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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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小澤京子歌集『地球岬』・・・木村草弥
地球岬_NEW

──新・読書ノート──

       小澤京子歌集『地球岬』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・角川書店2020/01/18刊・・・・・・・・

この歌集が贈られてきた。
小澤京子さんは2012/07/28に私の第五歌集『昭和』を出したときに、三井修氏のお世話になって東京で「読む会」を開いてもらったときに出席して批評をして頂いて以来のお付き合いである。
その時に頂いた歌集が小澤京子歌集『アウトバーン』である。 ← リンクになっているのでお読みください。
この第二歌集を出されたときは「ぱにあ」に所属しておられたが、今は「塔」短歌会に居られる。

この本は凝った装丁になっている。
画像でも読み取れると思うが、従妹で染織家の近藤紀子氏の織った「紬」の丸い布を表紙に貼り、その部分だけカバーを丸く刳り抜いてある。
これは題名の「地球岬」に通じるもので、丸い地球を装丁的に表現したものであろう。
私は、この地球岬には行ったことがないが、目の前に広がる太平洋の水平線は「丸く」湾曲して見える、という。
それらのことどもを総合して、この装丁になった、というべく秀逸である。
先ず、そのことを書いておきたい。

小澤京子 略歴
1951年 神戸市生まれ
秋元千恵子の「ぱにあ」を経て、2013年「塔」短歌会 入会。
2004年 第一歌集『風見鶏は翔ばない』
2009年 第二歌集『アウトバーン』
2015年 『俵万智─揺るぎなきもの』 (評論)

図版でも読み取れると思うが、「塔」選者の小林幸子氏が「帯」文を書いておられる。
この文章は、この一巻の要約として極めて的確なものである。

「あとがき」に、こう書かれている。
<二〇〇九年春、第二歌集を出してから・・・・・十年の月日を要した。まさに、この月日は怒涛の日々ともいうべきで、・・・・・我ながらよく体力が続いたと思う。
歌集名は『地球岬』とした。・・・・・祖父が室蘭に土地を持っていて、戦後そこへ行ったら砲台が海へ向かって建っていたというのだ。
その土地を売ったのが、私の大学の資金になったという。・・・・・地球岬の目の前に広がる海を眺めていると私の原点がそこにあるように感じた。
二〇一〇年十月、神戸在住の父が故郷函館に、その兄の葬儀に行った晩のことだった。父はホテルで足の痛みを覚えたが、その晩はそのまま過ごしたという。
翌日、整形外科、内科、地元の病院と回って四か所目で、右ひざ後ろの動脈瘤破裂と診断された。
すでに十八時間以上経っていることから、右脚は、ひざ上から切断を余儀なくされた。
函館の病院で一カ月、その後函館から関西空港経由で神戸の病院へ転院し、退院したのは、翌年の一月末だった。
・・・・・その後、父は母とともに介護付き老人ホームに移り、現在九十五歳。気力、体力ともにあり驚くばかりである。>

何ぶん十年間の歌を収録されたので、本人はともかく、読む他人には脈絡を掴みにくいきらいがあるのが残念である。
「象徴的」な詠いぶりならいざ知らず、作者の詠いぶりは、ほぼ「リアリズム」であるから、私は、そう感じるのである。

歌の鑑賞に入りたい。
この歌集は、Ⅰ Ⅱ Ⅲ の章立てになっているが、その詳細は判らない。年月の順番だろうか。
「帯」裏に、自選の歌五首が載っているが、私の判断で少し歌を引いてみる。

*片脚を断ちて命を拾いたる父はベッドに笑顔を見せる
*看護師はパジャマの裾を結びたり父の失くしし右片脚の
*回診の白衣の人の函館弁「なぁんも何もなんとかなるっしょ」
*函館の大火が呑みし生家跡ベッドに父は地図を広げる
*リヤカーで売り来る朝の烏賊そうめん幼きよりの父の好物
*病室でダイヤモンド婚迎えたる父母にそれぞれ花を贈りぬ

私の亡妻も函館出身である。京都は同志社大学に学んでいたのである。
亡妻の実家は昆布海藻を商う産地問屋だった。函館昆布海藻株式会社という名前で手広く商売をしていたが先年廃業した。
祖父は弥十という名前だったが、一族は静岡の清水在の出身で、弥十には子がなく、亡妻の父は静岡から養子に来た。
亡妻は弥生というが、三月生まれということもあるが、兄弟たちには弥十の「弥」の字を付けた者が多い。恐らく弥十が命名したものだろう。徳川家康が信徒だったので、かの地には浄土宗が強い。
だから清水在には親戚が居るが、次第に縁遠くなってきたのが現実である。
私のことに立ち入りすぎたかも知れないが、小澤さんの歌に関連するからである。「烏賊そうめん」「函館の大火」「函館弁」などである。
私の観察では、元々の「函館弁」というのがある訳ではなく、東北北部から移民の言葉が混じり合った「方言」として成り立っているようである。

*アイヌ語はいかなる意味を持ちいるや 〈地球岬〉と漢字をあてて  「ポロ・チケプ」が訛った「チキウ」

Wipedia には<チキウ岬(チキウみさき)は、北海道室蘭市の太平洋に面する岬。
名前はアイヌ語の「ポロ・チケプ」(親である・断崖)に由来しており、それが訛り、転化して一般的に地球岬(ちきゅうみさき)と呼ばれている> 
と書かれている。「チケプ」とは「断崖」ということである。
北海道にはアイヌ語に由来する地名が多い。
今や先住民族としてアイヌを捉えることが法律で制定された。
アイヌ語に由来する地名は関東のあちこちにも現存し、由来がアイヌ語と知られないものも多い。
アイヌ民族は「駆逐」されたり、「和人」と混血して「同化」されたりして、「現」日本人として存在しているのである。
私の住む京都、奈良などは早くから朝鮮半島からの渡来人が住み着いたところで、彼らは、その頃の文明人であって、彼らが先進技術などをもたらしたのである。
日本人は、東日本のアイヌ由来の人種。山陰、関西地方の朝鮮由来の人種。俗に「熊襲」と言われた南方系の人種などが混交したものである。決して「単一民族」などではない。
   
*国道をキタキツネの仔が渡り終え蕗の葉陰にちんまり座る
*「投げてくれ」スタッフにごみ捨てさせる函館弁の抜けざる父は
*紅を差しウイッグ付けて晴れやかに卒寿の母は宴におさまる
*われもまた誰かは知らね末裔ぞ〈平成〉終わる年の近づく

*故郷なき夫はかつての赴任地の米沢選び納税をする
*ガレージの石の隙間のほの明かしど根性すみれと夫呼ぶ花の
*秋咲きの深紅のバラを夫活けるコーラの瓶にかく無造作に
*笹団子食まんとあける夫の口くらぐらとして洞のごとしも
*薔薇窓を初めて見ると夫言いぬ掏摸のむ被害に触れずにおこう

「夫」を詠んだ歌をまとめてみた。まだ、あるかも知れない。

とりとめもない雑駁な鑑賞になったことをお詫びしたい。

巻末の一首

    藤色の毛糸のストール編みかけのままでありしよ 母逝き三月(みつき)

ご父君のご健在とは裏腹に、お母上は亡くなられたらしい。「*」を打った後に載せられた歌に立ち止まった。
このことについては何の説明もないが、お力落しなく消光なさるよう祈るばかりである。見落としに気づけば補筆するかも知れない。
不十分ながら、この辺で鑑賞を終わる。 ご恵贈有難うございました。            (完)




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