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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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木村草弥・第七歌集『信天翁』 (全)
信天翁_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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       木村草弥・第七歌集『信天翁』 (あほうどり) (全)
              ・・・・・・澪標2020/03/01刊・・・・・・・・

       「帯」

  <信天翁>描ける青きコースター
          まなかひに白き砂浜ありぬ

この本は親しい人たちを失った喪失と諦念の書である。
これは自由律の第三歌集『樹々の記憶』 ( 短歌新聞社
1999年刊 ) に連なるものである。
                         「あとがき」より

      「帯」

*「美しい心が逞しい体に支えられる日がいつかは来る」(ひろし・ぬやま)
*デカルトは「cogito, ergo sum」と言った
*その昔「自由律」というだけで刑務所にぶち込まれた俳人が居る
*北原白秋に「時局」を諭され前田夕暮は自由律から定型に復帰した
*自由というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ
                              収録歌から自選5首
 

木村草弥第七歌集『信天翁』 目次

 Ⅰ 信天翁
    信天翁
    生存証明    
     象形
     マールブルクの面影
     桜
     シメオンの光
     キティちゃん
     言葉
     絵手紙
 Ⅱ 朝の儀式
     朝の儀式
     或る夕餉
     チョコ野郎
     街並み
     松伯美術館
     森の記憶
     オダガン・モド
     ヨーロッパの森
    「卆」の字
     聖樹セイバ
 Ⅲ cogito, ergo sum  
     樹林
     森の記憶②
     岩の造形
     その岩
     誕生と死
     石の物語
     さざれ石
     二足歩行 
     都市の壁
     その壁 
     cogito, ergo sum 

あとがき
著者 略歴
総歌数  三百四首

         装幀   倉本 修

Ⅰ 信天翁  の裏ページ  

vita brevis, ars longa
人生は短く、芸術は長い。

       信 天 翁

一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
      稲田京子さん死去
<信天翁(あはうどり)>描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
黄蜀葵<知られぬ恋>の花言葉もつとし言ひてをとめさびしゑ
まどろみのみどりまみれぞ松園の春画に見つる繁き陰毛(にこげ)は
      兄・木村重信死去
吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
庭の樹につくつくぼふしが来鳴きけり酷暑のふつと弛める夕べ
つくつくよわが庭の樹に産卵せよ黐(もち) がよいかえ山茶花よきか
また地上に出でくるときは七年先まみえむ日まで命やしなはむ
向うより径(みち) の来てゐる柿畑自(し)が影曳きてさまよひにけり
<馬耳東風> おそろしきかも十を聴き九を忘るる齢(よはひ)となりて
村の見慣れた風景に眠つてゐる寓話をゆつくり呼びさましたらどうか

        生存証明   

「門松は冥土の旅の一里塚目出たくもあり目出たくもなし」一休
一休の狂歌を引いてM君から「年賀をやめる」とハガキ
「小生、来年二月には九十歳となるので年賀欠礼」という
「一休の狂歌が身に染みて感じられるようになりました」
M君よ、それも分るが年賀状は年に一度の「生存証明」なのだ
まあ、君のしたいようにすればいいことだが淋しいねえ
シルバー川柳にいう「誕生日ローソク吹いてたちくらみ」
同じくシルバー川柳「入場料顔みて即座に割引かれ」
朝鮮戦争反対のビラ撒きで米軍事裁判で有罪となり服役したM君
そんな闘士のM・M君よ、大阪は築港の冬は冷たいか  

             象 形     

夕暮れた街 束の間切り裂いて 光と影が格子縞に象形する
波動する意識をとどめようとして 目を閉じた 明くる日
新たな季節の訪れの微かな気配 時の移ろいに身をゆだねて
波動し攪拌する意識に抗い むきだしになる感性を押しとどめ
攪拌し交差する意識の屈曲率 その透徹した美しさ
ふしぎにかぼそい光のタペストリー 孤立するまばゆい無限空間
とどまろうとして なおも意識に墜ちてゆく どこへ
象形は彩りを失って 残像となり あなたは遠ざかる
意識の行方をたどるすべはもはやなく 崩壊する放物線
時の移ろいに身をゆだねて ホッと息を吐き出す 誰か

