
──冬山女流三態──
■冬山を仰ぐ身深く絹の紐・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本眸
冬の山は、草木が枯れて、しーんとしずまりかえって眠っている。枯れ山であり、雪を積もらせていれば雪山となる。
今では冬山登山やスキーが盛んになって、冬の山の中には、却って冬に賑やかになる山もある。
昔は、一般人は、冬には山には入るものではなく、眺めるものだった。だから「遭難」とかいうものは無かったから
心隈なくぞ覚ゆる冬の山・・・・・・・・才麿
めぐりくる雨に音なし冬の山・・・・・・・・蕪村
あたたかき雨にや成らん冬の山・・・・・・・・召波
など、静かな、澄んだ、なごやかな冬山が詠われてきたのが多い。
掲出した岡本眸の句は、どこの山か知らないが、白く雪の積もる山を眺める温泉か何で、身支度をする景を詠んでいる。
句には何も書かれていないが、句の言外に漂う雰囲気が何となく「艶っぽい」ものである。
こういう句は「女句」と言うべく、男には作れない領域である。
静かなとは言っても、やはり「厳しい」冬山である。それに対比して、たおやかな女体を配するという作句の妙、とも言うべきものを的確に表現された秀句と言えるだろう。
■この雪嶺わが命終に顕ちて来よ・・・・・・・・橋本多佳子
という句があるが、これは晩年の作品であるが、一点の汚れもない白亜の雪嶺を前にして多佳子は心洗われる想いがしたのだろう、命終の際には山容を見せてほしい、というのである。
彼女の句には、また
箸とるときはたとひとりや雪ふり来る・・・・・・・・橋本多佳子
というような、夫に先立たれた、たよりなげな女身の不安な心理を詠った優れた句もある。
季語には「冬の山」「冬山」「枯山」「雪山」「雪嶺」「冬山路」などがある。
■冬山のさび藍色のこひしさに・・・・・・・・細見綾子
この句も女流ならではの句というべきだろう。男ならば山「恋しい」とは詠わないだろうと思う。
彼女にとっては、何かの思い出が、かの山にはあり、特に冬山の「さび藍色」に想いが籠っているとみるべきだろう。
この人は俳人の沢木欣一の夫人である。今の季節の句を引くと
雪渓を仰ぐ反り身に支へなし・・・・・・・・細見綾子
という佳作もある。
今日は、岡本眸の句を皮切りにして、女流の目から見た「冬山」の句を中心に書いてみた。いかがだろうか。
冬山を前にしても「人事」の艶っぽさを滲ませた「女句」の冴えを鑑賞してみて、寒い季節ながら、ほのぼのとした肌の温もりみたいなものを感得したことである。
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