
──新・読書ノート──
古田鏡三歌集『せせらぎ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・ながらみ書房2020/05/30刊・・・・・・・・・
この本が恵贈されてきた。「未来山脈」の会員だが、私には未知の人である。
巻末に載る略歴を引いておく。
古田鏡三
1947年 長野県木曽郡大桑村 生まれ
1962年 石川島汎用機械木曽事業所に就職
20歳代より自由詩、作詞を始める。各種の講座、同人誌に入会
1992年 「未来山脈」入会。光本恵子に師事
この略歴の、すぐ後に
<詩、短歌の魔力にとりつかれ、70歳代の今、口語自由律の世界をゆっくり歩いています。> と書いてある。
この本はソフトカバーの「帯」もない清楚な本づくりであり、著者の思いが籠っているようで好感が持てる。
この本には巻頭に「序文」として光本恵子が6ページにわたって詳しく書いていて、本の要約が尽くされているので、私が付け加えることは何もないのだが、少し書いてみる。
この本は一ページに四首の歌を組んであり、ページ数も176ページあるので相当な歌の数だろう。
巻末には若い頃に没頭した「歌謡」詩が16篇収録されている。この頃、古田氏は「作詞家」になりたかったのだろう。
いずれも整った佳い作詞である。いずれも三番まである長いものなので、ここに引くのは見送る。
光本恵子は序文でも「木曽馬のような頑固で優しい男」と書く。
私には未知の人だが、「木曽の工場で働き、木曽の田畑を耕し、牛を飼って育て、それ木曽牛として売って」生きてきたのだろう。
古田氏と光本とのふれあいは、光本がラジオ信越放送の「口語短歌入門」をやっていた頃で1990年代のことだという。
古田は、その番組の常連だった、という。それから三十年。長い付き合いである。
光本の序文に続いて、木曽御嶽山の雪を被ったカラー写真と
「きそ」の語源を 尋ね歩く 瀬音にまざり 此こだよ 石ころの声
の歌を刷ったページがある。これも作者のこだわりだろうか。 佳い歌である。
巻頭の一連は「夕焼とんび」という名前で
■母ちゃんは米を肩に おらは提灯を手に水車小屋へ沢づたいの夜道
■川向こうの山を軽便が行く 材木をいっぱい背にしてひとり静かに
■子牛と競り市 手綱にひびく最後のひと声に牛がうなずく
これらの歌が載っている。作者の「原風景」なのであろう。
■メロンは妻へ花は仏壇へ温泉帰りの買物 今日は母の日
■君は我れを惑わす古い頭を押しのけて「未来山脈」がやってくる
■夕飯を食べつつ将来のショウの字を家族に聞く これが幸せ
■わが母を看取り妻は子を背負い同じ鍬をもつ
ここで、作者の「癖」について指摘しておきたい。
「此こ」 「我れ」などの送り仮名のことである。
アンダーラインを入れておいた。
これらは、もちろん間違いではない。ただ「此処」 「我」でいい筈である。それが嫌ならカナ書きでもいいのである。
■どうなるのか我が家 安政三年が平成の大修理に入った
■ぽつぽつと生きざまを語る職人の手は休むことを知らない
■土台が有って屋根がある 人と木材で生き返ろうとする
■首都圏に積雪のニュースが今日も 一メートルの雪つづきの町
作者の故郷も、わが家も古いらしい。それらの哀歓を淡々と歌にしていて秀逸である。
■剥製の第三春山号に寄りそう飼い主の姿開田高原の時は流れて
■調教の女性に従い木曽馬は不運の歴史を背負い今日も歩む
■「きんこ」とは繭玉のこと絹糸から布になる 蚕さんがつくるのだ
■稲が藁になり縄になる手を加えれば草鞋になる さあ歩こう
作者は故郷を詠う。木曽馬を詠う。信州で盛んだった養蚕のことを偲ぶ。よいことである。
「歌謡詩をうたう」という項目があって、短歌を始める前に熱中したことを詠う。
■体験が声に唄の味に染みついたそんな歌い手様に逢いたい
■短歌ならば作詞ならばと始めたけれど詞は没でレコード化ならず
■聞いて書いて読んで詩と詞 歌に唄 さわやかな風だ
無数の作詞をめざす人たちが居て、作詞家の世界も果てしない。ありきたりの才能では、芽が出ない。
そんな挫折が、歌の原動力になるのである。木曽人がんばれ。
「旅へ」という旅行の歌がつづく一連がある。
■倉敷を歩く瀬戸大橋わたる島もある 古さ新しさ味わいつつ
■小豆島の桟橋で独りたたずむ女 船から降りてきた男と去った
■セントレアを後に野間灯台へちょうど引潮 岩場は緑の海草だ
■あでやかに素朴なおどり黒の帯 由来は歴史の上に立って
旅の哀歓が、さりげなく詠われている。
■のろまで下手でそっぽ向かれそれでも歌謡詩風に生きてみようか
■人のこころを自然のながれを文字にして口語短歌と語らう夕べ
■一枚の白い紙に何を描く 絵か文字かそれとも白のまま
思いは果てしなく、さまざまに巡る。
■土が草が叫ぶ とにかく働けや機械化して尚はたらくのだ
■耕耘機に飛び出た蛙まだ眠ってたのか さあ眼を覚ませ百姓だ
■御嶽海のポスター壁に貼り今日も野良仕事の行き帰りに立ちどまる
■助手席にいつも地図を乗せ少年の日の夢をさがしつづける
「農」に生きる男の一生の「あれこれ」である。
この本の巻末にある歌
■今日もせせらぎが聞こえてくる 誰かがささやいている
この歌から、この本の題名が採られている。
簡潔であって、かつ清楚な佳い歌である。
作者の歌は冗長なところがなく、よく推敲されている。
「未来山脈」の最近号に載る歌も、よく整っている。
巻末に近い「桧の木」という項目の歌
■人間ドックの精密検査四通 やはりそうか覚悟して空を
■おれの誕生日と日記に書く あと三年とは書けなかった
■仕事に酒に世の風によくぞ耐えぬいた 胃袋さん
これらの歌が意味するものは何なのか、何の説明もないので分からないが、私の思い過ごしであることを祈っておく。
とりとめのない雑駁な鑑賞に終始したことをお詫びする。
これからも佳い歌を詠っていただくようお祈りして抄出を終わる。
ご恵贈有難うございました。 (完)
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