         マールブルクの面影   

三月は卒業式の月である 君はちょっぴり涙を流した
服部信(はつとりまこと)が死んだと恵美子さんからハガキが来た 八十九歳の死
二〇〇三年にドイツはメルヘン街道とハンブルクを共に旅した
広島大学教授から国立米子高専校長を務めた服部信
東北大学出身の化学者で無機化学を専攻した 温和な面貌
三十歳の頃シカゴのイリノイ工科大学研究者の時のボスM・S
そのボスがマールブルク出身で懐かしい郷里の話を聞かされた
マールブルクは大学都市、ノーベル賞学者を輩出した名門
ルターが神学論争をし、グリム兄弟が大学生活を送った古都
グリム兄弟が『童話』のメルヘン収集のきっかけを得た坂の町

                 

四月は旅立ちの月である。どこかで桜が咲いている。
水泳教室も新入生を迎えて活気づいている
華やかな花柄の水着に包まれた健やかな君のボディが立っている
水泳で鍛えた張りのある肢体──白い肌が花柄に映えて美しい
振り上げられた腕が水を漕いでぐんぐん前へ
水から上がったばかりの肌に水玉が弾けてきらきら跳ぶ
水着を剥いで引き出したつんと尖る乳首、若い固い乳房。
贅肉のない鍛えた体幹、その真ん中の凹んだ臍が綺麗だ
どこかで別れの儀式があり、どこかで桜が散っている。
──愛咬やはるかはるかにさくら散る──時実新子

          シメオンの光   

レンブラント描く《シメオンの賛歌》が眼前にある
ルカの福音書に魂を揺さぶられて制作した《シメオンの賛歌》
白髭を蓄え口を開けて讃美しているのがシメオン
その腕には幼子イエスがしっかりと抱かれている
絵の中央で跪きながら二人を見守っているのがマリア
うす青い衣をまとい右手を鳩尾(みぞおち)、左手を胸に当てて微かに微笑む
その傍らで髭を蓄え片膝を立てているのがヨセフ
レンブラントの光は可視化されているようでいて形而上の光である
目に見えない神の臨在を表すために垂直に注ぐ光を編み出した
一枚の絵の中で物語が時間をかけて浮き沈みする

        キティちゃん   

いつだったか夕刊のコラムに「難民かザクレブで女児保護」と
微笑む小さな女の子の写真が添えられていた
三歳ぐらいで名前も国籍も言葉もわからずバスに取り残されていた
ザクレブ近郊の公園から難民集団を運ぶバスの近くに座り込んでいた
きちんと躾けられた行儀のよい子、と書いてある
ウルドゥ語にわずかに反応するという
ウルドゥ語と言えばパキスタンからの長旅だったか
着ている服は流行の子猫のキティちゃんのアップリケ
明るい表情が早くも身につけた曖昧な作り笑いに替わり
その後の報道はないが、その胸のキティちゃんののんびり顔が悲しい

          言 葉      

若者よ、言葉にだまされてはいけない
いつのまにか 死にたい気持ちにさせられたり
その言葉の力を みくびってはいけない
いつのまにか 味方が敵になってしまっていたり
好きなものが嫌いなものになってしまっていたり
泳いで辿りついたところが別の名前になっていたり
最初とは全く思わぬ方向に走らされていたり
どうなっているんだ ただ言葉にだまされただけ
物は嘘をつかない、物が語りかけるものは嘘をつかない
言葉は究極の兵器。言葉は人を滅ぼす。言葉は要注意。

