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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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帚木蓬生『臓器農場』 ・・・木村草弥
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──新・読書ノート──初出・Doblog2007/11/16

     帚木蓬生『臓器農場』 ・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・・・新潮文庫(初版1993年)・・・・・・・・・・

先日来、この著者の本を集中的に読んでいるので、今回は、これを採り上げる。
著者は、東大仏文科からTBS勤務ののち、九大医学部に転身し、精神科の医者のかたわら、医療を通して現代に生きるということを問う一連の小説を執筆している。
『臓器農場』は、九州のとある総合病院を舞台とした、臓器移植をめぐっての医者や看護婦、患者の葛藤を描き、医療の暗部を剔りだしたサスペンス小説である。無脳症の胎児から臓器を移植し、難病の子どもたちを救う。誰もが反論できないような人助けの医療行為。しかし、そこでは無脳症の胎児の「いのち」はまったく顧みられることはなかった。 この小説が書かれたのち、脳死は人の死という法案が国会を通過した。
私たちにとって親密な人の死を、国家によって、あるいは専門家によって一方的に線引きされることに、多くの人は違和感を覚えるだろう。この小説は、医学の専門家である著者の知見を生かしながら、人を救う努力が人を排除することにつながる現代の医療のアポリアを見事に描いている。

ここでネット上に載る或る読後記事を引いておく。
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主人公規子が、初めて勤めだした病院では、子供への臓器移植が盛んな病院。
その臓器が、どうしてこの病院に沢山集まってくるのか。
一方で、病院近くのレストランで、無脳症児を出産しようとしている女の声を聞く。
無脳症児、読んで字のごとく、先天的に脳を持たないという障害を持ち、出生後100%死ぬ運命。そんな子供を産もうとしている事と、臓器移植の臓器提供元に疑問を持った規子は、同僚の看護婦と、親しくなった医師と共に、調べ始める。
サスペンス長編と、裏表紙には書いているが、サスペンスな部分よりも、人として何処までいのちというものを、扱っていいのか。生きていないと、生きられないの差は何なのか。
考えても答えはあるのか。色々考えてしまう作品。
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めちゃめちゃ簡単に説明すると、その病院では、胎児を無脳症児にする方法を発見したんで、無脳症児を産んでもいいっていう女の人を探してきては、妊娠させて、その無脳症児を買い取っていたんよね。でもって各臓器を、移植する家族に、寄付金という形で高値で売りつけ、儲けてたわけだ。
その真相を知った、同僚の看護婦と、親しくなった医師は、事故や自殺に見せかけて殺されてしまう。警察もどうもぐるになっているらしい中、規子は殺されそうになりながらも、真実を暴いていく。
結局最後には、2人の死を怪しんでいた刑事によって、めでたしめでたし。
(かなり簡単しすぎかも。だってこれ文庫本600ページ。厚さにして15ミリほどのかなりの長編。)
***
この臓器農場に関わっていた人の中で、ただ金儲けのための経営者たち、自分の研究のためだけの医師、純粋に子供のいのちを1つでも助けたいという気持ちの看護婦が出てくる。
(間島)看護婦は言う。
「無脳症児は神様の贈り物。それによって先天性の奇形を持った赤ん坊が全部救われる。」
赤ん坊だけではなく、無脳症児を身ごもった母親も、無意味な妊娠いやそれよりも天罰の妊娠(と、妊婦が思いこむ)から、重要な妊娠へとなり、救われることになる、という意志の元、臓器農場に取り組む。
ただ規子は、無脳症児を人工的に作り出すことや、それで私腹を肥やしていたことにではなく、無脳症児の臓器を移植に使うこと自体に疑問を抱く。脳死からの臓器移植だと本人の意思によって行われるが、無脳症児の場合本人の意思は無視される。いや無視しようにも最初から意志なんて存在しない。
もし私が、先天性の奇形を持った赤ん坊の母親、無脳症児を身ごもった母親、双方どちらの立場になったとしても、きっと疑問を持たずに移植を進めるだろう。もし持ったとしても、その後にあるいのちを取るに違いない。
上の看護婦の台詞に規子は言う。
「頭が無くても、心臓や手足が動いていれば、そこにいのちが宿っている気がします。いのちは脳にあるのではなく、全体にあるのです。考えることや感じることはできなくても、いのちはあります。」
じゃあ、いのちはいつから存在するのだろう。胎児にももちろん動く手足がある。でも、無脳症児の場合、無脳症と分かった時点で、人工流産させる。人工流産は許されて、臓器移植が許されないのは何故なのか。どちらもいのちを1つ消すということに、代わりはない。
本の最初の方で、臓器移植をしてまで生きたくない、と言った母親にある医師が反論する。
「あなたのお子さんがそうだったらどうしますか?」
「人間を冒涜するとか、天命に逆らう行為だとか言って非難する人は、自分がその渦中に身を置いていないからだ」と。
この台詞にさらに反論することは、私には、どうしてもできない。
***
えらい堅くなってしまったよう。うーん、でもこれは簡単に話をまとめられる内容じゃない。多分、読む人の立場や、生き方によって、どれが正しいのか別れる、もしくは、考えるほどに分かんなくなる小説。読み終わってから思ったことは
「ブラックジャックなら、どうするだろう?」だった。(笑)
「ふたり死ぬのがひとりになった。文句があるか?」
と一喝して去っていきそうなんやけど。どう思います?
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1995年10月に米国から、次いで同年12月には日本の厚生省から、女性が妊娠中にビタミンAを過剰に摂取すると「奇形児」を産むリスクが高くなるという警告が発表された。さかのぼって1980年代半ばには、やはり米国で、皮膚病治療の目的でビタミンAを大量に服用した婦人から「無脳症児」が生れて大きな社会問題になったという。ビタミンAは生命活動に必須の物質であるが、妊娠初期に大量に摂取すると胎児に奇形が誘発されるという事実は動物実験によって確認されている。ビタミンAは、生体にとって正に「両刃の剣」と言えるのである。
この小説は、この科学的事実をプロットとして取り込み、医学の今日的課題である臓器移植と巧みにリンクさせた。おまけに、この作品では「無脳症児」を人工的に妊娠中に作りだし、出産させ、病院の「隠し施設」で、移植可能時期まで「飼育」するというプロットを描き出してみせる。これが、この作品の一番の迫真部分である。
これが「犯罪」として小説の大きな筋書きとなるのだが、レシピエント(被移植患者)の家族から1500万円とか2000万円とかの大金が秘密裏に徴収され、そのうち三分の二くらいが「無脳症児」を分娩した女の家族に支払われる、という空恐ろしいことが描かれる。

