年(1969)年神奈川県生まれ。
平成3年 流通経済大学卒業。 千葉県流山市に在住、現在は「椋」(石田郷子代表)所属。
本句集は『卵』上梓よりほぼ8年間の作品を四季別に収録したものである。
俳句をはじめたきっかけは、「うつ病がひどい時、母にすすめられ始めました」と『卵』のあとがきに記されている。
タイトルは、その母との濃密な関係を象徴するものとしての「母の手」である。

      *吾よりも母の手あたたかしいつも

第一句集上梓後、母のアルツハイマーが進行し介護生活を経て、私自身初めての一人暮らしをしています。

本句集の「あとがき」の言葉である。
こう書くご本人の後閑さん自身も、肉体の持病と精神の病に苦しみ薬が離せない毎日だ。

     *障碍者後閑達雄と書いて蟬

     *渡り鳥働かぬまま生きてをり

     *秋思なりずつと薬を飲む病気

     ⋆冬の鵙大きな粒の頭痛薬

タイトルが示すように母を詠んだ句がかなり多い。
それは著者と母との現実であり、そこにはわれわれを圧倒的するものがある。

     *春立ちぬ母の肌着を畳みつつ

     *吾よりも母の手あたたかしいつも

     *母に腕嚙まれてしまふカーネーション

     *初桜母と手のひら合はせけり

     *跪き母に白靴履かせけり 

いくつか紹介したが、あたたかな「母の手」が詠まれていると同時にここから見えてくるのは、著者の「手」である。
母に働きかける「手」である。あらゆる記憶をなくしつつある母を、この世につなぎとめておこうとする「手」である。

いつか後閑さんと電話で話したときに、
「今日は、母の見舞いに行ってきました。そうしたら、お母さん、僕の顔をぺろぺろぺろぺろ舐めるんですよ。顔中を舐められて帰ってきました」

と。

母と子のきわめて動物的な愛情のつながりだ。言葉にはならなくても愛おしいものとしてのとして存在するもの。

本句集はある意味で極限状況におかれた著者の壮絶な日々であるはずだが、句集を一貫しているものは、清々しいまでの明るさである。
それを支えているのが母への愛であり、母からの絶対的な愛だ。へんな言い方だが、臍と臍が見えない糸でむすびついているような感じ。

本句集に、石田郷子代表が序句を寄せている。

       春を待つ手を甘嚙みの白猫と     郷子

やはり「手」である。
「春を待つ手」とは、著者の「手」であり母の「手」だ。
句集そのものへの挨拶句となっている。

本句集の担当はPさん。

Pさんは、『卵』の時から後閑達雄さんの俳句が好きだと言っていた。Pさんの紹介する句は

     *料峭や親指でむくゆで玉子

     *水温む生まれたるもの立ちあがり

     *エプロンの深きポケット蓬摘む

     *シクラメン部屋あたためて待つてゐる

     *頬白の飛ぶ明るさを待つてをり

     *夏料理箸を正しく使ふ人

     *夏空の下やドラムを組み立てて

     *傘の骨残りし二百十日かな

     *夜の卓レモンの卓となりゐたり

     *指先にナンの熱さよ小鳥来る

     *冬眠の前の薬を数へけり

この句集を老人ホームで寝たきりの母に報告するつもりです。

と「あとがき」に書かれているが、句集『母の手』を手に取られたお母さまはどんな反応をされるだろうか。
病状が大分すすんでおられるとも伺っているが。

本句集の装丁は、和兎さん。
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はじめから、他人の記事ばかりで失礼するが、この文章が要を得ているので、敢えて引用させてもらった。お許しいただきたい。
ただし、その記事そのままではなく、補筆、構成し直したので、ご了承を。

この本の「カバー」裏に

◆自選十句
雛あられレジの所に置いてある
啓蟄のよごれた顔でこんにちは
目の前の大きなお尻潮干狩
母に腕嚙まれてしまふカーネーション
先生がダリアの前で立ち止まる
手打そば秋の風鈴鳴り出して
虫売の立てば大きな男かな
よく拭きし眼鏡を母に菊日和
鯛焼に鯛は入つてゐないけど
今日も俳句にありがたうです日脚伸ぶ

が載っている。 自選であるからには、これらの句が作者の愛着のあるものなのだろう。
全篇を通じて、一巻は、このようにして、淡々と、坦々と、進行する。それが後閑氏の俳句の特徴である。
そして全篇を通じて「母」との濃厚な関係があるのである。
 

    *てのひらの小鳥の卵割れてをり

    *あたたかき洗濯物を畳みけり

    *アパートに日の差す時間初燕

    *子も妻もなくて母居る花はこべ

    *花冷えや母と二人で暮らす部屋

    *朝寝して車通ると揺れる家

    *夏至の日や見切シールを貼る仕事

    *パソコンの修理業者へ藺座布団

    *空蝉を三個拾ひて二個落とす

    *冷蔵庫中に小さな部屋のある

    *秋深しタクシーで行く精神科

    *団栗のごりごり廻る洗濯機

    *木枯らしやマクドナルドのない町に

    *冬帽の母に私物の少なさよ

    *泣く母に何もできずよ冬の梅

いまアトランダムに句を抽出してみた。 文字通り「ただごと句」と言えるものである。短歌の世界で「ただごと歌」と称される作品があるように、である。
私は「ただごと句」が悪いと言っているのではない。
前衛句の反動として、今は、こういう何でもない句が俳壇全体を覆っているという印象を受ける。
それは師匠である石田郷子氏の作風自体が、そうである。
句集の構成は歳時記の通り、春夏秋冬で纏められている。 以下のようなものである。これもアトランダムに引いてみた。

「春」
白梅の芯まで濡れてをりにけり
旧姓で母呼んでみる梅の花
雛あられレジの所に置いてある
吾よりも母の手あたたかしいつも
目の前の大きなお尻潮干狩
二時からの面会時間げんげ摘む

「夏」
母に腕嚙まれてしまふカーネーション
火の上で廻り始める鮑かな
月曜の軽い貧血ほととぎす
三人でいつぱいの部屋蟬時雨

「秋」
鶏の土蹴つてゐる残暑かな
チューナーを一ミリずらし星月夜
西瓜切る人の数より多く切る
アパートにフレッツ光小鳥来る
新米の水を静かに流しけり
低血糖起こさぬやうに茸飯
梨を食ぶ母は小さく口開けて

「冬」
表札を出さぬ暮らしや冬に入る
白鳥の喧嘩つひには脚も出る
白鳥の居場所タクシー無線より
沢庵を最後に食べて昼休み
セーターの背中つまんで別れけり
母の胸むかし豊かに冬至風呂
数へ日の薬たくさん貰ひたる
元日を母の個室に過ごしけり

ただ、お母上の病気と、ご本人の「うつ病」だかのことが気にかかる、と書いて筆を置きたい。 ご自愛を。
雑駁な書き方に終始したことをお詫びする。 またFB上でお会いいたしましょう。
最近は「ふらんす堂」の本に接することが多い。歌集なんかも、そうである。
ご恵贈有難うございました。      (完)







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