       絵手紙      

絵手紙が来た。みごとなカボチヤ 陽に輝く
六十二円切手の畑だより 友は野良に精出す
むかし子供の頃カボチャをくり抜きキリギリスを飼っていた
カボチャはポルトガル語由来 「ぼうぶら」と呼ぶ地域もある
トンガは日本向けカボチャの大生産地になった
もともとトンガにはカボチャの栽培は無かった
日本で収穫のない冬に収穫できると商社が栽培を勧めた
冬にスーパーに並ぶカボチャはトンガ産 小振りだ
ハローウィンのパンプキンはペポ種でまづくて食用に適さない
カボチャは強健。放置しておいても逞しく育つ



Ⅱ 朝の儀式  の裏ページ   

  a fonte puro pura defluit aqua
清らかな泉から清らかな水が流れる

      朝の儀式      

わたくしのいつもながらの朝の儀式これから始まる春夏秋冬
六枚切り食パンを一枚トースターに焼いてピーナツクリーム塗る 
ピーナツの上にブルーベリージャム つぶさぬ粒のブルーベリー
一口づつ齧(かじ)れるようにブルーベリーはパン一面に九ケ所に置く
ブルーベリーの上にスライスチーズ一枚置けば垂れずに定まる
マグカップに牛乳二五〇CC入れて電子レンジであたためます
シェーカーで青汁の粉末泡立てて牛乳の中に注ぎ込みます
甘味のないカカオ七〇 数粒を ポリフェノールの効用信じて
ミニトマト数粒とバナナ一本これも欠かさぬ定番である
いちにちの始めの儀式この朝もミルクあたため「いただきます」

      或る夕餉     

わたくしのいつもながらの定番の昼夜兼用の夕餉が始まる
カップの小粒納豆 糸を引くナットーキナーゼの効用信じて
昔は関西では納豆を食べなかった 母は死ぬまで嫌がったものだ
スライス胡瓜に沖縄のもずく これに濃厚黒酢を少し足す
今日は「おでん」だ 「おでんセット」の具を一人用土鍋に移す
厚切り大根はんぺん蒟蒻ごぼう竹輪ひねり昆布、玉子が入っている
ミニ・ウインナーを五、六本 老人には蛋白質摂取が必要なのだ
サイコロ切りの豆腐半丁、ほうれん草を加え四倍濃縮だしを足す
いい具合に土鍋が煮えて来たぞ。辛子を付けて食べよう
いちにちの終りの儀式 ひとりで食べる今日の宴(うたげ)だ

       チョコ野郎     

秋風とともにチョコレートがおいしい季節が来た
ショコラトリ・ロワイヤルはオルレアンで一七六〇年に創業した 
今でもカカオ豆からチョコレートを生成している数少ない店
マルキーズ・ド・セヴィニエは一八九二年創業
一八九八年に「セヴィニエ侯爵夫人」をブランド・イメージとする
ラデュレは一八六二年にロワイアル通りにオープンしたのが始まり
「レ・マルキ・ド・ラデュレ」はチョコ専門の新ブランドとして発足
マルキーズ侯爵夫人の横顔が描かれたボンボン・ショコラ
よほど「侯爵夫人」がお好きらしい。競って侯爵夫人だ
フランスはチヨコレート王国。彼らを「チョコ野郎」と呼ぶ

       街並み      

街を一冊の本になぞらえると、旅する人はみな読者だ
歴史の古い町ほど、その本は分厚くなる
旅人は通りから通りへ巡り歩いて何百とあるページをめくる
街並みは、街を読み解くための記号である
家の造り、その並び方、あるいは通りの交わりかた
それらは見るものの目に、謎めいた記号と映るだろう
凱旋門から広がるパリの街は放射線をなしている
オランダのアムステルダムは、さしずめ環状線の街と言える
線をなすのは「運河」である  いく重もの、取巻く運河
街並みの幾何学模様を、さらに複雑にしているのは「家」

