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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「ら」抜き言葉のこと・・・木村草弥
(再掲載) 初出・2007/06/02のDoblog

──★日本語倶楽部★──(2)
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        「ら」抜き言葉のこと・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

日本語が乱れていると言って、よく例にあげられるのが「ら」抜き言葉である。
もう二十年以上も前になるが、或る短歌結社の全国大会の班別歌会で、地方ではかなり威張っている人が、この「ら」抜き言葉に触れて、何かの機会に国語学者の金田一春彦氏に、そのことを言ったら金田一さんは、たいして取り合わなかった、と憤慨して話した。
私は、そのとき司会者をしていたが、「金田一さんは寛容ですからね」と言ったら、私まで攻撃の対象にされてしまったことがある。

言語、あるいは言葉というものは揺れ動くものである。 今ある言語あるいは言葉あるいは表記というものは、時代とともに変化する。そういう点で専門の学者の方が寛容である。
見出しに挙げた「ら」抜き言葉も、何の原則もなしに「ら」抜きにされているわけではないのだ。
長野県─信州方言では「ら」抜きが一般的らしいが、たとえば「見ることが出来る」という可能動詞では「見れる」となる。
一方、誰かに「見つめられる」という意味の「受身動詞」では「ら」抜きではなく「見られる」となる。
このように規則性は、ちゃんとあるのである。

いま私は信州方言と言ったが、私は信州人でもなく、また信州と言っても木曾谷、佐久平、伊那谷その他縦に走る山脈によって隔てられた信州には一律にはゆかない違いがあるかと思う(間違いは指摘して下さい)が、これは信州出身のかなり影響力のある文化人の発言であるから当らずとも遠からずだと思う。
信州人は東京には多くの人が進出しており、文化人も多い。
だからというわけではないが、「ら」抜き言葉は、遠からず「許容」されて一般的になると、私は見ている。

辞書などを見てみると上古以来、日本語の使い方は、ものすごく変化して来た。
「ことわざ」「格言」的な言葉など本来の意味と違う意味に現在は使われているものが、たくさんある。
これについても「日本語倶楽部」のアンケートの対象にしても面白いので、ここで実例を挙げることは控えておく。
これらを、よく知るためには国語辞典ではなく「古語辞典」を紐解いてみると面白い。暇な何もすることがない時など、辞書は最高の友人になり得る。
よく言われることだが、文化人とか詩人とか歌人、俳人と呼ばれる人の机の脇には辞書が、でんと置かれて、ちょっとした疑問や物忘れなどの折に触れて彼らは辞書を引く。
素人に限って、そういう努力をしない。これが才能が開花するかしないかの分かれ道である、と。
その通りで恐れ入るが、いずれにせよ辞書には何千年の日本人の「日本語」に関する叡智が詰め込まれているのである。

私自身は駄目な男だが、私の同級生には仏文の教授や国語学の専門家や外国人に対する日本語教育のパイオニアなど、錚々たる友人がたくさん居るので、著書などを戴く機会も多いので勉強させてもらっている。

いずれにしても言葉は揺れ動くものだということを言っておきたい。その変化は先ず「発音」から始まる。
それが「表記」と矛盾してくる時に、例えば「新かなづかい」のような大掛かりな国語表記についての大変動が起きるのである。
これは何も日本語だけの問題ではなく外国などでもしょっちゅう起っていることである

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5/19.17:00追記
いま届いた「読売新聞(大阪)」夕刊を開いてみたら、金田一春彦先生が91歳で今日なくなられたという。文化功労者。
解説には、私が先に書いた通りの事が書いてある。すなわち「言葉は時代とともに絶えず変化する」が持論で、若者の「ら」抜き言葉などにも理解を示した、など。
早く書いておいてよかった。ご冥福をお祈りしたい。
5/20.追記
京都新聞は今朝の記事で大きく伝えた。先生は八ヶ岳の別荘に滞在中に倒れ、意識不明のまま甲府市の病院で、蜘蛛膜下出血のため死去された。
今日の記事には玉村文郎同志社大学名誉教授の話として、次のように書かれている。
<今春、東山七条の智積院に真言声明の研究に訪れられ、同席させて頂いた時にも、お元気だったので、突然の訃報に驚き、また残念でならない。新村出先生と春彦先生の父、京助先生は先輩後輩の関係で、新村出記念財団発足では春彦先生に陰に陽に助言いただき、発起人にもなって頂いた。同じ国語学の研究者として北京で一緒に滞在したこともあるが、幅広い方で、難しい専門の歴史的なアクセントの研究も一般の人に実に面白く上手に話された。>
見出しは「難しい話を面白く」とある。これこそ達人の真髄である。
この玉村文郎君は私の同級生で国語学と外国人留学生に対する日本語教育のパイオニアである。国語学の著書の他に『日本語学を学ぶ人のために』
『新しい日本語研究を学ぶ人のために』などの本がある。
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「日本語倶楽部」のことについて書いておく。前に所属していた「Doblog」は2007年にホストコンピュータが障害を起こして、結局、廃止された。
そこに居るときに同好の人たちと立ち上げたのが、この倶楽部である。私の書いた記事の第二回が、これである。
「日本語倶楽部」のキャプションも会員の誰かが作ってくれたものである。
今では記念碑的な、なつかしい記事である。
ここに再録しておくので読んでみてもらいたい。
私の書いた記事は全部で十回ほどあるが、機会をみて再録してみたい。



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