「脳死」ないしは「脳死患者からの臓器摘出」にも異論を唱える人が居るが、私は、それには異議はない。
意識を失い、呼吸が停止すれば心臓もやがて止まる。それが「死」だった。
「脳死」という概念が出てくるのは「人工呼吸器」という過剰な「生命維持装置」が発明されてからのことなのである。生きている人の治療に「人工心肺」装置が操作されるのには誰も異論はなかろうが、もはや打つ手がない時期にさしかかってもなお、生命維持装置の作動が必要かどうか。いわゆる「尊厳死」の問題である。
私の母は93歳で亡くなったが、生前、その問題に触れて過剰な「生命維持」は不要という意思表示をしていたので、意識不明に陥ったとき私も妻も、医師と相談して過剰な処置はとらなかった。私の妻も死ぬときはあっけなかったが、常日頃、意識や呼吸のなくなったときの「人工呼吸器」などの処置は不要と言っていた。医師にも、それは伝えられていた。
お釈迦様は飢えた虎に自らの肉体を差し出して食べさせる、というエピソードがある(これを捨身と言う)ように、霊魂と肉体とを緊密不可分のものと考える意見を私は採っていないが、人工的に、しかも金銭的に、しかもそれによって利益を得て「命」を操作することには反対である。
主人公の看護婦・規子の言うように、無脳症児にも「命」はあるのである。
この小説も、いろいろ考えさせるが、ぜひ一読をお勧めする一冊である。
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      帚木蓬生『三たびの海峡』・・・・・・・・・・・木村草弥