       松伯美術館    

元(株)クボタ専務のK氏が来宅されて恐縮の至り
小学校の恩師が近くの老人ホームに入居中でお見舞のついで、と
本年度の「健詠賞」受賞お祝いメールへの返礼
上村松園、松篁、淳之の三代にわたる作品を収集展示する松伯美術館
広大な大渕池を眼下に眺める閑静なたたずまい
ここは元近鉄社長・佐伯勇の別邸跡に建つ美術館
大渕池緑地に面して閑雅なK氏宅が建つ高級住宅地
高台の住宅地のI女史宅から朝の散歩に池畔を歩いた
女史が亡くなって二年  きつい坂道の記憶
カイツブリが きりりりと鋭く鳴いていた朝明け

         森の記憶      

クォークから原子へ 原子から分子へ 分子からDNAへ
百億光年の彼方から一〇〇ミリ秒のニューロンの発光へ 
死と同じ重さの生 生と同じ軽さの死
白夜に近い状態だった 月だけが冴えざえと輝いていた
峠を越えると突然、朝霧の歓迎を受けた
針葉樹林にたなびく霧が逆光に輝いていた
樹林一面に霧氷が付着して幻想的だった
雪が降った 雪が降れば山腹一帯がスキー場になる
この森は北に行くにつれて痩せてゆく 樹高も低く
「ノルウェーの森」という小説が流行ったが樹種は乏しく針葉樹だけ

       オダガン・モド   

モンゴルの十歳の少年が留学する母親と一緒に来日した
農地に面する樹木に囲まれたアパートに住んだ
自然に囲まれて良かったと思ったが彼の反応は違った
草原から来た彼には木が邪魔だった
木々が緑で覆われる頃になると怖いと言い出した
一望さえぎるもののない草原に育った彼には木々の緑は目障りだった
風が吹く夜などは泣き出さんばかりに怖がった
家財道具でも木の用途は住いの骨組みに僅かに使われるだけ
半砂漠のゴビでハイラースという大きな木が二、三本聳えている
それは「オダガン・モド(巫女(みこ)の木)」と呼ばれて信仰される

        ヨーロッパの森   

春の一日 広葉樹の緑とおとぎの国のような下草の花模様
国境は無きに等しいが森の風景を見ると面白い
同じマロニエの樹でもドイツとフランスで樹の生え方が違う
ドイツ人はマロニエはこうあるべきだ、と植樹する
この区画は〇〇年度植樹。一本でも樹高の違いも許さない
杓子定規の凹凸が樹々の風景に整然と展開する
オランダの夏のヨーロッパ・ブナの森が拡がる
オランダ人は国の大半を干拓によって生み出した
そこに樹木を植え育て上げ各地で見事な森に出会う
ポルドガルは植林に熱心 ユーカリの森が拡がる

       「卆」の字    

卒の略字「卆」は九と十。わたしは今年卆寿だという
卒は兵卒。古代中国には兵卒に印(しるし)をつけた服を着せたから
宮崎信義は徴兵され中国戦線で一兵卒として苦労した
卒は終わる、終えるの意味から「卒業」の熟語がある
卒には「遂に」「俄(にわか)に」の意味もあると辞書に
「卒中」「卒倒」「卒然」などの熟語がある
卆寿とは「人生を終える」齢という意味なのか
虚弱児だったボク──九十歳まで生きるなんて思いもしなかった
どうやら「卆」の字が私の目下のキーワードらしい
ああ、この夕餉に牡蠣(かき)に檸檬(れもん)を絞りつつ思うことである

       聖樹セイバ    

マヤ文明の故郷であるメキシコ・グァテマラの熱帯樹林
メキシコのビジャエルモッサの熱帯樹林に生えるセイバ
密林の樹海に一際高くそびえるセイバは世界の軸に比せられた
白い樹皮に包まれた樹幹は太く天に向かって伸びる
そして、高さ四〇メートル以上にも達する
セイバは世界の始まりと終わり、豊穣と破壊を同時に象徴する
大地が大洪水で崩壊した後、四柱のバカブ神が立ち上がった
北に白いセイバを、西に黒いセイバを植えた
豊穣の緑のセイバが国の真ん中に植えられたが「破壊」の徴(しるし)だった
それは世界の根源であり、生と死という二面性を表わす

