
老桜は残さず花を散らしけり
かにかくに見るはるかなる宙(そら)・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
私の歌の場合、華やかに咲き満ちている満開の桜の最盛期を詠むということは、まあ、ない。
散り際とか、老い樹であるとか、滅びるような様子を詠うのが多い。
一般的に詩歌の場合は、そうである。何事にも「滅び」の時期にこそ、自然の、あるいは人生の哀歓があるからである。
「盛り」のときに勢いがあり、美しくて、華やかであるのは当然のことであり、何の不思議もないからである。
適当な散りつくした桜の写真がないので、こんな写真で代用する。長谷寺の桜落花である。
この歌には何も難しいところは、ない。上に書いたような私の心象が詠われている。
そして、花の散った桜の樹の間からは、果てしない宙(そら)が拡がっているなぁ、という感慨である。
落花を詠んだ句に
空青しなほも落花を含みゐて・・・・・・・天野莫秋子
というのがあるが、この句は私の歌に一脈相通じる雰囲気がある。
こんな句はいかがだろうか。
めんどりよりをんどりかなしちるさくら・・・・・・・・三橋鷹女
余談として書いておくと、私の歌に使っている「かにかくに」というのは「あちこちに」とか「いろいろに」という意味の「副詞」である。
これを使った文学作品として有名なのが
かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる 吉井勇
という歌である。 念のために書き添えておく。
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