この小説にひきつづいて私は同じ著者の『三たびの海峡』(新潮文庫・初版平成4年刊)を読んだ。
これは第二次世界大戦末期に日本体制側が朝鮮半島から人々を労働者として「徴用」してきて、過酷な労働やリンチによって死なせたことを生々しく描いたものである。
作者の筆致は誠実なもので、今の韓日関係を想起して、私は感銘を受けた。
これこそ「日韓史」の深部を誠実に描くものと言える。
なお、この本は平成5年に「吉川英治文学新人賞」を得ている。
「あらすじ」を辿るためにネット上から記事を引いておく。
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■ 内 容
一代で財を成し、釜山のスーパーマーケット・チェーンの会長となっていた河時根(ハー・シグン)は、昔の仲間で今も日本にいる徐鎮徹(ソ・ジンチョル)から山本三次がN市の市長になっており、再選のための公約として、いまだ手付かずのボタ山を取り払い商工業地に変えようとしているとの手紙をもらった。河時根は三たび海峡を渡る決意をする。1度目は病弱の父に代わり、山本三次に連行された強制労働者として、2度目は祖国解放後、父母の待つ故郷を目指して、そして3度目は・・・。長年、音信不通にしていた日本人妻との間に出来た息子・時郎との再会も目的の一つであったが、彼は他にも、大きな決意を抱いて海峡を渡る。海峡をフェリーで渡る彼の心に、50年前に地獄のような苦しみを味わいながら海峡を渡った日の想いが蘇る・・・。

■ 人間の本質について考えさせられる
河時根や同胞たちが落とされた境遇はあまりにも悲惨です。これはフィクションですが、同じ様な事が行われていただろう事は推察出来ます。
人間はこうも残酷になれるのか・・・現代の河時根は、「彼らも戦争と言う非常時が作り出した被害者だ。」との考えに至るのですが、そんな小心翼々たる小市民ばかりでない事は、河時根はちゃんと知っているのです。彼の恨みがそうでない者たちに向けられるのは当然です。
この事からは人間の本質ついて考えさせられます。
非常時だからこそ、人それぞれの本質が露呈するのでしょう。同じ境遇にいても、人間性を失う者と失わない者、屈しない強さを持つ者と屈してしまう者。この作品の中にも、その両者が描かれています。それは朝鮮人日本人に拘りません。民族の違いなど関係なく、人間の本質の違いなのだと作者は言いたかったのでは、と思います。

■ 執筆動機は
しかし、この作品を著者に書かせた一番の動機は、過去の日本の行状に対する現代の私たちの無理解、無関心に対する憤りだったのではないでしょうか。
私自身、強制連行問題、従軍慰安婦問題など、TV・新聞などで見聞きして、朝鮮の方たちに同情もし、当時の日本の悪辣さや今の政府の反応の悪さに怒りを覚えたりもしていましたが、朝鮮の方たちの怒りを実感として感じてはいなかったと思います。過去の国の過ち・・・と、どこか傍観し、知識として知っているだけという感じでした。しかし、当事者の方たちには今もなお続いている・・・いえ、死んでも忘れられない屈辱の体験で、怒り覚めやらぬのも無理のない事。また、政府を始めとした私たち戦後の日本人の問題に対する鈍感さに、その怒りは更に強くなったのではないかと感じました。

■ 結末について

<以下は重要な内容に触れています。構わない方のみ下の*をクリックしてお読みください。>
<*>

一度として侵略された事の無い国・日本に住み、また、民族問題に直面した事も無いから言えるのだ、と思いますし、だから説得力が無いのはわかっていますが・・・。
今起こっている民族紛争は、見え隠れしながらも昔から脈々と続いている恨みの連鎖の結果だと思います。報復が報復を呼び、果てしなく殺し合い、傷付け合っているように見えます。その悪しき連鎖を断ち切り、理性を持って事に当たらなければ、民族紛争は永遠に続くように思えます。

ですから、河時根には殺人と言う手段でだけは決着をつけてほしくありませんでした。
自分の所業に苦しみもせず、悔いてもいない者には、それなりの末路が用意されています。勧善懲悪的な結末ですが、納得は行きます。寧ろ、罰が与えられなければ、読んでいる方もスッキリしませんし、彼らの所業はそれに値するものだと思います。同胞でありながら彼らに最も残酷な仕打ちをし、祖国に対する愛着も誇りも持たない康元範(カン・ウォンボム)が、全く心の痛みも無く、いまだに山本とツルみ、甘い汁を吸いながら大きな顔をしているのですから、報いを受けるのは当然でしょう。殺す以外には晴らせないと思うほどに深く恨みを抱くのも無理のない事だとも思います。そして、河時根の決着の付け方を潔い、見事だ、と<他の小説だったら>感じると思います。
しかし、同胞同士とは言え、民族問題の絡む作品の主人公に暴力的な報復をさせるのは、どうでしょう。あれだけの恨みなら仕方が無い? 殺人と気付かれないから、自らも死ぬのだから良い? 他の作品ではご自分の理想に忠実な作者が、あの結末を書いたのは何故だろうかと不思議に感じます。心情を重視したという事なのでしょうか。河時根の心情は非常に良くわかりはするのですが・・・。