     
Ⅲ cogito, ergo sum  の裏ページ  

  cogito, ergo sum
  われ考える、ゆえに 我あり (デカルト)

    樹 林      

原始、地上は森に覆われ、海には生命の胎動があった
幾億年かの昔、記憶にもない時代である
当時の鬱蒼たる森は、今は数百、数千メートルの地下深くの地層に
地層の摺折さながら石炭の層として残っている
それらの物質の一部は広大な油田となって地底深くに眠る
人が生まれて来るのは、その数億年の後、近々七十万年のことだ
もとより当時の地表も鬱蒼たる樹林に覆い尽くされていた
今はほとんど一木をも留めぬ山西省の黄土地帯も樹林であった
揚子江の河畔の森には象が群棲しており
西部の山地にはパンダの先祖の奇獣が群をなす自然があった

        森の記憶②    

私たち人間は聳え立つ巨木に対して畏るべき威厳を感じる
深い森や木立に対して不気味で懐かしい気配を感じる
樹木は、人間が人間として生き始める遥か十数億年も前から
地球環境に適応する術を編み出して生き続けてきた
人間は生きるために樹木を必要とするが樹木は人間を必要としない
人間の身体を構成する六〇兆の細胞のひとつは、
人間を作る以前から樹木の細胞と長い付き合いがある
かつてスペイン人は樹木を大切にしなかった
世界の海を制覇したスペイン人の活力は森の衰退と共に失せた
樹が少なければ水を呼ばない。乾燥するのは樹が少ないからだ

       岩の造形     

風景とは自然が創り出した見事な「造形」である
それは「時間」の創造物とも言い換えられるだろう
悠久の時を経て地表に露出した巨大な岩の造形
砂漠に足を踏み入れ、暫くそこに身を置く
そこで動物としての私の一生の枠を超える時間を感得する
見渡す限り「無限」とも思える広がりが茫漠と続く
何十億年かけて存在している岩山と砂の一粒になる
何十億年かけて地球に届く星の光に自分が融けてゆく
私たちが住んでいる時速一六七〇kmで回転する惑星
それを取り巻いている永遠と一瞬が映っているかどうか

         その岩      

かつて、日本列島を氷河が覆っていたことがあった
現在の気象状況からその光景を想像するのはなかなか難しい
当時に較べて今ははるかに温暖だし地形も穏やかだから
氷河時代の名残がカールやモレーンと呼ばれる氷蝕地形だ
中部山岳国立公園の黒部五郎岳は標高二八三九m
高い山でもないし険しい山でもない黒部川源流の風景
その景観の中にひときわ目立つ岩がある
その岩は黒部五郎岳カールの高山植物に囲まれている
「割れ」が入ったところなども長年の風雪を耐えてきたのだ
もとあったところから流転して今の場所へ。そして留まる

       誕生と死    

私たちは地球という巨大な岩石の上で暮らす
岩石は生物が誕生する以前から自然そのものである
地上の生物が生死のドラマを無数に繰り返す何億年もの間、
一個の岩石は風や雨に晒されながら永遠の時を刻んだ
果て知らぬ過去から目くるめく未来へ超然と存在し続ける
誕生と死、形成と崩壊、夜と昼。時は螺旋状に過ぎてゆく
地球が一個の生命体であることを思うと驚くことではない
線を引くように土地や民族を分けることには無理がある
岩が石になり、やがて砂になって風に乗って飛んで行った
水は形を変えながら循環して存在し続け、生と死を繰返す

