
生きる途中土筆を摘んでゐる途中・・・・・・・・・・鳥居真理子
掲出したこの句は「土筆を摘んでゐる途中」の描写の中に「生きる途中」という心象を盛って秀逸である。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものに、こんな歌がある。
夜の卓に土筆(つくし)の吐ける胞子とび我死なば土葬となせとは言へず・・・・・・・・・・木村草弥
川の堤防の土手などに「つくし」が頭を出す時期になってきた。
採ってきた「つくし」をテーブルの上などに置いておくと、未熟なものでは駄目だが、生長した茎が入っていると、
私の歌にあるように「胞子」が白く下に溜まってばら撒かれることがある。
この頃では季節の野草としてスーパーなどで「つくし」が売られるような時代になってきたが、本来は春の野にでて「摘草」を楽しむものであろう。
「つくし」は「スギナ」の若い芽(正しくは胞子茎)で、学名をEquisetum arvense という。
スギナは嫌われものの野草で深い根を持ち、畑などに侵入すると始末に負えないものである。
食料として「つくし」を見ると、子供には、苦くて、旨くなくて、なじめない野草だった。大人の、それも男の大人の酒の肴というところであろうか。
昔の人は、土の中から、あたかも「筆」先のような形で出てくるので、これを「土筆」(つくし)と呼んだのである。

私の歌は「国原」という長い一連の中のもので、この歌の前に
土筆(つくし)生(お)ふ畝火山雄々し果せざる男の夢は蘇我物部の
あり無しの時の過ぎゆく老い人にも村の掟ぞ 土筆闌(た)けゆく
という歌が載っている。
こうして一首あるいは二首を抜き出すと判りにくいかも知れない。一連の歌の中で、或る雰囲気を出そうとしたものだからである。
掲出した歌も上の句と下の句とが、ちょうど俳句の場合の「二物衝撃」のような歌作りになっていて、
この両者に直接的なつながりはなく、それを一首の中に融合させようとしたものである。
敗戦後しばらくまでは、私の地方では、伝統的に「土葬」だった。
私なども町内の手伝いとして何度も、土葬のために墓の穴掘りに出たものである。すでに埋葬された人の人骨などが出てくることもあった。
キリスト教では基本的に土葬であり、土葬が野蛮とか遅れているとかいうことは出来ない。風習の問題である。
「火葬」は仏教に特異な遺体の処理法であると知るべきである。今では、当地も、すっかり火葬一色になってしまった。
墓が石碑で固めた墓地になってしまったので、私だけ「土葬」にしてくれ、といっても出来ない相談である。
二番目の歌について少し解説しておくと「蘇我物部」(そが・もののべ)というのは、蘇我氏、物部氏とも滅びた氏族である。
ご存じのように蘇我氏は渡来人系であり、物部氏は日本古来の氏族であったが蘇我氏などとの抗争で滅ぼされた。
だから私の歌では、それを「果せざる男の夢」と表現してみたのである。
墓地にはスギナが、よく「はびこる」ものである。
私の歌の一連は、そういう墓地とスギナとの結びつきからの連想も歌作りに影響している、とも言えようか。
「つくし」を詠んだ句は大変多いので、少し引いておく。
写真③が土筆が生長した「スギナ」である。まだ遅生えの土筆も見える。

土筆野やよろこぶ母に摘みあます・・・・・・・・・・長谷川かな女
病子規の摘みたかりけむ土筆摘む・・・・・・・・・・相生垣瓜人
つくづくし筆一本の遅筆の父・・・・・・・・・・中村草田男
土筆見て巡査かんがへ引返す・・・・・・・・・・加藤楸邨
まま事の飯もおさいも土筆かな・・・・・・・・・・星野立子
土をでしばかりの土筆鍋に煮る・・・・・・・・・・百合山羽公
土筆折る音たまりける体かな・・・・・・・・・・飯島晴子
生を祝ぐ脚長うしてつくしんぼ・・・・・・・・・・村越化石
土筆の袴とりつつ話すほどのこと・・・・・・・・・・大橋敦子
惜命や夜のつくしの胞子吐く・・・・・・・・・・神蔵器
一行土筆を置けば隠れけり・・・・・・・・・・小桧山繁子
土筆など摘むや本来無一物・・・・・・・・・・矢島渚男
週刊新潮けふ発売の土筆かな・・・・・・・・・・中原道夫
着ると暑く脱ぐと寒くてつくしんぼ・・・・・・・・・・池田澄子
「はい」と言ふ「土筆摘んでるの」と聞くと・・・・・・・・・・小沢実
生き死にの話に及び土筆和え・・・・・・・・・・増田斗志
末黒野の中の無傷のつくづくし・・・・・・・・・・村上喜代子
摘み溜めて母の遠さよつくづくし・・・・・・・・・・田部谷紫
土筆たのし巨木のやうに児は描く・・・・・・・・・・国分章司
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