日本人の身でこの作品を書くには大変な勇気が要ったと思います。国のため、天皇のための美名の下、日本がどんな卑劣で残忍な事をして来たかを、日本人として反芻するのは辛い事です。また、このような内容を日本人が書く事に対する朝鮮の方たちの反応も気になったのではないでしょうか。しかし、日本人によって書かれた事がこの作品の重みを一層増していると思います。
(2004.7.28)
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      帚木蓬生『受精』・・・・・・・・・・・・木村草弥

ひきつづいて『受精』(角川文庫4版・初版1998年刊)を読んだ。
ここで、ストーリーを辿るために、ネット上に載る記事を引いておく。
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「受精」 帚木蓬生
 2001.9.25 角川文庫 1998.6単行本初版「受精-Conception」

 文庫本で723Pと分厚い本。

 読み始めて50Pほど進んだところで、あれっ、と気づいた。登場人物の名前をどこかで見たような。そうだ、昨年読んだ「受命ーCalling」と同じではないのか。そうか、この本は、「受命」の前編となる本だったんだ、と。

 舞子と寛順、2人がそろったところで気づき、あとで、DR.ツムラが登場して確信した。

 読んでいるうちに、何か引っかかるものがあり、212Pあたりで確信に変わった。

 舞子は、愛する明生を結婚を決めた矢先に交通事故で失う。自ら死を決意して、昔、明生といったあるお寺を訪れる。そこで、外人の僧に声をかけられ、不思議な体験(明生と出会う)をする。そして、明生の子供を産めると言われ、ブラジルへと旅立つ。

 ソウルで合流した寛順も、結婚前日に、東振がこれも交通事故で死亡、お寺で僧に声をかけられ、東振の子を産むため、ブラジルへと向かう途中だった。

 ブラジルの病院であったユゲットも、フランスの協会で同じような経験をし、ブラジルに来ていた。

 3人とも、お寺や教会に、以前に恋人と訪れている。そして、病院には、彼女たちの食べ物の好みから、家族構成まで、あらゆるデータが揃っているという。

 あまりにも共通したシチュエイション、何か仕組まれているのではないか?本はあと500Pもある。陰謀の匂いがしてくる。

 病院で、同じように入院していた女性バーバラが殺害される。たまたま、舞子と寛順は、殺害直後の彼女の死体を見てしまう。ところが、病院は、飛び降り自殺として処理してしまう。

 舞子の担当主治医で、殺された女性の主治医でもあった、日系3世のDR.ツムラも彼女の死に不審を抱き始める。

 バーバラの叔父に会いに行く舞子、寛順、ユゲット。死の直前の彼女の様子を聞き、自殺するような人間ではないこと、叔父に何かを告げたがっていたこと、などを知る。
叔父もバーバラの死に不審を抱き、患者として病院に入院する。

 徐々に、巨大な悪の組織の存在が明らかになって行く。

 著者は、精神科医であり、心理学的な要素、そして、1998年当時の遺伝子研究の到達点を元に、この物語を形作っている。その知識は、賞賛ものである。またご紹介しようと思うが、次作「受命」の発想と構成力には驚かされたが、どちらの物語も、ある種、現代への問題提起ではないかと感じる。
 また、海亀の産卵シーンや、豊かなブラジルの自然も、鮮やかに描き出している。分厚い本ではあったが。一気に読み通してしまった。
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この記事では結末を載せていないが、彼らは「ナチス・ドイツ」の生き残りの組織であり、この小説の中では「逆まんじ」と書かれているが「ハーケンクロイツ」というナチスのシンボルマークが「伏線」として小説の初期から出てくる。サスペンスたる所以である。
彼らの組織はドイツ民族の純血を守るために「ヒトラー総統」の「精液」を冷凍保存しておいたものを、これと目星をつけた女の子宮に注入して妊娠させ、その血統を後世に残す活動をしていたのだった。

私は『受命』という本を、まだ読んでいないが、上に引いた記事には、これは『受精』の前編にあたると書いてあるので、乞う、ご期待である。



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