       石の物語    

「洪水」神の禹は、もと龍形の神であった
天下の洪水を治め歩いて塗山に至り妻を娶った
禹は水を治めるとき熊の姿となった
女はその姿を見て恐れ、恐怖の余り石となった
禹はその石に向って「わが子を返せ」と叫ぶと、
石は二つに裂けて子の啓が生まれた
啓とは開明の意味ならば、石は暗黒の世界だったか
中国の人ほど石を愛した民族は居ない
巌はどの地でも神の宿るところであった
白川静の学識と独創性の説くところである

        さざれ石    

地球が生まれて以来幾億年、高く天に聳える山の頂は
烈しい風雨に削られて突兀たる巌が露出する
そこは久しく人の近づくことを許さない聖域であった
人々は、そこに神の世界を見たのである
氷雪の中に、雲霧の彼方に世俗を拒否する世界があった
それで神の像を刻むには石が最もよい材質だった
その最も世俗的なものは、わが国では石神となった
村里に降りて来た神は「抱擁」神の姿をとることが多い
国歌となった「君が代」の歌でも、さざれ石が巌となるという
それが「永遠」の表現である。巌には神が住むという

        二足歩行     

ウォーキングが流行っている。毎朝一万歩あるくという人も居る
ヒトは霊長類の一種。サル類は一日中なにをしているのか
移動は何のためか。採食と給水が主なものである
「ヒトとは直立二足歩行する霊長類である」これが定義
しかし、なぜ二本足で歩くようになったのか
哺乳類の身体は四足歩行に適したように造られている
二足歩行の姿勢は胸と腹という致命的な弱点を敵にさらす
心臓にかかる負荷は大きく、痔や胃下垂が起きる
その不利を克服したのは「手」である。その手は強力な武器を使える
哺乳類の奇形として出発した「二足歩行」の未来は?

        都市の壁     

ロンドンから北に電車で一時間。ケンブリッジに着く
オックスフォードと並ぶ古くからの大学街である
この川沿いをニュートンが歩いたのか。「イーグル亭」というパブで
DNAの二重螺旋構造を解明したワトソンとクリックが議論したのか
それぞれのカレッジはぐるりと壁で囲まれて「プライベート」と表示
都市の喜びは自由にあちこち歩き廻れることにある
しかし実際には、都市には至るところに「壁」がある
入り口に「プライベート」と書かれてしまえばおしまいである
都市は壁に囲まれたプライベートな見通しの悪い多細胞生命体
ベルリンの壁の崩壊に人々はなぜあれほど熱狂したのだろう

         その壁      

むかし福井の郊外にある永平寺に行った時に思った
毎年百人以上の雲水が入門する修行の場であるこの寺は
同時に多くの観光客が訪れる名所でもある
黒の法衣を纏った修行僧によってぴかぴかに磨き上げられた廊下
修行僧の修行の現場と観光客が立ち入る経路には
「ここから先は観光の方はご遠慮ください」という立札で隔離される
それは目に見える形での「壁」だと言えるだろう
「立って半畳寝て一畳」と言われる厳しい修行の生活圏
それは目に見えない絶対的な心の壁が両者の間には、ある
穏やかで美しい分離は「壁」が人間にとって切実な意味だということ

       cogito, ergo sum     

ユリシーズの時代には肉体が見事だというだけで英雄になれた
今では貧弱な肉体の持ち主がコンピュータを操って巨万の富をかせぐ
むかし「若者よ体を鍛えておけ」という歌が流行った
作者は獄中十数年という経歴の持ち主の詩人だった
「美しい心が逞しい体に支えられる日がいつかは来る」
と、その人は言った。ひろし・ぬやまという詩人だった
その昔「自由律」というだけで刑務所にぶち込まれた俳人が居る
デカルトは「cogito(われ考える), ergo(ゆえに) sum(我あり)」と言った
デカルトの研究者というだけで三木清は獄死した
北原白秋に「時局」を諭され前田夕暮は自由律から定型へ復帰した
香川進大尉は「自由律歌人」だからと陸士出の将校に殴打された
「自由」というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ


