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草弥の詩作品<草の領域>
poetic, or not poetic,
that is the question. me free !
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現代短歌新聞2020年六月号掲載『信天翁』書評・・・・・・・・・・・梓志乃(「芸術と自由」主宰)
衰えぬ詩人の批評魂─木村草弥歌集『信天翁』 梓志乃
歌集『信天翁』のページを繰ったとき私は定形も自由律も意識することなく読み進んだ。
信天翁、存在証明、象形、と巻頭からの一連に詩人・木村草弥の思いが存在する。
この一巻のなかで歌集として最も惹かれた作品群である。一首のうちに著者の思いの深さがあった。
卒寿になってなお、衰えぬ詩人としての覚悟、あるいは創作者の止むことのない思い、あるいは業とも呼べる何かがひそんでいると感じられ、及ばぬながら、それを探り当てたかった。
・〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
一首目はケアマネジャー、二首目は実兄への挽歌であると詞書にある。
「死去」によって理解は届くが、それを知らぬにしても、ここに透明な寂寥感や諦念がただようのは理解できよう。
・新たな季節の訪れの微かな気配 時の移ろいに身をゆだねて
・象形は彩りを失って 残像となり あなたは遠ざかる
「象形」と題された作品は、現代語による自由律短歌という一行の詩の持つ究極をつき止めようとする方法論と、その先に待つ誕生と死へと発展し、著者の死生観が表出されてくる。
後半には連作ともいえる作品がタイトルごとに、一編の自由詩として形成され、日常の間(あわい)に垣間見る右傾化する政治、社会への危機感が、かつてこの国に存在した戦中の文芸弾圧を知るものの義務のごとく批評精神として存在する。
・誕生と死、形成と崩壊、夜と昼。 時は螺旋状に過ぎてゆく
「あとがき」で著者は<短歌ではなく「散文の短詩」として読んでもらって・・・>と述べている。
(澪標・2000円) (筆者=芸術と自由)
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現代短歌新聞社から連絡があって、敬愛する梓志乃氏が、この書評を執筆していただいたことを知った。
私の創作意図を的確に突いた批評で、作者冥利に尽きる、という感謝の気持で一杯である。
ここに全文を転載して感謝申し上げる。有難うございました。
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