あとがき

はじめに書いておきたいことがある。
妻・弥生の死後、十年間、私を支えてくれたケアマネジャー(正式には介護支援専門員という国家資格)の稲田京子さんが二〇一六年三月に死んだ。
その直後に私は突然、起居不能に陥り原因が判らず四苦八苦したが、幸い専門医の診断と処置により生還した。
その翌年、行動する学者として世界中を飛び廻っていた美術史家の次兄・重信が死んだ。
「影」として生きてきた私は大きなショックを受けたが、何とか立直りたいと思う。
そういう騒動を描いたものが巻頭に置いた「信天翁」の一連である。
これは角川書店「短歌」誌二〇一七年九月号に載るもので、歴史的かなづかい、文語文脈で発表した最後のものである。敢えて、そのままで掲載してある。
それ以後、私は現代口語歌を標榜する「未来山脈」光本恵子・主宰のもとに拠って作品を発表している。だから、それ以後は「新かなづかい」を採用している。
これは私の自由律の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)に連なるものである。
作品は「未来山脈」二〇一八年一月号から二〇二〇年四月号に載せたものを収録した。
巻末に置いた「cogito, ergo sum」の一連は、角川書店「短歌」誌二〇一九年六月号に載るものである。
これは戦中の文芸弾圧の歴史を語るものとして書いたもので、今どきの為政者の右傾化の動向に抗議する意味で、忘れてほしくない事件として敢えて置いた。
Ⅰ Ⅱ Ⅲの各章扉の裏面には座右に置くラテン語の「箴言」を掲げた。

本来、短歌は一首で自立する文芸である。
しかし、この本での私の作品は十行あるいは十二行からなる「短詩」のような形態を採っている。だから短歌ではなく「散文の短詩」として読んでもらって結構である。
短歌として違和感を持ってもらっては困るので敢えて書いておく。

私は一九三〇年生まれ、今年で満九十歳を超えた。
虚弱児だった私が九十まで生きるなど想像も出来なかったことだが、先年の病気以来、体は衰え、あれだけ外国に旅していたのが、パスポートも失効し、国内旅行も覚束ない始末である。
友人、知人も多くが鬼籍に入り、遊びに行くところも、ままならぬ仕儀。
あと、どれだけ生きられるか分からないが、これからの日々、私のしたいようにさせてもらいたいと念じているので「わがまま」を見逃してもらいたい。
そんな意味で、この一巻は私にとって記念碑的な本であると言える。
この本は、親しい人たちを失った喪失と諦念の書である。

目下の私は「未来山脈」の人々の他に、ブログやフェースブックでの「詩・歌・句」の友人との交流で日々を過ごさせてもらっている。
有難いことである。老いても好奇心だけは旺盛なので何とか生きている。

この本は第三詩集『修学院幻視』に引き続いて、「澪標」松村信人氏を煩わせた。
読者の皆さんの忌憚のない批評をいただきたい。

二〇二〇年二月  オリンピック東京大会が開かれるという年に


著者略歴

木村草弥(きむら・くさや)(本名・重夫)

1930年2月7日京都府生まれ。
Wikipedia─木村草弥

著書
歌集『茶の四季』 角川書店 1995/07/25 初版 1995/08/25 2刷
  『嘉木』 角川書店 1999/05/31 刊
  『樹々の記憶』 短歌新聞社 1999/07/18 刊
  『嬬恋』 角川書店 2003/07/31 刊
  『昭和』 角川書店 2012/04/01 刊
   『無冠の馬』 KADOKAWA 2015/04/25 刊
  『信天翁』 澪標 2020/03/01刊
詩集『免疫系』 角川書店 2008/10/25 刊
  『愛の寓意』 角川書店 2010/11/30 刊
  『修学院幻視』 澪標 2018/11/15 刊
私家版(いずれも紀行歌文集)
  『青衣のアフェア』
  『シュベイクの奇行』
  『南船北馬』

現住所 〒610-0116 京都府城陽市奈島十六7
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